生の空費は「吟味しない」ことで進む

 より良くなることを目指さない限り、私達の生に意味はない。

・より良くなること:今よりも更に納得感や余裕や満足があること
・生の意味:生がどれだけしっかりしているか

 つまり私達の人生がどれだけしっかりしたものであるかは、そこに私達自身の更新され続ける納得感と余裕と満足感があるかどうかにかかっている。更新され続けなければならない理由は、現在の納得感などに対して私達はすぐに慣れてしまうからだ。より上へ、より良さへと、求めを繰り返す生き物だからだ。そのような性を抱えている限り、この「更新する」は必須である。そしてそうでなくなった時は、私達が死ぬ時である。

 更新され続けるために目指す「より良いもの」とは、何もせずとも目の前に転がっているものではない。というより、転がっていても気づくことはできない。なぜなら、そういったものは最初から見えるような状態ではなく、見えるように鍛えなければならないからだ。あるいは、それは「凝視する」と言い換えてもいいかもしれない。単純な努力や成長があなたに気づかせてくれるわけではなく、見えるためにはあなた自身の意識と、そして「吟味」する勇気が必要だ。

 ・吟味:見比べて検討すること。より深くなにかの本質を探ること

 吟味することは正しそうだ。しかし、それは簡単ではない。きっと上手くいかない。そのわけは、吟味のために様々なものを並べたり比べたり深く調べたるする時間がないからではなく、そもそも物事の本質を知るメリットがないと、私達が思ってしまうからである。
 そんなもの、昨今の日常生活にはなんの約にも立たなくて、そして私達は昨今、日常生活こそが大切だと常々思っている。その思い込みをどうにかしない限り、私達の生は生活に消費されるままとなる。

 より良いもののために生活を使おうとしない限り、それはそれのためだけに回る。エネルギーは、エネルギーを生み出すために全て使われる。同じことを繰り返す。年々、死に近づく私達はそうやって、生を浪費する
 必要なのはたった1つの勇気である。吟味しようとする意思である。それをあなたの心から湧き起こすまでは、中々に日常生活での吟味は難しそうに思われる。そしてそれをし続けることもまた、同じように難しい。
 だからこそ、吟味には価値がある。それは良くなることに繋がるからだ。そして生に意味を持たせることに。確固たるものとしての生、ただ空費され続けるだけではない生のために。

 より良くなることを目指さない限り、私達の生に意味はない。
 それは生活の中の様々なものの吟味によってもたらされる。
 

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