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創作的「良感情」と「悪感情」

 創作というものに良い感情と悪い感情の2つが持ち込まれる場合、その割合いは圧倒的に、悪い感情の方が多い。
 どれほど万人に受けようが、称賛されようが、感動を呼び起こそうが、後世まで語り継がれようが、創作、つまり作品というものは、それを作る人間の悪意を多く含んでいる。誤解を恐れずに言えば。

 即ち、それが「良いもの」であるから高評価を受けているのではない。創作はそもそも、その原動力が悪感情によることが多く、そしてその方が「創作世界」は作り上げられやすい。そして、より完成度の高い創作とはこの悪感情を出発点としたものであり、だからこそそれは評価されるのだ。
 なぜ、悪感情からスタートする方がいいのかと言えば、ゴールが良感情になるからである。加えて悪感情が原初にある場合、その創作世界には「良悪」のバランスが取れやすく、調和する。そして何より、悪感情とは人間にとって発露させやすく、創作世界の基盤にぴったりなのである。

 即ち、人間とは良いものを悪くするよりも、悪いものを良くしていきたいと願う生き物なのだ。また、自分は悪い状態にいる(つまり、自分は悪くない)から、それを破壊したいと願う(つまり、自分以外のものを悪くなくする)性を、私達は持っている。そのために、創作というものが人間によって行われるのなら(そして、それを延長した存在によって行われる限り)、それはたっぷりの悪意を含んでいることになる。悪感情を肥やしに、世界ができあがることになる。

 そうして、創作は悪感情を良感情へと集結させていく。大抵は。それを観客も、消費者も、視聴者も望んでいる。だから、そういう創作は評価される。

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