川島正平

1966年生まれ。在野で言語の研究をしています。

川島正平

1966年生まれ。在野で言語の研究をしています。

最近の記事

電脳文字対話 29(映画『オッペンハイマー』を観て)

彼:映画「オッペンハイマー」を観てきたんだって? 私:うん。 彼:で、どうだったんだい? 私:結論からいうと(ネタバレあり、納得したうえで読んでください)、さすがアカデミー賞を総なめにしただけのことがある傑作で、日本人も観るべき映画だと思う(ただし、核についての研究過程の歴史的な流れやそれが原爆開発へとつなげられる過程などについて、あるいは過去の「赤狩り」の歴史などについては、ある程度の予備知識を入れて行ったほうがよいでしょう) 彼:意外だね。ひと昔前までな

    • 「空気」と規範 5

      「だまされること」、その背景のパターン  伊丹万作は次のようにも述べています。  大ざっぱに、詐欺などで人がだまされるときの流れを見てみると、おおよそ次のようなものではないかと思われます。何らかの事件や事故が起こったとされてパニック状態にさせられ、そして時間的猶予を与えられない状態におかれ、その状態で二者択一の選択を迫られ、自分の専門外のことについて真実らしいウソをつかれ、真実らしい誘導をされてしまい、その結果だまされてしまう、という流れです。コロナパンデミックなどはまさ

      • 「空気」と規範 4

        80年周期説の「空気」  私は本稿の一番はじめに、明治維新から第二次世界大戦の敗戦までの歴史的規模での「空気」と、戦後の同じく歴史的規模での「空気」が似通っているという浜崎洋介氏の説を紹介しましたが、こうした考えかたは、歴史の80年周期説(高橋浩一郎『気候変動は歴史を変える』など)と軌を一にするものであり、Youtubeなどを見るといろいろな方がこうした説に関心をもっているようです。けれども明治維新(1968年)から第二次世界大戦の終了(1945年)までが約80年であること

        • 「空気」と規範 3

          いろいろな「空気」  さきに「空気」とは「差別の道徳」であるという山本七平の考えかたを紹介しましたが、実際に日常使われる「空気」という用語は、どのように使われているのでしょうか。山本七平と会話したさきほどの雑誌記者は、山本氏との会話のなかで「第一、うちの編集部は、そんな話を持ち出せる空気じゃありません」(『「空気」の研究』p9)とも述べていますが、この「空気」は「雰囲気(atmosphere)」というような意味で使われています。また、山本氏自身も「空気」の使用例として、次の

        電脳文字対話 29(映画『オッペンハイマー』を観て)

          「空気」と規範 2

          規範とは何か  私が今、スマホを手にしてアマゾンを利用して本を買ったとします。このとき、私とアマゾンとの間では、売買関係という共通の意志が成立したことになります。意志はそれぞれの当事者の頭の中に観念として存在するかたちをとり、頭からぬけだして外部に存在することはできません。三浦つとむは、「精神とは物質のはたらきです。しかしそれは一定の構成をもつ物質においてあらわれるはたらきです。具体的にいえば脳髄のはたらきです」(『哲学入門』)と述べ、エンゲルスにならって、精神とは物質と

          「空気」と規範 2

          「空気」と規範 1

          ———「認知戦(Cognitive Warfare)」に惑わされないために——— はじめに  私が若いころ、よく相手側の依頼をやんわり断るフレーズとして「検討させていただきます」のような表現が存在していたと記憶していますが、おそらく令和の現在はそのような誤解を招きやすそうな習慣はないでしょう。これは言葉を字義通りにとらえないという一種のとんちのような文化ですが、おそらく「空気」というものもそれと似たような何かであり、そしてそれは人間の意志のひとつの形態

          「空気」と規範 1

          時枝誠記と現象学 10

          第3章 意味論 第1節 時枝誠記の意味論 「時枝誠記における『対象の展開』論」で試みたこと  時枝誠記は、言語の「意味」について論じる場合に、抽象的に「意味」や「意義」を論じることの方法論的なまずさを自覚していました。彼は「意味」を論じる際は必ず、言語表現の過程的構造図式に触れつつ、具体的な表現例・理解例とともに論じています。私は以前、「時枝誠記の『対象の展開』論 ⑴~⑽」(1)において、1937年から1940年にかけて、時枝誠記が意味論を論じる際に、同時に具体的な伝

          時枝誠記と現象学 10

          時枝誠記と現象学 9

          第2章 詞辞論 第8節 「文の概念について」 1937年と時枝誠記  「時枝誠記伝」(1)には、言語過程説の理論を構築し、「文の概念について」などを執筆していた1937年当時の時枝について、次のような記述があります。  私たちはともすると忘れがちですが、1937年当時、時枝は現在のソウルにあった京城帝国大学の教授でした。時枝誠記が当時、朝鮮という「辺境」において、いろいろな重圧のもと、いろいろな苦悩とともに学究生活を送り、論文を書いていたことがうかがわれます。「或事件

          時枝誠記と現象学 9

          時枝誠記と現象学 8

          第2章 詞辞論 第7節 「語の形式的接続と意味的接続」 「零記号」の構築と温泉と休息  時枝は1937年1月に「文の解釈上より見た助詞助動詞」を脱稿したのち、言語過程説の理論を初めて本格的に展開した論文「心的過程としての言語本質観」を同年2月に脱稿します。けれどもその後、時枝は次の論文がなかなか書けず、苦しみます。次の論文とは、用言に陳述があるように見える現象をどう扱うかという問題を含むところの、語の意味的接続に関する論、すなわち統語論に関する論文です(「語の形式的接続

          時枝誠記と現象学 8

          時枝誠記と現象学 7

          第2章 詞辞論 第6節 伝統的な語の分類法と現象学~時枝誠記のジャンプ!~ 「文の解釈上より見た助詞助動詞」  時枝誠記が言語過程説の立場からする新しい詞辞論を初めて公表したのは、周知のように、「文の解釈上より見た助詞助動詞」(『文学』、1937年3月)においてでした。ここで時枝は、「助詞助動詞」に着目した観点から語の分類の基礎的な考えかたについて考察しています。いいかえればこの論文は、「助詞助動詞」の本質を、言語を「心的内容」を表出する表現行為ととらえる時枝独自の言語

          時枝誠記と現象学 7

          ある想念

           論文の構想を練ったり考えごとばかりしていると、頭がこんがらがってバグしそうになったりする時があります。そういうときは、何か「箸休め」的なものを書くといい、とは私の説(誰か有名人が言ってないだろうか)ですが、今がちょうどそんな時なので思いついたことを書いてみようと思います。  WHOが新型コロナのパンデミック宣言を発したのが2020年3月、日本が全国7都府県に緊急事態宣言を行なったのが2020年4月ですが、世界各国では続々とロックダウンが行われるようになり、日本においても仕

          ある想念

          時枝誠記と現象学 6

          第2章 詞辞論 第5節 「国語の品詞分類についての疑点」 「用言」の名義について  時枝誠記は「国語の品詞分類についての疑点」(1)の冒頭で、本章第2節「実証性の追究」で少し紹介したように、形容詞の副詞的用法が存在すること、そしてそれが文法論的に矛盾する事実であることについて、「当惑」したことがあると吐露していました。この論文の時点での時枝は、「早く起きる」における「早く」などについて、それは形容詞が副詞に転成したものであると説明することは「曖昧であり、逃避である」と考

          時枝誠記と現象学 6

          時枝誠記と現象学 5

          第2章 詞辞論 第4節 「語の意味の体系的組織は可能であるか」 「話者」の思想に還る  時枝誠記は1933年の古語注釈関係の論文「古語解釈の方法」(1)においてすでに、古語の意味の客観的な理解のためには、個々の語の着実な追体験を試みるべきであり、そのためには用法上の類別を数多く行わなければならないという考えを述べていました(2)。それから約2年半後、1936年3月発表の論文「語の意味の体系的組織は可能であるか」(3)においては、語の意味の研究について、これまでのように語

          時枝誠記と現象学 5

          時枝誠記と現象学 4

          第2章 詞辞論 第3節 詞辞論の定義と「概念過程」論 「文の解釈上より見た助詞助動詞」における詞辞論  時枝誠記は、みずからが構築した詞辞論を初めて公にした論文「文の解釈上より見た助詞助動詞」(『文学』1937年3月)において、次のように述べています。  時枝は、このように、ごく初期の段階においては、「概念過程」を経た語類を「概念語」(のちの詞)と名づけ、「概念過程」を経ない語類を「観念語」(のちの辞)と名づけます。前者には〈名詞〉〈動詞〉〈形容詞〉などが該当し、後者

          時枝誠記と現象学 4

          時枝誠記と現象学 3

          第2章 詞辞論第2節 実証性の追究 大野晋のエピソード  1945年の上半期、日本は戦況が悪化し、東京はたびたび空襲に見舞われていましたが、そんな中、国語学者の大野晋(おおの すすむ)は東大国語研究室において、時枝による源氏物語の講読の授業に参加していました。食べ物もままならない状況下で、イモの葉を湯がいて塩をかけて食べる「お十時」の儀式が終わると、さっそく授業が始まるという具合いでした。 《…夜おそくまで研究室で私は時枝先生に質問した。先生は反論された。「理論的におか

          時枝誠記と現象学 3

          時枝誠記と現象学 2

          第2章 詞辞論 第1節 初期の直感的発想 言語本質観と「語の分類」について  時枝誠記の構築した詞辞論の形成過程について検討する前に、言語本質観と「語の分類」との関係について簡単に触れておこうと思います。時枝は自らの詞辞論を最初に発表した論文「文の解釈上より見た助詞助動詞」(1)において、言語本質観と、文法論や言語研究との関係について、次のように述べています。  《 言語はその本質として、人間が思想感情等を、可聴的な或は可視的な媒材即ち音声或は文字を借りて外部に表出す

          時枝誠記と現象学 2