「空気」と規範 3

いろいろな「空気」

 さきに「空気」とは「差別の道徳」であるという山本七平の考えかたを紹介しましたが、実際に日常使われる「空気」という用語は、どのように使われているのでしょうか。山本七平と会話したさきほどの雑誌記者は、山本氏との会話のなかで「第一、うちの編集部は、そんな話を持ち出せる空気じゃありません」(『「空気」の研究』p9)とも述べていますが、この「空気」は「雰囲気(atmosphere)」というような意味で使われています。また、山本氏自身も「空気」の使用例として、次のような例を挙げています。

・「ああいう決定になったことに非難はあるが、当時の会議の空気では……」
・「議場のあのときの空気からいって」
・「あのころの社会全般の空気も知らずに批判されても……」
・「その場の空気も知らずに偉そうなことを言うな」
・「その場の空気は私が予想したものと全く違っていた」

山本七平『「空気」の研究』p10

 これら5つの例も、「雰囲気」「ムード」の意で使われていることはまちがいなさそうです。ですが、『「空気」の研究』という場合の「空気」がたんなる「雰囲気」や「ムード」でないことは明らかです(山本氏が「妖怪」とか「超能力」とまで言うくらいの不思議な強力な存在なのですから)。ここで注目したいのは、さきほどの「第一、うちの編集部は、そんな話を持ち出せる空気じゃありません」という言葉に対して、著書の中で山本氏が「何やらわからぬ『空気』に、自らの意志決定を拘束されている」(『「空気」の研究』p9)と述べていることです。どうやら、ここで取り扱われている「空気」とは、「人びとが、得体の知れない『空気』とよばれる雰囲気的なものを媒介として、自らの意志決定を支配されている状況」をさしているように思われます。いいかえれば、山本氏のいう「空気」とは、人びとの意志決定を支配し拘束する力のある、得体の知れない雰囲気的なものであり、それは別の言葉でいうと一種の公には言いづらい不文律であり、「差別の道徳」(つまり規範の一種)である、ということにでもなるでしょう。


「空気に支配される」とはどういうことか?

 山本氏は、「空気」について、次のようにも述べています。

《では、この「空気」とは一体何なのであろう。それは教育も議論もデータも、そしておそらく科学的解明も歯がたたない “何か” である。たとえば、最初にのべた「差別の道徳」だが、もし私の話を聞いた先生が、その実例をくわしく生徒に話し、こういうことは絶対にいけませんと教えても、その生徒はもちろん教師も、いざというときには「その場の空気」に支配されて、自ら否定したその通りの行動をするであろう。こういう実例は少しも珍しくない。私自身、いまの今まで「これこれは絶対にしてはならん」と言いつづけ教えつづけたその人が、いざとなると、その「ならん」と言ったことを「やる」と言い、あるいは「やれ」と命じた例を、戦場で、直接に間接に、いくつも体験している。そして戦後その理由を問えば、その返事は必ず「あのときの空気では、ああせざるを得なかった」である。
 「せざるを得なかった」とは、「強制された」であって自らの意志ではない》(同p11)

山本七平『空気の研究』

 この場合の「強制された」は、その過程も含めてもう少しこまかくいうと、「観念的に対象化された意志に自らの生きた意志を従属させることにより、当該行為をおこなった」(「概念の二重化」ならぬ「意志の二重化」ともいうべき現象が起きているものと思われます)の意です。なので、それは「『空気』に強制されたもの」であるかもしれないけれども、実は「自らの意志」でもあるのです。そもそも「空気に支配される」とは、具体的にどのようなことを意味するのでしょうか? 先の定義に則って言うと、「具体的にいうことが憚られるある種の道徳に観念的に支配されてしまい、その結果行動も支配されてしまうことである」とでもなるでしょう。いいかえれば、「空気に支配される」とは、ある種の観念的に対象化された意志に自らの生きた意志を従属させてしまうこと、およびその結果ある種の行為をおこなってしまうこと、とも言いうるでしょう。「空気に支配される」とは、自らの生きた意志を規範に従属させて行動してしまうということなので、実はその過程においては、自らの生きた意志を使って「空気の支配」に抵抗することも可能なはずだと思われます。すでに見たように「観念的に対象化された意志」の元は現実の世界ですので、現実の世界からそうした規範が形成される過程を検証してみることによって、何か突破口が見つかるということがあるかもしれません。


「空気」醸成の条件について

①    「父と子」的閉鎖されたコミュニティの形成・維持

 山本氏は、『「空気」の研究』の中で、北一輝の天皇を中心とした理想的政体についての思想を紹介したあと、次のように述べています。

《この発想の基本にあるものは何か。それは結局、各集団がそれぞれ「父と子の隠し合い」の“真実”で保持している経済的封建制度を革命で解体して、全日本一体の「父と子」体制、簡単にいえば、クラスの壁を破って、全日本を「一教師・オール3生徒」で構成する学級体制、すなわち「一君万民」を作りあげようというわけである。彼らはそれを、自由平等一律無差別な理想的政体と考え、それを立憲的民主的と定義しているわけだが、実際は、集団倫理的体制を一体化し、それに全日本人を包含しようとしたわけである。そしてこの体制がある程度できあがっていたのが、実は、戦時中の日本なのである。
 いわば一君万民で、一億総情況論理、総情況倫理。そこであらゆる虚構の情況が創立され、すべてはその情況のもとに判断され、「父と子」の間で事実を否定することによって「直きことその中にあり」の忠誠で、秩序が保持された。そしてひとたびこうなると、一切はそこで固定する。事実に立脚した自由な発想もその発想に基づく方向転換も不可能になり、二進(にっち)も三進(さっち)も行かなくなり、人はたとえそれが自滅とわかっていても、その方向にしか進めなくなるわけである。そしてその虚構が破綻しても、実は一学期と二学期で黒板の字を書きかえるだけでその虚構は消え、すぐ、別の虚構へと移れるのである。———「父と子」で隠し合うことによって》(同p129~130)

 若干つかみどころのない、やや難解な叙述となっていますが、ようするに「空気」の地盤には、戦時中のような、ある統制された集団倫理を保持したところの、いいかえると共通の規範をもった閉鎖されたコミュニティが存在するということです。戦時中のこうしたコミュニティ成立の背景には、軍人勅諭や教育勅語などによって天皇を中心とした富国強兵の道徳体系が大衆のあいだに広く深く浸透していたという事情が存在します。戦後は戦後で、戦時中のような「一億火の玉」的な規模ではないけれども、地域や学校や会社単位などである種の集団倫理を維持したコミュニティが形成され維持されてきたといえるでしょう。また、ラジオやテレビ、新聞などのマスコミ(とくにワイドショー的な番組)によってもそうした観念上のコミュニティは形成・維持されてきました。2000年代以降は、携帯電話やスマートフォンの普及によるSNSの発達も観念上のコミュニティ的なものの発達に貢献した一面をもっていると思われます。


②    対象の臨在感的把握

 もうひとつ「空気」醸成の条件として山本氏が強調しているのが、「対象の臨在感的把握」という、日本人の対象に対するある種独特の態度です。

《…空気が醸成される原理原則は、対象の臨在感的把握である。そして臨在感的把握の原則は、対象への一方的な感情移入による自己と対象との一体化であり、対象への分析を拒否する心的態度である。従ってこの把握は、対象の分析では脱却できない。簡単にいえば石仏は石であり、金銅仏は金と銅であり、人骨は物質にすぎず、御神体は一個の石であり、天皇は人間であり、カドミウムは金属であると言うことで、これから脱却し得ない。もちろん、一見脱却したかの如き錯覚は抱きうる。だがそう錯覚したときその者は、別の対象を感情移入の対象としたというだけ、簡単にいえば「天皇から毛沢東へ転向した」というだけであり、従って何らかの対象が自己の感情移入の対象になりうる限り、言わば、偶像すなわちシンボルと化すことができうる限り、対象の変化はあり得ても、この状態からの脱却はあり得ない》

山本七平『「空気」の研究』p134

 「臨在感」とは山本氏による造語で、「臨在感的把握」とは、「ある対象への感情移入が強力になり、感情移入だと考えられないほど絶対化してしまう状態で」あり、「感情移入が無意識化、常識(日常)化し、その対象なしには生きている実感が失われてしまうような世界観で」(「山本七平の『「空気」の研究』」【コテンto名著】)ある、とのことです。欧米のような唯一神信仰をもたず、したがって相対的な価値観というものが発達しなかった日本人に特有の世界観であるとされています。山本氏によると、このような一種の絶対的な世界観を普通の科学的な世界観で把握することは困難であるとされていますが、以下に山本氏が著書の中であげた「人骨」の例をとりあげて、それについて検証してみようと思います。

《大畑清教授が、ある宗教学専門雑誌に、面白い随想を書いておられる。イスラエルで、ある遺跡を発掘していたとき、古代の墓地が出てきた。人骨・髑髏(されこうべ)がざらざら出てくる。こういう場合、必要なサンプル以外の人骨は、一応少し離れた場所に投棄して墓の形態その他を調べるわけだが、その投棄が相当の作業量となり、日本人とユダヤ人が共同で、毎日のように人骨を運ぶことになった。それが約一週間ほどつづくと、ユダヤ人の方は何でもないが、従事していた日本人二名の方は少しおかしくなり、本当に病人同様の状態になってしまった。ところが、この人骨投棄が終ると二人ともケロリとなおってしまった。この二人に必要だったことは、どうやら「おはらい」だったらしい》(同p26)

 この逸話をうけて、山本氏は次のように述べます。

《骨は元来は物質である。この物質が放射能のような形で人間に対して何らかの影響を与えるなら、それが日本人にだけ影響を与えるとは考えられない。従ってこの影響は非物質的なもので、人骨・髑髏という物質が日本人には何らかの心理的影響を与え、その影響は身体的に病状として表われるほど強かったが、一方ユダヤ人には何らの心理的影響も与えなかった、と見るべきである》(同上)

 では、なぜ人骨が日本人に何らかの心理的影響を与えうるかというと、山本氏はそれは「人の霊はその遺体・遺骨の周辺にとどまり、この霊が人間と交流しうるという記紀万葉以来の伝統的な世界観に基づいている」(p33)と言います。また、私自身も、日本の仏教では、亡くなってから四十九日目の審判で極楽浄土へ行けるかどうかが決まる、という類いのたくさんの言い伝えを聞いたことがあります。こうした言い伝えは、昭和の時代の日本人であれば誰でも知っているいわば当時の人びとがもっていた「風」のようなものだったといえるでしょうし、今でもある程度はそうした「風」は残っていると思います。あるいは仏教徒の家では「家風」として代々受け継がれていたりもしていたことでしょう。こうした考えかたを持っている人が人骨を運ぶ際、どうしてもそこに「霊」の存在を想像してしまいがちなのはありうることでしょう。ただ、ここで注意すべきは、べつに「空気」が直接肉体に影響を及ぼしているわけではないということです。ここまでの山本氏の話に私がつけくわえることがあるとすると、ストレスから胃潰瘍になることがあることからも分かるように、人間の心理は、神経や化学物質をとおして媒介的に肉体に影響を与えることがある、ということです。つまり人間の心理と肉体は、つねに媒介的に影響を与え合っているという理解があれば、(ある種独特な仏教観をもつ)日本人だけが人骨を運んで病気になってしまったという一見不可解な事例も合理的に理解することができる、ということです(媒介過程も、その過程の具体をみれば、そこに直接性が存在する)。この事例においては、人骨や死生観に関する自然成長的な規範が「対象の臨在感的把握」の背後に存在した、といえるでしょう。このように、「空気」の具体を探っていくと、「空気」にまつわる不可思議な現象も意外と理解可能なものなのかもしれません。「空気」に対する耐性を身につけるためには、こうした丁寧な「空気」の具体を探る過程が大切ですし、そのための探求心をもつことも重要になってくるでしょう。


「空気」の終焉

 山本氏は「空気」が維持される構造について、演劇界の女形の話にたとえて、次のように述べています。

《…舞台とは、周囲を完全に遮断することによって成立する一つの世界、一つの情況論理の場の設定であり、その設定のもとに人びとは演技し、それが演技であることを、演出者と観客の間で隠すことによって、一つの真実が表現されている。端的にいえば、女形は男性であるという「事実」を大声で指摘しつづける者は、そこに存在してはならぬ「非演劇人・非観客」であり、そういう者が存在すれば、それが表現している真実が崩れてしまう世界である》(同p142)

 もちろん「空気」といえども、永遠の存在ではありません。いつかは終わりがきます。さすがに演劇の話に対し「梅沢富美男は男じゃないか!」とクレームを入れることは野暮ですが、三菱重工のような件で「知人は助けるけれども非知人は助けないとは、けしからんではないか!」と言ってくる人が出てくる可能性はつねにあります。「昭和維新の空気」の終焉は、出来事によって、つまり日本の敗戦とともに訪れました。仕事が終わっても先輩が働いていると後輩社員は帰りづらいという「空気」も、一社員が管理職に生産性向上のために帰宅可能にしてほしいと話を通せば、「空気」打破の突破口になるかもしれません。女子レスリング界の「空気」は2018年、あるコーチの告発をもって崩壊し、ジャニー喜多川による性加害問題に触れてはいけない「空気」は2023年にBBCによるドキュメンタリー番組によって突破口が開かれ、旧統一教会に関わる「空気」については2022年、安倍元首相銃撃事件をきっかけとして表面化し問題とされました。このように、「空気」の終焉は突破口となるような出来事が起きるか、勇気ある告発者の登場によって起こりえます。そしてこれらはいずれも、具体的には人びとの頭の中の規範がまず崩壊し、そのことによって「空気の支配」という現象も崩壊していくかたちをとります。




(続く)

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