ある想念

 論文の構想を練ったり考えごとばかりしていると、頭がこんがらがってバグしそうになったりする時があります。そういうときは、何か「箸休め」的なものを書くといい、とは私の説(誰か有名人が言ってないだろうか)ですが、今がちょうどそんな時なので思いついたことを書いてみようと思います。

 WHOが新型コロナのパンデミック宣言を発したのが2020年3月、日本が全国7都府県に緊急事態宣言を行なったのが2020年4月ですが、世界各国では続々とロックダウンが行われるようになり、日本においても仕事も含めて外出を自粛・制限しようというムードが急速に進行していきました。2020年5月だか6月頃、私の職場でも仕事をするな、家にいろということになりまして、かといって緊急事態宣言下ですから外へ出かけることもできず、家に缶詰めされることになりました。

 私はもともと、子育てが一段落するまでは論文は書かないことを決めていました。そのためのまとまった時間が確保できないからです。ところが、2020年のある時期にいきなり、仕事をするな、かつ、家から一歩も出るな、という環境を強いられたわけです。当然ですが、まさかこんなことが自分の身に到来するとは思ってもいませんでした。最初は私も、ならいいや、子どもと遊んだりのほほんと自由に過ごしてやろうと思っていたのですが、ところがいざ深夜になると、ある想念が頭の中に現れてくるのです。そう、恐ろしい、あの想念が!

「今この環境で、この場で勉強しなければ、あるいは論文を書かなければ、おそらく自分は一生勉強もしなければ、論文も書かないだろう!」

という想念です。この想念が、毎夜、寝ようとする私の頭の中に降ってくるわけです。なんと恐ろしいことでしょう。私は、否が応でも、私の宿命のようなものを自覚せざるをえませんでした。

 最初にこの想念が降ってきた日からほどなくして、私は「なのでと〈形式名詞〉論」(2020/5/12脱稿)を書き上げていました。それから、

・「三浦つとむの言語理論、その形成過程について 1~15」(2020/5/20~2020/7/7)
・「三浦つとむ『哲学を学ぶ態度』」(2020/7/15脱稿)
・「時枝誠記における『対象の展開』論 1~10」(2020/8/19~2020/10/17)
・「三浦つとむ『映画は言語に属さない』」(2020/11/9脱稿)
・「時枝誠記『文法教授に対する卑見』」(2021/3/15脱稿)

と、まるで何かに憑かれたように、立て続けに論文を書いていくことができました。おそらく家族はあきれて見ていたことでしょう。

 ところが、2021年の3月頃から、例のお注射の問題が浮上して、私もその騒動の中へ巻き込まれていくことになります。やりたい勉強はできなくなります。例の問題に関しては、ロスチャイルド研究うん十年という私の先輩(もちろん在野です)からすでにその危険性については聞いていましたし、自分で調べて見ても安全性は確認できませんでした。詳細はプライベートなことを含むので割愛しますが、私の息子以外は私の話を聞き入れてはくれませんでした。

 ----今はもう2022年11月ですか。コロナ騒動が始まってからもう3年近く経っています。これから、上の問題については、いろいろなことが明らかになっていくことと思います。
 私の身の回りでもいろいろと変化がありました。今の私は、「ただ、私の道を歩んでいこう」と、そういう気持ちでいます。

(2022/11/15記す)


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