時枝誠記と現象学 2


第2章 詞辞論


第1節 初期の直感的発想


言語本質観と「語の分類」について

 時枝誠記の構築した詞辞論の形成過程について検討する前に、言語本質観と「語の分類」との関係について簡単に触れておこうと思います。時枝は自らの詞辞論を最初に発表した論文「文の解釈上より見た助詞助動詞」(1)において、言語本質観と、文法論や言語研究との関係について、次のように述べています。

 《 言語はその本質として、人間が思想感情等を、可聴的な或は可視的な媒材即ち音声或は文字を借りて外部に表出する処の精神活動であると云ふことが出来るであらう。若しさうであるならば、文法体系の研究ばかりでなく、一切の言語現象の研究と云ふことは、先づこれら可聴的或は可視的な媒材を通して、表現者の精神活動の過程を再建することから始めなければならない。これは明らかに、一の解釈的な作業であると云はなければならない。従つて或る語の解釈に於いて、我々がそれを妥当であると考へたことは、言語の体系を考へる一の重要な足場であると考へてよいと思ふのである》(時枝誠記「文の解釈上より見た助詞助動詞」)

 このように、表現者の思想感情など内部的なものを音声や文字を媒介として外部へ表出する精神活動(表現活動)そのものが言語であるとする時枝の立場からするならば、文法および言語研究の現場において重要なのは、表現者が対象をどのように認識して、それを表象化・概念化したかということ、すなわち表現者の認識のありかたの追体験が重要であるということになります。時枝が構築した新しい詞辞論の背景には、鈴木朖など日本の過去の言語研究や自らの実践的な古典解釈研究、さらには現象学理論の吸収など、さまざまな要素がありますが、もっとも根本的な背景として、自らの言語本質観に基づく表現者の認識重視の姿勢があるといえるでしょう。時枝は自らの言語本質観に基づいて語の分類論を展開する際に、表現者の判断や「情意」などを直接的に表現する語群(辞)とそうでない語群(詞)とに語をニ大別しましたが、この第ニ章ではそのようなニ大別がどのようにして生まれることになったかということについて、くわしく見ていこうと思います。その前に、時枝学説を批判的に継承した三浦つとむの考えかたについても簡単に触れておこうと思います。

三浦つとむの考えかた

 三浦つとむは、自らを時枝の《最良の弟子の一人だと自負している》と述べていました(2)が、三浦自身の言語本質観や文法論は過程的構造の重視や、主体的表現と客体的表現という語のニ大別など根っこの部分は時枝と同じであっても、一方で異なる部分も少なくありませんでした。三浦は時枝と違い、言語の本質については、《音声や文字は、人間の精神的な交通過程において媒介物としての役割を果すけれども、この交通過程それ自体が言語なのではなく、音声や文字が言語なのである。精神的な交通過程それ自体を言語と呼び、言語活動(行為)と言語とを同一視する時枝のとらえかたは行きすぎである》(3)と述べ、過程そのものを言語ととらえるのではなく、過程と結果とを統一してとらえた上で具体的な音声や文字そのものを言語としてとらえるべきことを主張していました。また、対象化された社会的な認識の一形態である言語規範という概念を導入し、「音声や文字や表象や概念などはたしかに物質か観念かの違いはあるけれども、いずれも実体的存在であることに違いはない。言語表現は、対象の反映としての表象や概念などの観念的な実体的存在が、表現者の認識において言語規範の媒介運動によって止揚され、音声や文字などの物質的な実体的存在に関係として結びつけられたものである」、というのが三浦の考えかたです(4)。別の言いかたをすると、言語とは、その背後に「対象→認識→表現」という過程的構造を有しているところの、物質的な音声や文字や手のかたちなどである、具体的な言語とは、対象や認識の音声や文字を媒材とした種類としての表現である、ということになるでしょう。

 また、三浦は日本語の特徴について、つぎのように述べています。

《西欧の言語は語を区切って表現するから単語の認定という問題は起らないが、内容が多面的・立体的であるために言語学者が認識構造を解明できず、形態論ないし機能論にとどまっている。ところが日本の学者は奴隷的卑屈で欧米の言語学のこの欠陥を美徳にまつりあげ、形式主義や機能主義をうのみにし、西欧の言語の現象的な語の区切りかたを日本語の単語の認定に持ちこむ傾向がある。英語の〈動詞〉の went ,  flew などをそのまま日本語の単語の認定に持ちこむと、「行った」「飛んだ」などは一語になる。〈文節〉から横すべりさせたものと一致するから、〈文節〉一単語説の傍証にもなろう。しかしこれは屈折語の特徴に対する無理解であって、屈折語が多面的な内容を一語で表現するのに、日本語では一面的・平板的な内容の二語三語で表現する事実を、凝視しようとしないものである》(5)

 ここで、欧米の言語学の形式主義や機能主義をうのみにしているとして批判されているのは、たとえば日本語の〈動詞〉と〈助動詞〉とを合わせて一語とするなどの見解を示した松下大三郎や金田一春彦、教科研文法などですが、たしかにこうした考えかたは膠着語の現実を軽視したものといえるでしょう。日本語は西欧の諸言語と異なり、一語一語が比較的単純で平面的な内容を表現しており、それらを粘着的にいくつも連結して思想の表現をおこなうという特徴があります。

 私‖は‖昨日‖図書館‖へ‖行か‖■‖れ‖ませ‖ん‖でし‖た。

 時枝や三浦の文法論の立場からするならば、この短い文章において11個の単語が表現されていることになります(「■」の零記号を含むならば、12個)。分かち書きされていないので弁別しづらいかもしれませんが、それぞれ独立した内容の概念をあらわしています。「行か」は動的属性をあらわす〈動詞〉、「■」は零記号の肯定判断、「れ」は可能をあらわす〈接尾語〉、「ませ」は肯定判断の〈助動詞〉、「ん」は否定判断の〈助動詞〉、「でし」は肯定判断の〈助動詞〉、「た」はそれまでの表現内容が過去についてのものであることをあらわす〈助動詞〉となります。このように、比較的単純な内容の語を多く連結させることによって言語表現をおこなう形態をとっている日本語などの膠着語について、三浦は《内容における「裸体的」性格と形式における「粘着的」連結とを相伴うところの言語形態なのだ、と規定することもできよう》(6)と述べています。

 以上のような言語本質観および日本語観に基づいて、三浦は《事物を内容と形式との統一においてとりあげる場合には、まず内容についての大きな分類が基本となり、それを形式についての分類で補うべきだ、ということになろう》(7)と述べ、語の分類における内容重視の姿勢の必要性を主張して、語の二大別において主体的表現としての辞と客体的表現としての詞とに分類した時枝誠記の功績を讃えています(8)。山田孝雄は、「意義・形態・職能」のうち、どれが最も基本的であるかを問うことなく《全体をひっくるめて直ちに分類の基準に持ちこんだ》(9)が、時枝は《言語の思想的単位を、表現主体から切りはなして客体的存在として扱うのではなく、表現主体自身の認識に求め主体的存在として扱い、単語の本質をこのような「一概念の音声に表現せられる一回的過程」に求め》(10)、客体的表現(詞)と主体的表現(辞)のいずれに属するかということが語の分類にとってもっとも根本的なことだとした、その功績は高く評価されなければならない、とも述べています(11)。閑話休題。嗜好飲料の中身を分類するとしたら、《分類の第一基準はアルコール性の有無であろう》(12)と三浦は述べていますが、この第一基準がもし誤っていたり、そもそも第一基準というものが実質的になかった場合で、「形態」や「機能」を分類基準に用いた場合、次のようなこともあろうかと思います。「今日はクリスマスだ! クリスマスの日にもっとも【機能する】飲み物を集めよう。さて、何があったかな? そうそう、ジュースとシャンパンだったね。さあさあさあ、子どもたち、今日はめでたいクリスマスだ、ジュースをお飲み、シャンパンをお飲み…」三浦の文法関係の論文を読んでいると、こんな喜劇をあちこちで見ることができます。

初期の直感的発想

 時枝誠記が自らの詞辞論を最初に発表したのは論文「文の解釈上より見た助詞助動詞」(1937年3月)でしたが、三浦つとむも指摘しているように(13)、この語の分類の基礎的な発想は、すでに大学在学中に出来上がっていました。学生当時、時枝は東大の研究室で週一回おこなわれていた橋本進吉による輪講会に参加していたのですが、後年時枝は、このとき自らが使用していた山田孝雄著「日本文法講義」に貼られていたある付箋を発見します。この付箋には、次のようなことが書かれていました。


《 一、表象を表はす言葉 −− 客観の世界の表現 −− 名づくるといふ作用が明瞭になつてゐる。
ニ、情意を表はす言葉 −− 主観の世界の表現 −− 心的内容そのものを表現する。》(14)(太字は引用者)

 「表象を表はす言葉」は「詞」の、「情意を表はす言葉」は「辞」の原型と思われます。おそらくこれは、独立観念の有無によって語をニ大別した山田孝雄の説と対比するかたちで自らの考えを記しておいたものと思われます。

 また、同じ時枝の『国語学への道』には、次のような記述もあります。

《…助詞助動詞と他の品詞との間には、かなり根本的な相違があることは、以前から注意していたことで、これに、第一次表現、第二次表現といふやうな名称を与へて区別して見たりしてゐたのであるが、具体的には、それが何の別に基づくかは、容易に理解出来なかつた》(15)

 これら詞辞論の原型となる考えかたが本格的に展開されるようになるまでには、なお十数年にもおよぶ研究と熟考が必要とされるのでした。


     〜〜〜

〔注〕

(1)時枝誠記「文の解釈上より見た助詞助動詞」(『文学』1937年3月)

(2)三浦つとむ『言語学と記号学』(勁草書房、1990年)210頁。

(3)同『言語学と記号学』194~195頁。

(4)三浦つとむ『認識と言語の理論 第三部』(勁草書房、1972年)56~57頁。

(5)同『認識と言語の理論 第三部』99~100頁。

(6)同『認識と言語の理論 第三部』104~105頁。太字は原文。

(7)同『認識と言語の理論 第三部』71頁。

(8)同『認識と言語の理論 第三部』79~82頁。

(9)同『認識と言語の理論 第三部』73頁。

(10)同『認識と言語の理論 第三部』79頁。

(11)同『認識と言語の理論 第三部』79~82頁。もっとも、三浦は、語の分類の一般論において時枝は特に優れていたが、動詞・形容詞の内容的な分析や〈係助詞〉など助詞論の細部などにおいては山田孝雄のほうが優れていた部分もあると、きわめて客観的に評価分析しています(三浦つとむ『日本語の文法』【勁草書房、1975年】参照)。

(12)同『認識と言語の理論 第三部』82頁。

(13)同『認識と言語の理論 第三部』192頁。

(14)時枝誠記『国語学への道』(三省堂、1957年)20頁、23頁。

(15)同『国語学への道』92頁。


     〜〜〜

※今後の発表予定。乞うご期待 !

第2節 実証性の追究

第3節 詞辞論の定義と「概念過程」論

第4節 「語の意味の体系的組織は可能であるか」

第5節 「国語の品詞分類についての疑点」

第6節 時枝誠記のジャンプ 〜「情意」を解放せよ! 〜 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?