時枝誠記と現象学 6

第2章 詞辞論


第5節 「国語の品詞分類についての疑点」


「用言」の名義について

 時枝誠記は「国語の品詞分類についての疑点」(1)の冒頭で、本章第2節「実証性の追究」で少し紹介したように、形容詞の副詞的用法が存在すること、そしてそれが文法論的に矛盾する事実であることについて、「当惑」したことがあると吐露していました。この論文の時点での時枝は、「早く起きる」における「早く」などについて、それは形容詞が副詞に転成したものであると説明することは「曖昧であり、逃避である」と考えていたようですが、こういった問題は、三浦つとむがよく指摘していたように、形式と内容との間の矛盾について認識論的に説明すれば、本来はすぐに解決する問題だといえるでしょう。この場合だと、「属性のありかたを多面的・立体的に把握して説明するために、日本語の文法体系において、形容詞の副詞的用法(主に連用形として)とその本来の用法とが混在することが習慣化し言語規範化したものである」、とでも説明できるかもしれません。ですが、ここでは、とりあえず話をこの論文が書かれた1936年7月頃にいったん戻します。

 山田孝雄はもともと「形容詞の副詞的用法は応用的一面であって、本性的にはどこまでも形容詞である」(2)と述べていましたが、時枝はこうした山田の考えかたは用言の本質を陳述にありとする山田独特の用言解釈によるものであり、それは「用言」の「用」を「説明陳述の用を意味する」ととらえる誤った語義解釈に由来するものであると断罪します。

《…日本文法論(139~145頁)に述べられた体用の名義の歴史的変遷を見るに、先づ、体用の名義を以て、語形の変化の有無を区別する為に用ゐたのは、我国古来の用法でもなく、又支那本来の意義でもないことを述べられ、義門以来、我国に於いては、用言を語形の変化する語の意味に用ゐたのは誤用であるとし、古来の用法に帰つて、用言を陳述説明の作用の意に用ゐるのを正しとされたのは、本末転倒の見解である。近世国語学者の認めた用言なるものの事実を検討せずして、単にそこに用ゐられた名目よりして、用言を別個の意味に説かうと云ふは頗る危険である。近世の学者は、体用の古来の意義の如何に拘はらず、そこに一類の用言を「動く」言として認識し、仮に用言なる名目を借用した迄である。従つて、用言が山田博士のいはれる様な内容或は職能を持つものであるか否かは、その名目の詮索からは明らかにされない》(「国語の品詞分類についての疑点」)
《…事実近世に於いて認識された用言の概念の中には、用言がその他の語との接続に応ずるに必要な語形変化の系列を総括したと云ふ概念はあり得ても、そこには決して本性的な職能の認識と云ふものは考へられて居ない。事実、用言なるものは、述語的、装定的(=修飾的【引用者注】)、副詞的等の種々なる職能をその内に蔵した処の語形の系列があるばかりである。何をとつて、本性的であると断定すべき何等の根拠もないのである》(同上)
《…氏の所説とは反対に、形容詞の本質を以て装定にありとし、陳述はその応用的一面であるともいへるのである》(同上)

 たしかに、時枝のいうように、近世における「体言」「用言」の概念は、語の接続の際の語形変化の有無に基づいていたようですが、過去はどうあれ、一番の問題は、それを受けて今現在の自分がその問題にどう取り組むか、ということではないでしょうか。「体言」「用言」について大まかに形式的に分類してみることは問題ないとは思いますが、形式にとらわれすぎると、一見「体言」のように見えるけれども実体概念ではなく属性概念を表現しているもの(「明らか」「にぎやか」など〈形容動詞〉の語幹とされる部分など)や、一見「用言」のように見えるけれども属性概念ではなく実体概念を表現しているもの(「うごき」「あらい」「みがき」など動詞の連用形など)などを扱うことができなくなってしまうので要注意です(3)。

用言の本質と陳述論

 本稿で私が注目したのは、時枝は、山田孝雄が「用言」の「用」を「説明陳述の用を意味する」と解釈し、用言には陳述及び説明の機能があり、その本質は陳述にこそありと主張していたことを紹介したあとで、自分は「体言」「用言」の分類の根拠を形式上の変化の有無に見ていると述べ、さらに《…氏の所説とは反対に、形容詞の本質を以て装定にありとし、陳述はその応用的一面であるともいへるのである》(太字は引用者)と述べていたことです。時枝はこの論文で、名実ともに文法学の雄ともいえる巨匠に対し、「形容詞(および用言)の本質が陳述(判断)にあるというのは本当か? むしろ属性表現の方にこそその本質があるのではないか?」と勇気を持って疑義を呈したのです。この時点の時枝の中で、すでに、陳述(判断)というものは助詞助動詞や「てにをは」の本質として定立されるべきものなのではないかという考えが浮かび上がってきていた可能性はあると思います。

 次に引用するのは、山田孝雄による陳述論です。

《吾人が用言として一括せしものは西洋流の名目にていはば動詞、形容詞、助動詞なり。従来用言と称せられたる種類の語は基本体は属性観念をあらはすと同時に精神の統一作用をあらはせるものなり。従来の学者の用言の定義は形態上の議論にすぎざりき。余が用言といふ名の下に蒐集せし詞はいはゆる動詞または作用言或は用言などいふ諸家の説明に見ゆるが如き「はたらき」詞又は「はたらき」をあらはす義にあらず。用とは思想の運用なり。人間思想の運用によりて生ずと認めらるる所謂統覚作用 Apperception の寓せられたる詞を示せるなり。統覚作用をあらはす詞即用言たるなり。属性観念即動作性質をあらはすものといふは当らず。属性観念をのみあらはすものならば、なほ一の体言なり。属性観念と同時に統覚作用の入り込みてこそ始めて用言といはるべきなれ》(山田孝雄 『日本文法論』【宝文館、1908年】162頁。「はたらき」は原文では二重線)

 このような考えのもと、山田は用言を「陳述語」として分類しており、『日本文法論』以降、文法学界においては、このような考えかたは一定の勢力を維持していたといえるでしょう。そうしてちょうど時枝が本稿執筆の頃(1936年前期)、山田は大著『日本文法学概論』(宝文館、1936年5月刊)を刊行します。山田はここで、用言の本質が陳述の作用を有することにあることについて、『日本文法論』よりもさらに具体的に次のような論理を展開します。すなわち、たとえば「あを」「あをし」「あをやか」などをみると、名詞・形容詞・副詞のいずれもが属性表現を担っている。つまり用言以外のものも属性表現を担っている。それゆえ、用言の本質は属性表現にあるということはできない。用言の本質は陳述の作用を有するところにあるのである、と(4)。

 このような山田のさらなる陳述論の展開を意識してかどうかは分かりませんが、時枝は本稿にて初めて「用言の本質=陳述(判断)」という考えかたに疑義を呈します。「形容詞の本質を以て装定にありとし、陳述はその応用的一面であるともいへるのである」と、はっきりと述べます。前節でも少し触れたように、「語の意味の体系的組織は可能であるか」(1935年8月脱稿)では時枝は用言の陳述性については何の疑問も持っていない様子でしたが、本稿「国語の品詞分類についての疑点」(1936年7月脱稿)においては、用言における陳述は皆無とまでは言わないが、「応用的一面」として存在する程度ではないか、という考えかたに変容してきていることが分かります(5)。

「系列」による分類と「位格(脈絡)」による分類

 時枝は以上のように山田孝雄の陳述論用言論について疑義を呈し、さらに次のように述べます。

《近世に於いて認識された用言の概念は、これを比喩を以て説明すれば、宛も樹木の概念に相当するものである。葉幹枝根等は夫々その系列の一である。樹木のこれらの系列は、その中に柱となり、床となり、天井となる資格を持つ。これらの資格の一をとつて、樹木の本性或は特質であるとは云ふことが出来ない。樹木の本質は、これらの資格とは無関係に独立した働を持つ。従つて、家屋内の一本の柱を樹木の幹であると考へるのが本質的所属の決定とはいへないのみならず、柱は家屋内に於いては、柱として認識するのがその本質の認識である。樹木と云ひ、柱といふのは全く異つた立場に立つ概念である。
 柱は柱として認識するのが正しい様に、文中の一要素として見た時、形容詞の連用形が副詞と云はれるのは当に正しいことである。只此の際、副詞と云ふ名目と、形容詞と云ふ名目とは、その位する線を異にして居ることに注意しなければならない。即ちそれは既に述べた処の別位の範疇である。これを同一線上に位せしめようとした処に、従来の文法組織の混乱の最大原因が存したのではないかと考へるのである》(「国語の品詞分類についての疑点」太字は引用者)

 時枝はこのように、これまでの形式的・伝統的な品詞分類を樹木に喩え、これから構築されるべき実際の運用上の品詞分類を樹木の加工された工作物に喩えています。これはきわめて秀逸した比喩といえるでしょう。この、樹木と加工品との関係を統合しようと努力し、模索したとしたところに、時枝の新しい詞辞論は成立したといえるのかもしれません。ですが、ここでは時枝はまだそこまでの新しい認識や意識はありません。とりあえずこれまでの品詞分類とは別位の、形容詞の副詞的用法や修飾的用法をも加味したところの分類を試みるべきだとして、それを「位格分類」の一つとして規定すべきことを主張します。これは、山田孝雄が『日本文法学概論』で実際の語の運用の研究の必要性を示唆した際、これを「位格」の研究と名づけたことに影響されての命名と思われます(6)が、時枝はさらに次のように述べます。

《明治以来の文法研究は、その外観に於いては、日本式・西洋式・折衷式の三派に分つことが出来るであらうが、概観すれば、皆我国古来の単語類別法と西洋式のそれとを、何等かの方法にて融和混一させようとする折衷式文法と云つても差支へないであらう。而もその間に甲論乙駁、猶依然として国語文法の組織が完成されず、却つて混乱に導かれるが如き観あるのは、思ふに、文法学者が、旧来の分類法と、西洋式のそれとを、品詞の概念線上に同列に排列しようとする処に生ずるのではないかと思ふ。旧来の所謂用言と、西洋文典に所謂形容詞副詞とを同一価値の下に排列しようとする時に、そこに相容るる事の出来ない交錯を生じ、従つてそこに何等かの便法を講ぜざるを得ないといふ状態に立至つたのである。その依つて来たる処は、我国旧来の単語類別法が、如何なる認識過程によつて形成されたものであるかに対しての歴史的考察が不充分であることに基く。既に述べた処で明らかになつた様に、我国で認識された単語の類別は、文中に於けるその職能とは無関係に、而も一切の職能をその中に包含しつつ、その語の系列(series)を定めることが主眼とされた。未然連用終止連体已然命令等の用言の活用形は、この系列の組織統一である。それは語の接続に対する語形変化を基本とし、種々なる職能を中に蔵し、而もこれを超越して、語の系列の認識が形造られて行つたのである。そこに、用言或は動詞形容詞の名目が成立する。従つて、この概念は、語の意義にも、職能にも関係するものではない。単なる語形の系列に付した名目である》(同上)

 こうした「語形変化を基本とした」「系列」主義の例として、時枝は「形容動詞」を挙げます。そして時枝は、系列分類ではなく、冒頭に紹介した「早く」のような例を副詞として分類できるような、「語の職能によつて規定された名目」、「文の脈絡に即した分類」として、「位格分類」の構築の必要性を説きます。

 こうして本稿の最後に、時枝は次のように述べて締めくくります。

《私は、猶進んで国語文法の全般に亙つて体系付けるべき責任を感ずる。併し乍ら、国語の文法研究の重要傾向である単語の系列の認識といふことは、猶開拓の余地ある未墾の原野である。それは猶多くの発見的努力を要する。単に理論の演繹を以ては進むことが出来ない。国語現象への沈潜と、国語に対する深い洞察を俟つて始めてよくする処である。私は、只従来の品詞分類に疑を挿み、その因由を明らかにすることを以て筆を擱かうと思ふ》(同上)

 このように時枝は、結論として、これまでの「系列」重視の文法の内容を精査して、そのうえで文の内容を重視した新たな「位格分類」の構築へとつなげていくと、その決意を語っています。ところで時枝が新しい詞辞論を構築する際、以上のような「系列」に対する「脈絡」「位格」という視点の獲得が、新しい「話者」概念構築のために役立った可能性はあると思います。なぜなら、「主語」とも「主格」とも違う文を作り出す人、表現主体としての「話者」という視座に立ったとき、初めて文の内容に即した品詞分類が可能となるかもしれないからです。「柱」を「柱」として認識するためには、そもそもそれを認識する人自体も新しい視座に立つことを要求される、というわけです。もしかすると、時枝が翌年に構築した新しい詞辞論は、「系列」的分類と「位格(脈絡)」的分類をと「全般に亙つて体系付け」ようと企図したところに、成立したのかもしれません。
(2022年11月3日脱稿)

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[注]

(1)     時枝誠記「国語の品詞分類についての疑点」(『国語と国文学』1936年10月【脱稿は1936年7月30日】)。
(2)     山田孝雄『日本文法論』465頁。
(3)三浦つとむは、日本語の「体言」と「用言」が形式上の差異に基づくものとして固定化された歴史的な経緯について、次のように述べています。

《実体を把握し表現する〈名詞〉には語形の変化はないが、属性を把握し表現する〈動詞〉〈形容詞〉には語形の変化がある。内容上の〈体〉と〈用〉とが、形式上の固定と変化に対応している。そして一方では、同じように〈詞〉に属する語であって、語形変化しない点で〈名詞〉と同一でありながら、実体以外のものを把握し表現する語が少なくないのである。たとえば「きれい」「おだやか」など、橋本文法で〈形容動詞〉の語幹とされている語は、属性を把握し表現しているにもかかわらず、語形変化が存在しない。〈助動詞〉「だ」を連結して「きれいだ」「おだやかだ」と表現するが、〈形容動詞〉説ではこれを語形変化すなわち〈活用〉だと強弁している。また、〈代名詞〉には実体に担われる関係のみを表現する「こ」「そ」「あ」「ど」などが存在し、「〔こ〕の男」「〔そ〕の問題」のように使われている。「これ」「それ」というときは、担い手である実体を「れ」と表現して複合語になっているから、〈体の詞〉に入れてもすむが、単独で使われる場合には〈体〉を表現するものでないことはもちろん、〈形状〉や〈作用〉を表現していないことも明白である。それで朖の言語四種論では、〈詞〉のどこへも入れられないために、苦しまぎれに〈てにをは〉すなわち辞に入れている。この分類は論理的強制の結果だけでなく、〈代名詞〉が話し手と対象との関係すなわち超感性的な存在を扱うために、山田と同じように主観のありかただと錯覚する、認識論的なふみはずしを伴っていたものとも考えられるのである。さらに問題になるのは、〈動詞〉〈形容詞〉が実体的な把握の表現に移行する事実である。「ながれ」「ころし」「ひかり」などの〈動詞〉の連用形は、そのまま属性の実体的な把握の表現に使われているし、「くろい」「あたたかい」などの〈形容詞〉も、語幹の部分が属性の実体的な把握の表現に使われている。山田もこの事実をとりあげて、「かく属性を以て一の概念として取扱ふことは吾人の日常に起る所なるが、かく一の概念として取扱ふ以上これを言語にて発表せるものは一の体言として取扱はるべきはいふを待たざるなり。」と述べている。さきに見たように、〈自立語〉を〈概念語〉と〈陳述語〉に区別したのも、このような「概念として取扱ふ」語を考慮に入れてのことと思われる。この場合に、属性を属性としてとらえて表現する語と属性を実体化してとらえて表現する語とを正しく区別し、形式は同じでも内容の変化があると理解すればよいのだが、認識論的に内容の変化を説明できなければ、語形変化をする語が語形変化をしない語になったと、形式的に説明するよりほかしかたがない。
 このように、客体的表現に属して語形変化をしない語でありながら、対象が実体でないものが多種多様に存在し、それらを何とか分類する必要に迫られるのである。〈体〉〈用〉では分類不可能なのである。そこで〈体言〉〈用言〉は内容上の分類としての有効性を持たなくなり、それが形式上の変化に対応しているために形式上の区別をさす語に流用され〔固定化〕されたのである》(三浦つとむ『認識と言語の理論 第三部』84~86頁。太字は原文。〔〕内は原文では傍点)
(4)山田孝雄『日本文法学概論』147~149頁。
(5)こうした時枝における用言の陳述性に対する疑問は、時枝が初めて零記号の考えかたを披露した1937年の論文「語の形式的接続と意味的接続」をへて発展していき、そうしてついに1939年の論文「言語に於ける単位と単語について」において、用言における陳述性は完全に否定されることになります。

《概念語(詞)と観念語(辞)との二大別の原理は、詞辞の下位分類に就いても猶厳重に守られねばならない。即ち、詞の中には絶対に辞の概念を含めてはならぬことである。以下そのことに就いて一言加へて置かうと思ふ。詞と辞との意味的関係は、例へば「雨が」と云ふ連語をとつて見るに、「雨」及び「が」と云ふ各々の単語は、(中略)辞(が)は、詞(雨)を包む関係に立つて居る。換言すれば、主観が客観を包んで居るのである。国語に於いては、詞と辞は容易に分析し得る形に於いて結ばれて居るのが常であつて、例へば「降れ・ば」「花・は」「咲け・ど」に於いて見る如くである。かくして分離された詞は、それだけに就いて見れば全く主観の規定のない純粋の概念のみの表現である。この点、詞と辞が一語の中に融合して、例へば格の如き主観の規定が屡々一語の中に分析不能の形に於いて結合して居る印欧語のあるものと著しく相違する点である。そこでは純粋の概念と主観の規定を表す音声形式を分離して考へることが不可能となつて居るのであるが、国語に於いては右の如く線状的に連結して居るのが常態である。従つて判断的陳述を表す処の、文としての「降る」「寒い」といふ表現も、陳述が「降る」「寒い」に累加して居ると考へるよりも、或はこれらの語が本来陳述作用を表すものであると考へるよりも、次の図の如く、
  「降る」■
  「寒い」■
零記号の陳述■が、「降る」「寒い」と云ふ語の外から、これを包んで居ると考へるのが妥当であると思ふ。このことは、「雨が降る」という文に於ける陳述の表現を考へて見れば了解出来ることであつて、それは「降る」のみに添加するのでなく、次の図の如く、
  「雨が降る」■
全体を包摂する関係にあると見なければならないからである。かく考へるならば、詞としての「降る」「寒い」等の語は、主観の規定を離れた純粋の概念として見なければならない。かくして、「山」「降る」「高し」「あはれなり」は、その過程的形式としては斉しく概念過程を経た処の詞であつて、その点に就いては差異を見出し得ないのであるが、只それらが他の語と接続する際の語形に相違を見出すことが出来る。体言、用言、更に用言中に動詞形容詞形容動詞等をかくして類別することが出来るのである。以上の意味に於いて、近世の国語学者が用言を専ら動く言、体言を動かぬ言として認めたことに深い理由を見出すことが出来ると思ふのである。用言を以て陳述を表す語と考へるのは純粋に概念的なものに、辞としての要素を加へて考へることになるのであるから、その時は既に詞としての用言を見て居るのでなく、詞辞の結合したもの即ち文を見て居ることになるのである。用言を単語として考へる限り、それは純粋に概念的な詞としての用言を考へなければならない。以上のことは、述語的陳述に於いてばかりでなく、装定的陳述に於いても通ずることである。例へば「春の雨」に於ける「春の」は「雨」を装定するのであるが、それは、「の」が「春」を包む関係に立つて居る為であつて、詞(春)辞(の)の結合によつて始めて装定的陳述が成立するのである。これを分解して、「春」のみを詞として考へる時は、それは純粋に概念的表現であつて、用言と比較して接続の語形を異にする処から体言と云ふことが出来る。同様にして、「淋しき雨」「降る雨」に於ける「淋しき」「降る」を装定的陳述と考へる限り、それは詞としての「淋しき」「降る」に装定的陳述を表す零記号の辞が添加したものと考へて居るのである。(中略)
 …故に詞としての「淋しき」「降る」は、全く純粋に概念的なものとして考へるべきであつて、述語的陳述より分析されたものと異る処はその語形である。ここに、連体形、連用形の如き活用形の系列が認められるのであるが、それが専ら形式的系列であつて、職能的系列でないと云ふことは、体言用言の類別と同様に、以上説く処によつて明らかになつたことと思ふ。国語に於いては、一個の詞としての用言例へば「降る」「寒い」のみを以て文と考へることが出来るのは、用言が陳述を兼備して居るが為でなく、詞としての用言に、無記号の陳述が連結する為である》(時枝誠記「言語に於ける単位と単語について」【『文学』1939年3月[脱稿は1939年2月2日]】太字は引用者。〈「降る」■〉〈「寒い」■〉〈「雨が降る」■〉における「降る」「寒い」「雨が降る」は原文ではそれぞれ「」ではなく□に囲まれている)
(6)山田孝雄『日本文法学概論』663~671頁。


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