親と子、それぞれの自立と互いを思う気持ち
親子関係や特に母娘関係については、自分が親になると、むしろ子供の立場から考えるようになった。
いくつかの面で、母親の接してきたように私は接しない思いは幼少期から持っていて、それは異国の文化で過ごしたことにも起因するのだろう。30代での母への反抗心はずいぶんこじらせてしまったと思う。
でもどうすれば良いのかについては意識的でないと、「そうしないぞ」と強く思うだけでは極端になり、正しいか正しくないかや優劣の問題を生んでしまう。そうできなかった時の自分も責めるだろうし、それはそれで子供に対しての問題を抱えるものとなるだろう。つまり漠然と「そうしないぞ」の気持ちだけを頑なに持つのは、表裏一体。
そして無意識の面では、やはり親の接してきたように接するし、それが子供にとっては、子供の頃の私と同じように「どうでもないこと」と受け取れない場合もある。
本を読んでみたり、親子カウンセラーの勉強をしてみたり、熱心だった10年間ほどを思えば、今の私はずいぶん落ち着いたのかな。
子供が20歳超えてようやくわかってきたのは、50歳すぎた私にも「自分の子供は可愛いのよ~」と笑う母親の気持ち。だって20歳の私はすっかり大人の気持ちで、精神的にも自立していたつもりだった。当時はあえて親から離れ、自分の気持ちや考えをめぐらせ。
そうしないと互いに気づかないこともあるし、きっかけとして必要とも思う。
でもそんな風に目に見えるものだけじゃなくて。子供が独自の個性、考えを自分で認めて、あらゆる決定を自分でできている実感があり、親には属さない気持ちを持っていれば、それが自立と言えるのではないかしら。
親にとっては子供って、自分と似た感覚で似た趣味嗜好なのかなと想像するところから始まる。私はこうだったし。とかね。この子は自分と全然ちがう個性を持っていると幼いころに気付いていても、どこか子供の好みや個性、感じ方を決めつけている部分てある。コントロールなんかしていない、だってこの子は私のわかる範囲にない、コントロールできない子だもん。と思っていても。
そして意識的に子供を切り離していっていたつもりなのに、ある日突然「僕は親とは違うんだ」なんて言われてしまう。
「線引いていたはずなのに」と、最初は自分にもショックを受けるのだけど、そこでようやく「ああそうか。まだまだ私は、子供をコントロールできると思っていたんだな」と気づく。日常の中の些細な判断や選択から。「こうするでしょ」って勝手に思いこんでさっさと物事を進めてしまっていたとかね。
私にとっては、そこからようやく本当の子離れが始まったので、そんな風に伝えてくれた子供に感謝したい。
ただどうしたって親子なのだよね。それは私が子供の立場でも思う。そうじゃない家庭もあるだろうけれど。
親については頭のすみに必ずあるし、子供の前ではついデレデレしてしまう自分に気付く。
こんなことを書いているのは、フォローしている長谷川知美さんの記事を読んだから。
ちょっと前に、親御さんから贈り物と手紙が届いたことと、その時に感情が乱されたようなことだけが書かれていた。
そしてその数日後、その気持ちについて。
子供って、親に反抗したり離れたりすると申し訳なく思ってしまう。子供は、親に言われた言葉をいつまでも覚えていたり、その呪縛からなかなか離れられなかったりするもの。だから私も親を傷つけてしまったと心をいためる時もある。
でも親は子供が自分に強い言葉を向け、心が離れていくのは、その子の歩む道だとわかっているから、それを受けいれようとがんばれる。そして子供にキツイ言葉を向けられて傷ついても、長くてせいぜい数か月で乗り越えられたり気持ちが薄まったりする。親は親で自分のダメなところがわかっているわけだし。
だから親に強い言葉を向けることを、ずっと申し訳なく思わなくて良いのよ。子供側で葛藤している人たちに強く思う。
私も30代で反抗した頃の言葉をすごく申し訳なく思って、その後もその葛藤を引きずったけど、ある日母に言われた。「かせみは、ずいぶんひどいこと言ったと思ってるのねー」ってまるで「そんなことあったっけ。蒸し返さなくて良いのよ」と言わんばかりだった。
さんざん本で読んではいたけど、私も息子に対してそんなものだなと実感している。
さらに知美さんのお母さまのお手紙で「お母さんをやめる」のような言葉があったことについても少し。
私が親に一番反抗的だったのは、自分が思春期以上に、息子が生まれてから7~8歳くらいまでの頃。それでも東日本大震災が起きて避難したくなった時、電話したら「えっ。明日? 来たくなったらいつでも来たら良いのよ。私たちはいつでもウェルカム!」と言ってくれた。
あのころ、避難するしないでこちらの人たちが考え方が分かれたり、ちがう判断をした人の悪口言い合うのを耳にしたりしていた。そんな中、時には気持ちがすれちがったりなんかしても「会えるなら何でも良いよ~」の気持ちってありがたいなと知った。
何かあった時に味方になってくれるのが親。安心できる場所がある。そしてそういうものがある方が、精神的に自立できる気がする。
なんだか矛盾しているようだけど、帰る場所があるから旅立てるってイメージかしら。
子供には快適で自由でいてほしいから、親から離れて暮らしたら良いけれど、帰りたければ帰ってきて良い。好きなようにしたら良いけれど、自分で自分の面倒を見られるようになってほしいから、私たちに縛られないでね。
「ウチはそんな親じゃない」って家庭があるのも承知しているけど、知美さん親子は、そこまで問題なく見えていたので、親にとってもそんな感覚かなあって。
「お母さんをやめることにした」をわざわざ伝えてきた真意は、本人にしかわからない。
「子供に世話を焼く母親」の意識が今まではあって、充分してきたから良いだろうと手放したい気持ちなのかもしれない。
それよりもっと強い気持ちで、疲れたのかもしれない。
葛藤はあったにしても、単にもう贈り物はやめるね。もう良いでしょ。の意味かもしれない。
そしてそれも含めて、互いに「自分の思うようであるはず」の気持ちがあったのをやめようってことなのかもしれない。
そういうのって、「切り離して考えるよ」もっと言えば「個人として尊重するよ」の意味に取れなくないだろうか。
願わくば、親は子供に何か伝える時、何故そうするのか理由など説明をいとわないと良いな。大好きなのは変わらないって気持ちと一緒にね。
みんなそれまでの自分(なんなら昨日までの自分)とも少しずつちがう自分を感じていると思うのだけど、今の自分と、どこか昔の自分の感覚て共存できる。そんな自分でまたそのうちに親子で話せたら良いんじゃないかなって思うのだ。
普段の知美さんは淡々と日常風景やお仕事について書いておられます。同世代なので、若いころの話も懐かしく感じて楽しく読んでいます。
今回は憶測の上で自分の感想を書いてみました。見当はずれかもしれないけど、少しでも気持ちが軽くなると良いな!
読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。