伊藤 克己

歴史学。日本温泉史を勉強しています。日本温泉文化研究会。目下、温泉史における学際的方法…

伊藤 克己

歴史学。日本温泉史を勉強しています。日本温泉文化研究会。目下、温泉史における学際的方法論を模索中。温泉関連文化財の保護と博物館に於ける展示についても。最近は①温泉と歴史的な火山噴火や地震、②活火山周辺の地獄地帯とその宗教性、③温泉史における性と性の意識にも強く関心を寄せています。

最近の記事

講座『日本温泉史概論』第Ⅰ期 古代中世篇 序説:温泉史の見方

2022年5月8日(日) 講座『日本温泉史概論』第Ⅰ期 古代・中世篇    序説:温泉史の見方 ≪はじめに-序説の目的とその前提≫ ◎笹本正治氏(長野県立歴史館 特別館長)が2021年12月15日(16日)にFacebookへ投稿された「歴史の見方」の内容を検証しながら、これからの「温泉史の見方」について考える。 SNSに於ける個人の発言に基づく議論の適否 ⇒ 近年、特定の個人によるFacebook等SNSに於ける発言が、時に公的(正式)なものとして取り上げられつつあるこ

    • 入込湯をめぐって-混浴の歴史学・民俗学・社会学

      2022年7月3日(日)に開催された温文研『温泉 井戸端会議』に於いて提供した話題について、その上っ面の内容をTwitterで呟いておきましたが、ついでですので、こちらにも転記しておきます(一部改変)。 なお、詳しい論につきましては、後日こちらを書き換えることでお知らせしたいと思いますので、暫しお待ち下さい。 かつて温泉では、男性は褌(下帯)、女性は湯巻(腰巻)姿で入込湯(混浴のことだが、温泉場では現代的な男女よりも貴賤=様々な身分の人たちが同浴するのが入込湯と観念されてい

      • 温文研「温泉 井戸端会議」話題提供資料

        温泉史発掘-兵庫県川西市 多田(平野)温泉の史料から           2022年4月17日(日)16:00~ on-line           日本温泉文化研究会「温泉 井戸端会議」(その2)           話題提供者:伊藤克己 1,話題提供の意図                                    “忘れられた温泉”と“忘れられようとしている温泉”と「温泉史の責任」 2,多田温泉(平野温泉)とは 所 在 地:兵庫県川西市平野3丁目 涌

        • 2021年3月27日(土)日本温泉文化研究会オンライン談話会の話題提供資料「温泉とハンセン病」

          去る3月27日にオンラインで開催された日本温泉文化研究会オンライン談話会の話題提供資料(担当:伊藤克己)を貼り付けておきます。これらのテーマについて、時にそれを逸脱して、活発な議論・会話がなされました。 ①「温泉と癩病」は日本温泉史課題であると同時に、世界(温泉)史的関心and課題でもある。 参考文献) 1)ウラディミール・クリチェク(種村季弘+高木万里子訳)『世界温泉文化史』(国文社、1994 年) 2)アルヴ・リトル・クルーティエ(武者圭子訳)『水と温泉の文化史』(三

        講座『日本温泉史概論』第Ⅰ期 古代中世篇 序説:温泉史の見方

          南面利の湯

          旧 日本温泉文化研究会HP「研究余録」2013年4月25日記 最近の日韓関係をめぐる報道や、ここ数日の間の政治家による発言を聞いていて、ふと思い出した温泉地があります。東日本大震災の直前に訪ねた、大阪府和泉市の山間部にある「南面利(なめり)の湯」です。泉源は今も健在で、訪れた時もブクブクと泡を立てて二酸化炭素泉(炭酸泉)が湧き出ていたのですが、湯治場としての役割はとうに終えています。ならば「南面利の湯跡」と言うべきでしょうか。かつては“鳥地獄”とも呼ばれていたそうで、正しく

          南面利の湯

          磐嶺浴湯信士

          旧 日本温泉文化研究会HP「研究余録」2013年4月29日記 もう随分前のことになります。2006年7月の末、会津磐梯山を間近に望む福島県耶麻郡磐梯町の能満寺という真言宗のお寺を訪ねました。磐梯町発行の『磐梯町史』を眺めていたところ、この能満寺にあるという一基の墓石に関する記述に目がとまり、ぜひ実物を見たいと思ったからです。その墓石は、「磐梯の湯」(磐梯温泉)で湯治中に客死した人を弔うために建てられたと書かれていました。 この『磐梯町史』の記述に目がとまったのは、その頃、

          磐嶺浴湯信士

          秋田県湯沢市の噴泉塔

          旧 日本温泉文化研究会HP「研究余録」2013年3月1日記 本会HPでもお知らせしているように、日本温泉文化研究会(温文研)は温泉に関係する学術的な興味を、学際的に共同研究する目的で設立されました。温泉に関心を有する研究者(本会で言う研究者とは肩書にかかわらず学術論文が書ける方のことです)であれば、分野を問わずご参加いただいております。ただ、会員数は漸増傾向にはあるものの、自然科学系の研究者が医学分野を除くと1人も所属されていないのが現状です。ぜひ自然科学が専門の方にも、温

          秋田県湯沢市の噴泉塔

          温泉と「癩」

          旧 日本温泉文化研究会HP「研究余録」2013年2月19日記 2010年6月に刊行された本会編の『湯治の文化誌 論集【温泉学Ⅱ】』(岩田書院)に、「江戸時代の温泉と「癩病 」-適応・禁忌と泉質・湯性-」という論文を掲載してもらいました。この拙論は、2003年に熊本県の黒川温泉で発生した「アイスターホテル宿泊拒否事件」(黒川温泉事件)に関する私自身の反省を込めて書いたものです。宿泊拒否事件の詳細については、ハンセン病問題に関する検証会議編『ハンセン病問題に関する検証会議 最終

          温泉と「癩」

          食塩泉と鹿

          旧 日本温泉文化研究会HP「研究余録」2012年12月24日記 NHK日曜日の番組、『ダーウィンが来た!』より。先月25日(日)の放送は、“ボルネオ熱帯雨林・魔法の泉に動物大集合!”というタイトルでした。ボルネオ島のジャングルの中に、数ヶ所の湧水、というか水たまりがあり、そこには確認されているだけでも32種類の動物が集まってくるそうです。マレーシア・サバ大学の松林尚志氏が発見した場所で、ここを彼は「塩場」と呼んでいました。そう、ここの湧きだす水は、高い濃度で塩分を含んでいる

          食塩泉と鹿

          「入浴逝者之塔」の造立年

          旧 日本温泉文化研究会HP「研究余録」2013年6月26日記 『温泉をよむ』の校正をしていた時のことです。原稿に、草津温泉(群馬県吾妻郡草津町)の光泉寺(真言宗豊山派)境内にある「源頼朝公開創以来入浴逝者之塔」の造立年を「明治33年」と記したところ、編集者がこれを改めて「明治38年」とゲラに書き込んできました。根拠は、光泉寺さんのウェブサイトとのことです。確かに閲覧すると、「明治38年」となっています。慌てて、以前光泉寺さんに参詣した折にいただいたリーフレットを見直したとこ

          「入浴逝者之塔」の造立年

          藤垈の滝

          旧 日本温泉文化研究会HP「研究余録」2013年5月2日記 富士山の、世界文化遺産登録が確実になったようです。新聞各紙でも大きく報道されていますので、ここは日本国民の一人として(さらには山梨県人の血を半分受け継ぐ者として)素直に喜ぶべきなのでしょう。ですが、どの記事を読んでも、観光面ばかりが強調されていて、本来あるべき「保護」の観点が完全に欠落しているように思えてなりません。山梨県や静岡県が検討している「入山料」を徴収すれば、登山者数の抑制となり、保護が可能になるかの如き論

          多田温泉のこと

          旧 日本温泉文化研究会HP「研究余録」2013年7月19日記 数日前から、江戸時代に京都で活躍した医師・香川修庵(1683‐1755)の著作に再度目を通しています。言うまでもなく、修庵による「温泉論」の中核をなすのは『一本堂薬選続編』の「温泉」項なのですが、彼は他の著作でも温泉について言及しており、それらも含めて総合的に理解する必要があると考えているからです。 なぜ『一本堂薬選続編』の中に「温泉」項を含めたのか、その本当の理由も知りたいと思っています。まさか大和高取藩の藩

          多田温泉のこと

          飯坂温泉の滝の湯

          旧 日本温泉文化研究会HP「研究余録」2013年7月15日記 今ではあまり見かけなくなってしまいましたが、かつてはほとんどの湯治場に「滝の湯」、すなわち打たせ湯を設えた浴場がありました。入り湯(全身浴)と共に、日本の「湯治」文化(温泉療法)を代表する浴法です。その始まりがどの時代まで辿り得るのか、調査はこれからですが、天正10年(1582)に成立した『箱根権現縁起絵巻』の「伊豆山走湯大権現」の場面には、滝湯がすでに描かれており、かの豊臣秀吉が慶長3年(1598)に有馬温泉で

          飯坂温泉の滝の湯

          温泉地名の宛字と夏油温泉

          旧 日本温泉文化研究会HP「研究余録」2013年6月18日記 江戸時代後期になって、盛んに板行されたいわゆる「温泉番付」。たとえば文化14年(1817)の『諸国温泉功能鑑』に記載される92湯(行司・差添・勧進元の5湯を除く)を見ると、宛字を以って表記された温泉地名がいくつかあることに気づきます。以前に、この研究余録でも話題にした「徒見」(勝見)もその一つです。他にも、「但州木の埼湯」(城崎)や「肥後山家湯」(山鹿)、「濃州下良之湯」(下呂、濃州は飛州の誤りで温泉番付には所在

          温泉地名の宛字と夏油温泉

          馬杉温泉のこと

          旧 日本温泉文化研究会HP「研究余録」2013年6月10日記 江戸時代中期の京都の医師香川修庵が『一本堂薬選続編』(「温泉」項)で示し、それをほぼ踏襲する形で八隅蘆庵が『旅行用心集』に掲げた全国の温泉地約300箇所は、江戸時代中期から後期に於けるその全体像を知る上で一定の手がかりを与えてくれます。何処に、何という温泉が所在したのか。もちろん、修庵自身が同書中で告白しているように、ここで採り上げた温泉場の中には、彼が実際に訪れた場所の他に、門人や出入りの諸国商人からもたらされ

          馬杉温泉のこと

          民俗学者は、温泉に関心がない?

          旧 日本温泉文化研究会HP「研究余録」2013年2月24日記 民俗学について思うことを。民俗学は、温泉を知る上でとても大切な学問分野の一つだと思います。ところが、柳田國男や折口信夫はもとより、現在に至る研究史を見回してみても、民俗学から温泉に関わる積極的な発言はほとんどみかけません。民俗学からは、一顧だにされていないようなのです。 私が知らないだけかもしれないと思い、日本民俗学会のHPで「温泉」をキーワードに機関誌『日本民俗学』掲載の論文を検索してみました。ヒットしたのは

          民俗学者は、温泉に関心がない?