藤垈の滝

旧 日本温泉文化研究会HP「研究余録」2013年5月2日記

富士山の、世界文化遺産登録が確実になったようです。新聞各紙でも大きく報道されていますので、ここは日本国民の一人として(さらには山梨県人の血を半分受け継ぐ者として)素直に喜ぶべきなのでしょう。ですが、どの記事を読んでも、観光面ばかりが強調されていて、本来あるべき「保護」の観点が完全に欠落しているように思えてなりません。山梨県や静岡県が検討している「入山料」を徴収すれば、登山者数の抑制となり、保護が可能になるかの如き論調も、気になります。昨日は山梨県にいたのですが、観光面で受益者となる同県の地元新聞では、これでもかというくらい、紙面を割いて報じていました。

もっとも昨日いたのは、富士山からはだいぶ離れた笛吹市(旧:境川村)の「藤垈(ふじぬた)の滝」という所です。藤垈の滝は、江戸時代から頭痛への効能が謳われた治療の場でした。今は数か所の泉源から水を導いて太い木を刳り貫いた樋に集め、そこから8本の竹筒を伝わって落下するように仕掛けられています。高さは目視で150センチといったところでしょうか。浴者は座して滝に打たれるのでしょう。清冽ではありましたが、湧出してから落下するまでに多少の時間を経ていることから、滝つぼに手を入れても、さほどの冷たさは感じませんでした。かつてこの滝には、温泉の滝湯(打たせ湯)と同じように、多くの病者が治療のために集っていたようです。

藤垈の滝については、宝暦2年(1752)頃に野田成方という甲府勤番の武士が著した甲斐国の地誌『裏見寒話』の「温泉」の項に記載があります。「○藤垈 府中より三里 温泉に非す、瀑布也、石の不動あり、此瀧にて頭を打せれは生涯頭痛を患すと、此処は山の蔭にして日の影を見す、其水の冷かなる事譬へなし六月炎天に行く、土用中綿入を着て凌くと云り、予此事を瀧野為伯〔官医〕に問ふ、答て云、理に於て頭痛を治すへき謂なし、却て暑中冷水を浴て、疲疾痢疾を患ふる者間々有と云」。「温泉」の項目に含めておきながら、「温泉にあらず」とは如何なものかと思いますが(実はこのような言い回しの中にも、江戸時代の「温泉」観が潜在していると考えられます)、これによればこの滝に頭を打たせると、生涯頭痛を患うことはないそうです(禁忌とする意見を紹介)。また、真夏であっても、水の冷たさのあまり綿入れの着物で凌がねばならないとも書かれています。

ちなみに、文化11年(1814)に完成した『甲斐国志』には、「一、薬泉 大久保村ノ不動林ノ中ニ在リ、夏月ハ岸頭ニ小筧数十枚ヲ設ケ、以テ其ノ水ヲ平分シ飛泉オ為ス、浴痾ノ者皆ナ其患処ヲ以テコレニ当ツ、一浴スレバ戦栗〔慄ヵ〕ニ堪ヘズ、乃チ出走リテ身ヲ炎天ニ曝シ温メテ又入浴ス、上衝・頭痛等ノ症ニ宜シト云フ、夏中ハ浴客多し」と見えますので、炎天に曝すことで冷えた体を温めた人もいたのでしょう。大分県の寒の地獄温泉で現在も行われている入浴法(冷泉に浸かって冷えた身体をストーブで暖める)は、しばしばこの地独自のものと言われますが、実はそうではなく、かつては他でも似たような浴法が行われていたのです。

藤垈の滝周辺は、現在「藤垈の滝 大窪いやしの杜公園」として遊歩道などが整備されており、隣接して萬亀山向昌院という曹洞宗の禅寺があります。藤垈の滝は、同院の境内地です(現在については確認していません)。 かつて拙稿で、曹洞宗は温泉や湧泉(広義の「水」)に敏感に反応したことで、中世後期以降全国に教線を拡げた、と論じたことがありましたが、この藤垈の滝と向昌院についても、その事例の一つと言えるのかもしれません。

これは去る3月の研究集会における卒論発表、浦綾乃さんの「近世温泉の支配について-甲斐国黒平温泉を例に-」に関連する質疑応答の中で、精神科医でもある近藤等氏から教えていただいたのですが、藤垈の滝はかつて、精神疾患にも効果があると宣伝され、多くの患者が訪れていたそうです。

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