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入込湯をめぐって-混浴の歴史学

2022年7月3日(日)に開催された温文研『温泉 井戸端会議』に於いて提供した話題について、その要旨をTwitterで呟いておきましたが、ついでですので、こちらにも転記しておきます(一部改変)。
なお、詳しい論につきましては、後日こちらを書き換えることでお知らせしたいと思いますので、暫しお待ち下さい。

かつて温泉では、男性は褌(下帯)、女性は湯巻(腰巻)姿で入込湯(混浴のことだが、温泉場では現代的な男女よりも貴賤=様々な身分の人たちが同浴するのが入込湯と観念されていた)に入湯していた。「貴賤道俗男女」という観念。
そのような姿を、恐山から別府まで、絵画史料と文字史料から紹介した。町の銭湯では江戸時代の中頃?までは男性も女性も湯文字(下帯と湯巻き)を携えて赴き、入浴前につけ替えるのが当たり前だったが、その内、湯文字にかわって「手拭い」で「前を隠す」ようになった。その風習は都市に近い温泉地でも、例えば箱根芦之湯温泉などでは手拭いによる前隠しによって男女が入り込んでいた様子がうかがわれるが、地方では史料で確認したように幕末までは下帯と湯巻きであった。広島の湯の山温泉の事例では、昭和の前期までは継続している。女性の乳房は性的な対象ではなく、胸を隠す必要がなかったことで、このような“伝統的”な混浴慣習が生じた。
ちなみに、「貴賤道俗男女」というのは江戸時代の社会的な身分観念、というか区分。これらの人々が同一の浴場に、同時に入浴するのが「入込湯」と呼ばれる。貴賤の区分は不明確だが、昨日紹介した美作の湯郷温泉その他では厳密に定義されていた。道俗は宗教者(寺の住職など)と俗人。

これが、日本の温泉場における“伝統的”な混浴の姿であった(Twitterをご覧下さい)。また(男女の混浴)が行われるようになった背景として、前近代(ボールング掘鑿以前)の温泉地における温泉湧出量のこと(複数の湯槽を設置するだけの湯量があるかどうか)、温泉に赴く湯客の男女比のこと(かつて旅館やホテルの女性浴室は、男湯に比較して極端に狭いことが多かった)。
また、ある意味これがともて重要な要因になるかもしれないが、温泉の本質は湯治であり、病人や高齢者等が療養保養に訪れることも多く、男女の付添や介助が必要な場面も多々存した(筆者は実際に何度か見かけている)ことも、混浴が必要とされる背景となっていたのではないかと指摘した。

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