2021年3月27日(土)日本温泉文化研究会オンライン談話会の話題提供資料「温泉とハンセン病」

去る3月27日にオンラインで開催された日本温泉文化研究会オンライン談話会の話題提供資料(担当:伊藤克己)を貼り付けておきます。これらのテーマについて、時にそれを逸脱して、活発な議論・会話がなされました。

①「温泉と癩病」は日本温泉史課題であると同時に、世界(温泉)史的関心and課題でもある。

参考文献)
1)ウラディミール・クリチェク(種村季弘+高木万里子訳)『世界温泉文化史』(国文社、1994 年)
2)アルヴ・リトル・クルーティエ(武者圭子訳)『水と温泉の文化史』(三省堂、1996年)

温泉と癩 事例)イギリス エーボン州:バース(Bath)
紀元前800年頃(863年ともされる)、ブラダッドという王子(イギリス建国伝説ではブリトン人8代目の王、リア王(シェークスピア)の父親)がライ病をかかり、父親の宮殿を追われて豚飼いに身をやつす。自分の飼っている豚にも感染。ある日、熱い湯の湧く土地に豚を連れてくると、豚たちは次々と湯の中に入り、しばらくすると元の元気な姿になって湯から出てきた。そこでブラダッドも入ってみると病気は治った。王子は宮廷に戻り、温泉を中心に街を築いた。
(参考:1755年版『バース案内』、池内紀編著『西洋温泉事情』p16、鹿島出版会、1989年)

温泉と癩 参考)中華人民共和国 陝西省:華清池
『水経注』(3世紀頃に記された河川誌『水経』に6世紀初め頃詳細な注を附して成立)
以下、『中国古典文学大系21 洛陽伽藍記 水経注(抄)』(入矢義高ほか訳、平凡社、1974年初版)p366
「(○上略)池水はまた西北流するが、水の西南に温泉があり、世間ではそれでもって疾病を治療する。『三秦記』に「麗山(※驪山)の西北に温泉がある。祭りをすればその中に入ることができるが、祭らないで入ると人の肉を爛れさせる。俗につぎのようにいわれている。始皇が神女と遊んでその意旨にさからった。それで神女が唾を吐きかけて瘡を生ぜさせた。始皇があやまったので、神女は温泉を出してやった。のちの人はそれをそそいで瘡を洗うと。張衡の温泉賦の序に「余、麗山を出て温泉をみ神井に浴し、洪沢のあまねく施すを嘉してこ賦をつくるという」とある。この湯は〔あつくても〕人体をやけどさせるようなことはない。(○下略)」

②日本温泉史に於ける「温泉と癩病」
これまでの研究史(温文研HP「温泉研究文献目録」)⇒ 近代中心
・草津温泉の場合:湯之沢集落から栗生楽泉園へという流れの中での研究
・矢野治世美氏らによる和歌山県 湯の峰温泉と「癩」患者

課題1:古代・中世に於ける「温泉と癩病」研究の可能性
・史料の問題
中世~有馬温泉の場合は古記録中に関連記事が散見。『湯山聯句鈔』なども。
別府(鉄輪)温泉の場合が『一遍義集』や『一遍上人年譜略』などに。
※『一遍義集』(伝 遊行二十一代知蓮上人<1497-1513在位>著)
          ⇒ 近世の成立?
湯の峰温泉と説経節『をぐり』=中世末期には成立していたと考えられる…

課題2:近世に於ける「温泉と癩病」研究の深化

課題3:近現代に於ける「温泉と癩病」研究の深化と新たな視点の可能性
    ・黒川温泉事件に見る「差別」の問題
    ・草津温泉湯之沢集落や栗生楽泉園に於ける「温泉」の位置
    ・各地の温泉と癩患者(近世も視野に)
    ・歴史学以外の学術分野からのアプローチ

参考)イザベラ・バード(時岡敬子訳)『イザベラ・バードの日本紀行』上(講談社学術文庫、2008年1刷)p440「第三三信(つづき) 碇ヶ関にて」
「こちらでの気晴らしの種をほぼ空っぽになるまで使い尽くしてしまいました。気晴らしの種とは、一日に三度川の水量がどれだけ減ったかを見に行くこと、宿の亭主や戸長と話をすること、(○中略)馬を見ること、ハンセン病患者に会うこと-患者たちはこのひどい病を治すとまではいかなくとも進行を食いとめると言われる鉱泉を求めてここに滞在しているのです-、(○下略)」

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