温泉地名の宛字と夏油温泉

旧 日本温泉文化研究会HP「研究余録」2013年6月18日記

江戸時代後期になって、盛んに板行されたいわゆる「温泉番付」。たとえば文化14年(1817)の『諸国温泉功能鑑』に記載される92湯(行司・差添・勧進元の5湯を除く)を見ると、宛字を以って表記された温泉地名がいくつかあることに気づきます。以前に、この研究余録でも話題にした「徒見」(勝見)もその一つです。他にも、「但州木の埼湯」(城崎)や「肥後山家湯」(山鹿)、「濃州下良之湯」(下呂、濃州は飛州の誤りで温泉番付には所在地の間違いがいくつかある)、「豆州朱善寺」(修禅寺)、「津軽倉立湯」(蔵館、現在の大鰐温泉の一部)などが見えます。つまり正確さ、という意味では、かなり問題のある「史料」です。

『諸国温泉功能鑑』をはじめとする温泉番付は、近世後期以降の温泉ブームに乗じて、無雑作に制作販売された簡易便覧です。ですから温泉史の一級史料には成り得ない、といくら目くじら立てて難じたところで、何の意味も持たないことは言うまでもありません。もっとも宛字により、その本来の文字を何と訓じていたかが判ることもありますので(「勝見」を「徒見」と宛てたことで、「かつみ」ではなく「かちみ」だとわかるように)、役立つことも無きにしも非ず、といったところでしょうか。

温泉研究において、江戸時代中期以降、一目置かれた京都の医師・香川修庵の『一本堂薬選続編』(「温泉」項の内「和華温泉考」)や、それを継承する八隅蘆庵の『旅行用心集』では、ほぼ正確に当時の温泉名が記録されています。前にもご紹介したように、修庵が羅列する全国温泉地の中には、門人や出入りの商人からもたらされた伝聞情報が多々含まれているのですが、そこは学者の香川修庵、名称についてはどうやら慎重であったようです。

ところがその中に、こんな文字で表記された温泉地があります。    「外道湯 在和賀郡」                        言うまでもなく、これは宛字です。「外道」とは、狭義には仏教以外の教えを指しますが、「この外道め!」のように、人を罵ったり見下す時にもしばしば用いられ、その語感にはマイナスのイメージが染み込んでいます。きっとこの温泉地の人たちは、嫌な思いをされたのではないでしょうか。ちなみに「外道湯」とは、岩手県北上市の「夏油温泉」のことです(現在は、「げとう」と発音していますが、かつては「げどう」と濁って呼ばれたことを、あるいは反映しているのかもしれません。単なる憶測ですが)。

夏油温泉は、北上山地の山深い所にあり、今もかつての湯治場風景をとどめていることで知られています。その夏油温泉の近くには、国指定の特別天然記念物「夏油温泉の石灰華」があります。北上市教育委員会が設置した解説板によると、これは国内最大の石灰華ドームで「天狗の岩」と呼ばれ、高さは約18メートル、下底部の径が25メートル、頂上部の径は約7メートルあるそうです。石灰華ドームは、湧出した源泉から析出する炭酸カルシウムが沈殿することによりドーム状に成長したもので、一見しただけでは普通の巨岩と見分けがつかないかもしれません。温泉に含まれる成分の凄さを、この目で実感できる、まさに自然の造形です。

【附記】2020年9月30日記                      後程、ツイッターに夏油温泉と国指定特別天然記念物「夏油温泉の石灰華」の写真を貼っておきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?