食塩泉と鹿

旧 日本温泉文化研究会HP「研究余録」2012年12月24日記

NHK日曜日の番組、『ダーウィンが来た!』より。先月25日(日)の放送は、“ボルネオ熱帯雨林・魔法の泉に動物大集合!”というタイトルでした。ボルネオ島のジャングルの中に、数ヶ所の湧水、というか水たまりがあり、そこには確認されているだけでも32種類の動物が集まってくるそうです。マレーシア・サバ大学の松林尚志氏が発見した場所で、ここを彼は「塩場」と呼んでいました。そう、ここの湧きだす水は、高い濃度で塩分を含んでいるのです。生命を維持するために必要な塩を、植物を主食とする草食動物が補うためにやってくる。その草食動物を獲物にしようと、肉食動物が集まってくる。肉食動物は、獲物の肉から必要な塩分を摂取できるので、この水は飲まない、等々という説明がありました。ボルネオ島は、かつて海底だったことから地層中に大量の塩分が含まれているため、それが地下水に溶け出すことで海から遠い内陸部にもこのような塩泉が出現したそうです。

日本列島の内陸部にも、NaClを主成分とする食塩泉や、これを含む湧水があります。福島県の会津地方や新潟県、山梨県をはじめ各地に分布しており、温泉地ではことに兵庫県神戸市の有馬温泉や、長野県下伊那郡大鹿村の鹿塩温泉が、海水よりも強い鹹味を有することで有名です。鹿塩温泉を以前訪れた時、泉源井戸から採取した源泉の塩分濃度を家庭用の塩分計で計測してみたところ、3.8~4.1%と表示されました。日本近海の海水塩分濃度は、本州の太平洋側で3.4~3.5%だそうですから、いかに塩辛いか想像していただけると思います。鹿塩では、明治10年代よりこの塩泉を利用して製塩し販売していました。民間製塩の禁止により、一旦途絶えたとのことですが、10数年前に復活したそうです。温泉近くには、旧徳島藩士の黒部銑次郎らが岩塩を採掘するために掘った坑道も残っています(結局、岩塩は見つかりませんでした。現在では、日本列島に岩塩はないとされています)。

この鹿塩温泉には、鹿が舐めているのを見て塩泉を発見したという伝承があるそうです。動物にまつわるこのような発見伝説は、温泉地でもよく聞きます。ただその多くは、ケガをした熊や鹿・鳥・狐などが温泉に浸かって傷を癒している姿を見て、というものです。鹿塩のように、舐めているのを見てというのは珍しい。鹿塩が温泉場となるのは、明治以降ですから、江戸時代以前に於いては「浸かる」ではなく、「舐める」という行為が動物による発見譚として相応しかったからでしょう。ですがもちろん、事実であるかどうかは別問題です。

ただ、ボルネオ島の塩場のことを考え合わせると、あるいは鹿による何らかの事実があったのかもしれない、などと考えてしまいます。温泉地の縁起において、動物による発見が文字に記録されるようになるのは、おおむね江戸時代中期以降で、各地で温泉場が整備され湯治客が増加する時期と重なるわけですが、「鹿塩」という地名は鎌倉時代の歴史書『吾妻鑑』にも登場します。ですから、よくある温泉の動物発見譚とは異なった見方をする必要があるかもしれません。鎌倉時代以前にこの地では、「鹿」と「塩」に何らかの意味があった可能性、といったところでしょうか。

『大鹿村誌』の第5節4「塩の湧出と牧の開発」では、『下伊那郡史』の所説を敷衍して、古代中世にはこの地に「牧」(馬や牛を放牧して飼育する場所で官営牧と私牧があり、前者は律令国家により整備された牧を言う。私牧は摂関系や寺社等が経営した牧)が置かれていたのではないか、と指摘しています。牧の所在地には、「塩」のつく地名が多いことなどに依拠した記述です。馬も牛も草食動物ですから、塩分の補給が必要となりますので、古代中世の史料、あるいは考古学的な資料等から塩泉の湧出が確認できるのであれば、面白い議論を提供してくれるかもしれません。

なぜ、南アルプス(赤石山脈)の山間地に所在する大鹿村の鹿塩に、海水より塩分濃度の高い食塩泉が湧出するのか、まだ確たる理解は示されていません。大鹿村には中央構造線が通り、村立の「大鹿村中央構造線博物館」もあります。この大断層との関係は?。現在有力なのは、有馬温泉や紀伊半島の温泉における湧出メカニズムと同じように、陸側のプレートに沈み込む海側のプレートの脱水作用に注目した学説ですが、これだけですべてを説明することはできない、という研究者の意見もあるようです。もっとも、自然科学系の研究者のほとんどが、通常の湧出メカニズムでは説明できない高濃度の塩分を含んだ有馬温泉や鹿塩温泉を「有馬型」、あるいは「有馬-鹿塩型」と分類しており、ここでは共通の理解がなされているようです。

ついでにお知らせしておくと、赤石山脈をはさんでほぼ真東にあたる山梨県南巨摩郡早川町の奈良田地区にも、江戸時代に「塩井」がありました。この塩泉について『甲斐国志』は、鹿塩から水脈が通じている、と説明しています。水脈云々は別にしても、何らかの関連性あるいは共通性があるのかどうか、とても興味深いところです。

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