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【#3】就活を辞めるまで②~自己分析沼とやりたいこと探し~

どうもくりすです。
このマガジンでは就活を辞めた21卒のその後をほぼリアルタイムで記しています


前回はこちら↓


※2か月前の日記をもとに作成しております。
いま視点のノイズが多少あるかもしれませんが、ご了承ください。


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やりたいこと探し~3月7日~

僕は実家に帰ってきた。
絶対にやらなければならないことは、明確だった。それは次の三つ。

①自分の長所を見つける
②ガクチカ
③なぜ働くのかを追及すること。

もちろんSPIや業界研究も並行して行う必要がある。
しかし、まずはこの三つを明確にしなければ、僕はおそらく就活に失敗する。やるしかないのだ。

こうして、終わりの見えない自己分析が始まるのだった。


やりたいこと探しの総括~3月22日~

翌日には再び東京に飛び立つことになっている。実家に帰ってきて2週間。実家での出来事を記録しておこうと思う。

実家での生活は快適だった。
食材を買いに行ったり、料理を作ったりする必要がないどころか、おいしい料理を毎日無料で食べられるのだ。
お風呂は毎晩沸いているし、洗濯機を回す必要もない。幸せなことである。

自分の時間をより確保できる環境であった。



そこで色々なことを考えた。
就活的な側面、自分の性格、ライフプラン、自分のやりたくないことは何か、など。
過去、現在、未来。ありとあらゆることを考えた。

結論から言うと、謎は深まるばかりだった

徹底的に自分を追求したつもりなのだが、考えれば考えるほど、自分が分からない。


①自分はなぜ働くのか


特に、なぜ働くのかに対する答えが全く見つからなかった

あるいは、どんな仕事をしたいのかということ。


・1日の大半を占めるのだから、自分の欲求を満たしたい。
→欲求は人と仲良くなりたい、自分の創意工夫で結果を出したい、人の役に立ちたい。
仕事はある程度なんでも良いではないか?

・自分がやりたくないことは?
→人の命に関わること、自分が価値を認めていない製品を売ること、やらされる仕事
まだ範囲が広い

・お金、勤務地、職種は?
その場所が楽しいのならばどこでもよい。強いていえば色んな所に住んでみたい。
………。


考えた結果、僕自身が望んでいることはそんなに多くないことがわかった。

つまるところ、心穏やかな生活さえあれば十分なのだ。

自分が幸せで、人を幸せにする。


しかしそれは単純だが、曖昧すぎるのだ。

例えば営業をやりたくない、テレアポはやりたくない、事務はやりたくない、肉体労働はやりたくない。
といったことが本来の仕事の絞り方として適切なのだろう。

しかし、僕はやったこともないことで絞れなかった。かといって特段やりたいこともない。
完全に沼である。

そもそも、楽しそうな社会人自体、あまり見かけなくないか…? 就職は幸せなのか…?とすら思っていた。


②ガクチカ

続いて、就活において核になる部分。
私はサークルの部長を務めた。アルバイトも2年間続け、そこそこ信頼を得ていた。ゼミにも取り組んだ。


これらは熱心に取り組んだことではあるが、ガクチカを書いていてどうもしっくりこない。
なぜなら、ガクチカは「学生時代頑張ったこと」を述べるのは不十分で、面接官にとってこの質問は、「学生時代頑張ったことを社会でどう生かすことができるのか。説明せよ。」だからである。

僕にとって、サークルに力を入れたのはそれが好きだったからでしかない。アルバイトは勤務先の人が良かったからとお金のため。ゼミは単位のため。

「好きなことだから、人が良かったから、やる必要があったから頑張りました。」
それでは通用しないのだ。


僕はただ目の前のことに精いっぱいで、周りに流されて生きてきたのだ。

多くの人はそうじゃないのか。僕は人生経験で劣っているのではないか。そう考えている自分がいて、もっと色々なことに取り組むべきだったと後悔した。


おそらくもう一段深掘りをして、理由を探る必要があったのだろう。
しかしそうしたところで、後悔がある以上、僕は自信をもって自分を売り込むことなどできないのである。
上辺だけでべらべら嘘を並べることは絶対にしたくなかった。

自己PRも同様である。


焦りと本心の狭間で。

このとき僕は初めて、まだ就活・就職をしたくない。と思った。

上であげたように、

・自分のやりたいことがわからないこと
・就職して幸せになれるのか懐疑的だったこと
・自信をもって就活に臨めない

といった理由である。


それでも私は辞めるわけにはいかなかった。
なぜなら、就活は「短期決戦」と散々煽られていたからである。

時間は止まってくれない。こうしている間にもTwitterでは内定報告のツイートが流れてくるのだ。
"自分だけ取り残されるわけにはいかない"
そのときの私には、目の前に続く、一直線の道しか見えていなかったのだ。

焦りの中、僕は再び東京へ飛ぶのだった。

2020年6月


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