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加藤 一友(新刊「砂上のバンドメン」発売中!)
2016年10月31日 11:26
転院先の病院へ持って行く資料と紹介状を待つ。もうすぐGWが来る。それまでには落ち着けたいものだ。資格試験の勉強も再開している。まさか抗がん剤の効果があまりなかったとは想像してなかった。転院先の病院の話では、治療方法はそんなに変わるわけではない。ただ、リンパ節の除去手術になった時に何症例こなしているかで判断した。近い遠いで言えば、転院しない方が楽だ。こんな大切な事を家から
2016年10月24日 14:44
オレは、「転院」を考えていた。それは仮にリンパ節の除去をする時に主治医に何症例扱った事あるかを聞いた時にゼロと言われたからだ。木を見て森を見ずはダメだ。日本中に医師は、たくさんいる。家から近いと言うだけで経験ゼロの医師に頭下げてお願いする事もない。
2016年5月9日 16:02
ドスン!バスを降りようとした時、後ろで音がした。振り返ると、母が倒れていた。バスが少し動いた拍子に段差から転げ落ちた。幸い何でもなかったが、たまに母は転げ落ちる。母が胃がんの時、ある地下駐車場に寄った時に同じような事が起きたのを思い出した。大した段差ではなかったものの振り返ると同じように転げ落ちていた。その時は手術を控えていたので、念のために救急車を呼んで事なきを得た。
2016年5月2日 19:36
外来の帰り道。トボトボと帰路につく。歩いて10〜15分なので、考え事をしながら歩く。病理検査の結果は、母と同席したが、具体的に抗がん剤の話までは出なかった。どう言おうか困ったが、言わないわけにいかないので言うしかない。会社をクビになった事よりは言いやすいかもしれない。同席していたから予想はしているだろうし。薬の説明は、またやるみたいだし。若いし身体を巡るのが早いかもしれ
2016年4月26日 01:00
話が前後してしまうが、手術の病理結果の話が主治医よりあった。4月なのに、随分と冷房の効いた部屋に通された。母も同席している。生まれつきなのか、人生の経験則からなのかオレは物事を最後の最後で悲観的に考えない。受験にしても就職にしても恋愛にしても最後の最後は「どうにかなる」「ダメならその時に考える」という発想でいる。例の如く、今回もそう考えていた。まだ若いし、早期でないと言って
2016年4月11日 07:05
歩けば歩くほど歩けるようになる。食事も出るようになった。と言っても食事とは言えない全粥。ただの汁だ。そう言いたくなる。あれだけ手術と術後を頑張ったのに、ご褒美がこれかと思うと虚しくなる。消化器の病は仕方ないのだが、早く日常に戻りたい一心でそう感じてしまう。ちなみに腹腔鏡手術で切った腸を糸でつないでいると思いきや、ホチキスで止めてるそうだ。もちろん文具店で市販されている