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ただのお節介な上に、さらに自己満か
たとえお互いが両思いだとしても「自分があなたのことが好き」という一方的な両思いの場合、それは自己愛のようなもんで、ただのお節介のようなものとも言えるかもしれません。
でも、愛情を注ぐという行為が「あなたのことを思って」という相手からの反応をちゃんと受け取れている状態で、それがもしお互いの両思いだとしたら、きっと最高なんでしょうね。
例えば、豆腐が欲しいと思って、豆腐がない時。さっと何かの帰りがけに買って来てくれるような。少なくとも、豆腐がないって言ってるのに、相手のハイテンションで不二家のケーキを買ってこられては、最初の頃は「あははー美味しいよね!」と、笑って言えそうですがいつかは困りそうです。( でも、そんな意外性が好きって時もありそうですが ) 多くの人は、そういう誰かへと「ありがとう」と言えることを求めているんだと思います。
それは仕事にも当てはまると思うんです。
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「私にはこれができます。」ということが、実は誰も求めていないことに気づかなかったり「私はこれが苦手で・・・」というのでも、やってもらっているだけですっごく助かっていることもあったり。どちらの気づきにしても、相手のことをよく見ていないとわからないこと。それは自分を知っているよりも大切なことかもしれません。
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もしかしたら、自分でコンプレックスだと思っていることを1番好きだと思っている相手もいるかもですし、「俺ってダメだな」と感じているそこが、魅力だったりもするかもしれませんよね。それは、相手にしかわからないなので、自分ばっかり見てみても、自分ばっかり完璧でいても、気づくことはできなそうですよね。
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ランドリー・・・
どこか懐かしさを感じる、帰る場所としての「 写真 」「 道具たち 」を扱っております。
[ ものがたり ] 盆暮れ正月となれば、何かをするためというわけでもなく、とりあえず帰ろうとする。でも「 帰ってきた 」と、心から深くそう感じられる場所へ、ふと帰りたいと思って振り返った時には、いつの間にか、もうその場所はどこにも無いと気づくこともある。そんな時に、何気なく撮っていた一枚の写真がその役割を果たす時があるように、家のどこかでなにか見覚えのあるような道具たちも、心の帰れる場所があるのでは?と思ったのでした。みなさんにとっての「ただいま」を、感じてもらえる体験となれたらと思います。
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