海と畑とホワイトボード

20代:バイクで日本一周、米・豪・欧・サハラ砂漠 縦横断、カヌーでユーコン川下り …

海と畑とホワイトボード

20代:バイクで日本一周、米・豪・欧・サハラ砂漠 縦横断、カヌーでユーコン川下り / 30代:留学支援サイト・優待株投資ブログを運営 / 40~50代前半:ヨットインストラクター・家庭教師・農業・優待株投資で生活 / 54歳~:好きな仕事だけ年100日以下でのんびりと

マガジン

  • 読んだことを忘れたくない あるいは読み返したくなるはずのお話

    活字の海を波乗り中に見つけたお気に入りの記事を残しておく自分用の文集。本棚の片隅に並べて、その背表紙を眺めているだけで申しぶんのない時を過ごせるような小さな出会いの積み重ね。

  • 仕事についてのお話

    仕事についてのお話です。

  • 2021/3/24 noteを読み合う会

    2021/3/24 noteを読み合う会 で読み合った全記事を集める試みです。 約65%まで収集できました。全記事収集はならず。残念。

  • 勉強会フェリー&2021/4/28 noteを読み合う会

    2021年4月期のnote勉強会フェリーと2021/4/28 noteを読み合う会で発表された記事を集めます。前回の65%を越えられるかな。

  • 旅についてのお話

    日本一周、アメリカ横断、ユーコン川下り

記事一覧

固定された記事

余命10年の覚悟で生きる。

1年くらい前から、自分の余命は10年しかない。という体で生きるようにしてきた。 別に医者から、「お話があるので親族の方を診察室に呼んでもらえますか?」とか、もっとスト…

レアな体験というお題で改めて自己紹介

noteで「私だけかもしれないレア体験」というタイトルでコンテストが開催されているそうな。 決して自慢ではないが、レアな体験に関しては、僕はちょっとした自信がある。過…

挫折は人生のセーフティーネットなのかもしれない

noteを始めたとき、きっといつかこの旅について書くことになるだろうと思っていた。 過去の旅についてnoteに記すたびに、次はあの旅について書こうと心の中で思うのだが、…

絶対に失敗しないとしたら、今、何をしたいか

会社を辞めたい。 切実にそう思ったのは、40代初めの頃だった。 会社を辞めたいと思ったことは、それまでにも何度もあったし、実際のところ、そう思った時は意外とあっさ…

ユーコン川のほとりでのソロキャンプは僕に人生の水準点を示してくれた

大学3年生のとき、アラスカのユーコン川を3週間かけてカヌーで下った。 ユーコン川は、カナダの北部、ユーコン準州のホワイトホースからアラスカ州を経由し、ベーリング海…

ビジネス書を読むのをやめたら、時間がゆったりと流れるようになった

「本棚を見れば、その人がわかる」というが、ひとつ付け加えるとすれば、本棚の本を時系列に並べると、その人の生きてきた歴史もわかるような気がする。 このあいだ、PCのフ…

いい風を、と誰もが言った

ディンギーとの出会いは、本当に偶然のできごとだった。 大学入学後の新入生のサークル勧誘イベント。 僕は一直線に目的のブースに向かっていた。そこは『探検部』。 そ…

彼女に内緒でミスコンに応募してみたらなぜか笑いの神様が降りてきた

大学4年生のときに付き合っていた彼女がいた。 彼女は僕と同じアルバイト先に勤めていて、僕はシルクスクリーンの型枠づくり、彼女は同じ事務所の2階で型製作のトレースの…

犬吠埼キャンプ場のトイレを占拠する。そして、卵がゆに涙する。

大学1年生の7月にオートバイで京都の家を出てから約一か月半。 オートバイで日本一周を一筆書きする旅は、日本海を北上し、メインイベントの北海道一周を終え、東北の海岸…

夢の賞味期限を延長しました

30代は仕事で一番脂がのっている時期だ。 という言葉をよく耳にする。 その言葉の真偽のほどはよくわからないが、僕にはある程度当てはまっていたようだ。 30代。 とにか…

センス・オブ・ワンダーが生まれた場所

小学生の頃、飽きることなく毎日のように訪れた遊び場所がふたつある。 ひとつは、深草西浦南公園。 もうひとつは、青少年科学センター。 どちらも家からは道を隔てたす…

note勉強会フェリーで書いた記事でnoteを読み合う会に参加するnoteな4月

1か月前の3月24日、はじめてnoteを読み合う会に参加した。 それは、noteを使い始めて3週間ばかりが経ったときだった。 活字中毒を自認する僕は、noteを使うや否や、どっぷ…

転職相談っぽいことをしていたら結婚支援サービスみたいなことになっていた話

「彼氏からプロポーズされたけど、彼、アルバイトなんだよね。出直して来いって断ったよ。」 そんな台詞を耳にしたのは、3年前、仲間うちでバーベキューをしていた時だった…

僕にとっての副業は、自分をこの世界につなぎとめる最後のアンカーロープだった

僕が初めて副業をしたのは、新卒で働いた会社の1年目のときだった。 社会人最初の1年を間もなく終え、新しい年度を迎えようとした春先、僕はアルバイトの面接に向かった。…

京都の青年 ユーコン川で人生のベンチマークを見つける

カナダのユーコン準州からアラスカに流れるユーコン川の名を日本で有名にしたのは、野田知佑氏に違いない。 僕自身もユーコン川をカヌーで旅すると決めてからは、彼のエッ…

noteを読み合う会、参加しました。

noteを始めて、まだ3週間足らず。 なのに、PCを開けて、一番最初に見るサイトはnote。 気が付いたら、いつも誰かの記事を読んでいる。 そして、読み終えたら、ページ下に…

固定された記事

余命10年の覚悟で生きる。

1年くらい前から、自分の余命は10年しかない。という体で生きるようにしてきた。 別に医者から、「お話があるので親族の方を診察室に呼んでもらえますか?」とか、もっとストレートに「あなたの余命は10年です」とか言われたわけでは、決してない。 どちらかというと、季節の変わり目や気圧のちょっとした変化で鈍く痛む古傷のようなもの、定期健康診断で、とても注意力のある先生や技師のかたが、目ざとく見つけてちょっと声をかけてくれる程度のとっても微かな兆し、だったものの存在を意識し始めたからだ

レアな体験というお題で改めて自己紹介

noteで「私だけかもしれないレア体験」というタイトルでコンテストが開催されているそうな。 決して自慢ではないが、レアな体験に関しては、僕はちょっとした自信がある。過去のnoteは、僕のレアな体験を書き連ねてきた、ある意味、レア体験集なのだから。 そこでその中からいくつかを選んで、コンテストに応募しようと思ったのだが、『審査対象は2022年12月15日11:00以降に投稿された作品に限ります。』とある。 ただ、注釈として、『(それ以前に公開済みの自信作がある方は別の記事と

挫折は人生のセーフティーネットなのかもしれない

noteを始めたとき、きっといつかこの旅について書くことになるだろうと思っていた。 過去の旅についてnoteに記すたびに、次はあの旅について書こうと心の中で思うのだが、ついつい先延ばしになっていた。 別に自分の失敗について話すのが恥ずかしいわけではない。 そんなことを言えば、今までのnoteなんて、スキが欲しいために恥ずかしい身の上をさらしている痛いnoteばかりではないか。 僕がこの旅について書けなかったのは、旅を終え帰国した後、写真の整理をする気も起こらず、かとい

絶対に失敗しないとしたら、今、何をしたいか

会社を辞めたい。 切実にそう思ったのは、40代初めの頃だった。 会社を辞めたいと思ったことは、それまでにも何度もあったし、実際のところ、そう思った時は意外とあっさりと会社を辞めてきた。 だから今回も僕の奥さんに、「会社を辞めようと思うんだけど。。」 といったときも、最初は「あ、また」、みたいな反応ではあった。 ただ、僕の中では、今回の「会社を辞める」は、「会社勤めを辞める」という決断であり、今までの転職とは心理的に大きく異なっていた。 その不安感というのか、悲壮感と

ユーコン川のほとりでのソロキャンプは僕に人生の水準点を示してくれた

大学3年生のとき、アラスカのユーコン川を3週間かけてカヌーで下った。 ユーコン川は、カナダの北部、ユーコン準州のホワイトホースからアラスカ州を経由し、ベーリング海に注ぐ川だ。 この旅のきっかけは、前年の夏、アメリカ横断のオートバイツーリングの途中で、カナディアンロッキーのバックパッカーズ(格安のドミトリー宿)に泊まった時のことだった。 ロサンゼルスでオートバイを購入し、ニューヨークを目指す予定だったが、せっかくだからついでにロッキー山脈をオートバイで越えてみたいと、北米

ビジネス書を読むのをやめたら、時間がゆったりと流れるようになった

「本棚を見れば、その人がわかる」というが、ひとつ付け加えるとすれば、本棚の本を時系列に並べると、その人の生きてきた歴史もわかるような気がする。 このあいだ、PCのファイルを整理していたら、”books”というタイトルのエクセルファイルがあり、開いてみると、本を購入した日付、本のタイトル、著者名、その横に数字が書かれている。 ここ数年、すっかり忘れていたが、かつては読んだ本に1~5の数字を付けてお気に入りを整理していたのだ。 日付を見てみるとなんと2004年から。15年以上

いい風を、と誰もが言った

ディンギーとの出会いは、本当に偶然のできごとだった。 大学入学後の新入生のサークル勧誘イベント。 僕は一直線に目的のブースに向かっていた。そこは『探検部』。 それはきっと、一浪して大学に入学を果たし、今なら何でもできるかもというおかしな勘違いからだったのか、それとも、単に解き放たれた気分の延長線上で、世界の果てまでいってみたい、という気持ちからだったのか、とにかく、自分は大学4年間を、『探検』をして過ごすと決めていたのだ。 そして、イベント会場のキャンパスをまっすぐと

彼女に内緒でミスコンに応募してみたらなぜか笑いの神様が降りてきた

大学4年生のときに付き合っていた彼女がいた。 彼女は僕と同じアルバイト先に勤めていて、僕はシルクスクリーンの型枠づくり、彼女は同じ事務所の2階で型製作のトレースの仕事をしていた。 まだ、二人が付き合い始めてそれほど経っていないときだった。 京都きもの組合主催、 浴衣クイーンコンテストを開催します。 という告知のポスターが事務所に貼られているのが目に入った。 「そういえば、彼女。芸術系の短大を出て、着物の絵付けの仕事をした経験もあって、この会社にトレーサーとして転職し

犬吠埼キャンプ場のトイレを占拠する。そして、卵がゆに涙する。

大学1年生の7月にオートバイで京都の家を出てから約一か月半。 オートバイで日本一周を一筆書きする旅は、日本海を北上し、メインイベントの北海道一周を終え、東北の海岸沿いを南下しながら、房総半島に差しかかっていた。 雨の日にはユースホステルを使うことはあるものの、資金が限られている貧乏旅行だったので、基本はキャンプ場で自炊をする生活を続けていた。 犬吠埼からの夕陽を眺めたあと、千葉の最東端、犬吠埼のキャンプ場で、近所のスーパーで買ってきた豚肉とキャベツを味噌で炒めて、ビール

夢の賞味期限を延長しました

30代は仕事で一番脂がのっている時期だ。 という言葉をよく耳にする。 その言葉の真偽のほどはよくわからないが、僕にはある程度当てはまっていたようだ。 30代。 とにかく、何もないところから何かを作り出すことに夢中になっていた。 スタートアップ企業で新しいサービスを育て上げて、世に問う。 世に問う。 2度言ってみた。いい響きだ。 新しいサービスを立ち上げる。その今まで存在しなかったサービスが世に受け入れられるかどうか。 受け入れられれば、あのサービスを立ち上げたメンバ

センス・オブ・ワンダーが生まれた場所

小学生の頃、飽きることなく毎日のように訪れた遊び場所がふたつある。 ひとつは、深草西浦南公園。 もうひとつは、青少年科学センター。 どちらも家からは道を隔てたすぐ向こう、幼稚園児から小学校低学年のころにかけての僕にとっては、半径200mの中にある小さな世界だけれども、同時に冒険に満ちた大きな世界だった。 西浦南公園は、名神高速道路の脇にそって伸びる細長い公園で、四季の草木の中に小径が続いている。 公園の草木は虫たちにとっても居心地のいい住処なのか、蝶々、バッタ、カマ

note勉強会フェリーで書いた記事でnoteを読み合う会に参加するnoteな4月

1か月前の3月24日、はじめてnoteを読み合う会に参加した。 それは、noteを使い始めて3週間ばかりが経ったときだった。 活字中毒を自認する僕は、noteを使うや否や、どっぷりとはまった。 そのはまり具合は、上記の記事にも書いたが、ブラウザの閲覧履歴の25%がnote。GmailやYoutube、Yahooニュースに証券会社の株価情報など、PCのブラウザを開いたら、まずは最初にアクセスするというヘビーローテーションサイトをおさえての堂々一位! そして、4月。 no

転職相談っぽいことをしていたら結婚支援サービスみたいなことになっていた話

「彼氏からプロポーズされたけど、彼、アルバイトなんだよね。出直して来いって断ったよ。」 そんな台詞を耳にしたのは、3年前、仲間うちでバーベキューをしていた時だった。 竹を割ったような性格という表現があるが、その表現は彼女の性格を表現するために作られたのかと思われるくらい、さばさばした性格のTさん、農業大学校時代の同期の女性だ。 まさに、竹を割る、パッカーンって音が聞こえてきそうな一言だった。 最高にうまい豚ロースの炙り焼きを肴にビールを煽っていた僕の耳がピクリと動いた

僕にとっての副業は、自分をこの世界につなぎとめる最後のアンカーロープだった

僕が初めて副業をしたのは、新卒で働いた会社の1年目のときだった。 社会人最初の1年を間もなく終え、新しい年度を迎えようとした春先、僕はアルバイトの面接に向かった。 当時は副業を認める会社なんてまずなかったから、会社に内緒で。 仕事を教わっている立場の新人のくせに舐めている、といわれても仕方がない。でも、入社早々、理想と現実のギャップで身も心もボロボロになっていた自分を保つためにはどうしても、その副業が必要だった。 その副業というのは、ヨットスクールのインストラクター。

京都の青年 ユーコン川で人生のベンチマークを見つける

カナダのユーコン準州からアラスカに流れるユーコン川の名を日本で有名にしたのは、野田知佑氏に違いない。 僕自身もユーコン川をカヌーで旅すると決めてからは、彼のエッセイをずいぶん読んだ。 そして、ユーコン川を下るときに毎日握っていたのも野田氏のパドルだ。 ユーコンの短い夏には、世界中からカヌーイストが集まってくる。 そのため、ユーコン川下りのスタート地点となるカナダのホワイトホースにあるカヌーショップには、あらゆる国の旅人がやってくる。 僕はその川べりでカヌーの側面にぽっ

noteを読み合う会、参加しました。

noteを始めて、まだ3週間足らず。 なのに、PCを開けて、一番最初に見るサイトはnote。 気が付いたら、いつも誰かの記事を読んでいる。 そして、読み終えたら、ページ下にある関連する他の記事へ。 リンクを次々と辿って、気付いたら深夜まで読み耽っている。 いったい、どれくらいnoteに滞在しているのか、気になったので、さっき、ブラウザの閲覧履歴の統計を見てみたら、 全体の25%がnote!(赤い部分です。。) 完全に中毒症状でてます。 本を読むのは子供のころから好き