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絶対に失敗しないとしたら、今、何をしたいか


会社を辞めたい。


切実にそう思ったのは、40代初めの頃だった。

会社を辞めたいと思ったことは、それまでにも何度もあったし、実際のところ、そう思った時は意外とあっさりと会社を辞めてきた。

だから今回も僕の奥さんに、「会社を辞めようと思うんだけど。。」

といったときも、最初は「あ、また」、みたいな反応ではあった。


ただ、僕の中では、今回の「会社を辞める」は、「会社勤めを辞める」という決断であり、今までの転職とは心理的に大きく異なっていた。


その不安感というのか、悲壮感というのだろうか、今までの転職のときとは全く違った空気の重さに、奥さんも気づいていたのだろう。
次の僕の発言を聞いて、ただごとではないと確信したようだった。


「ヨットのインストラクターをしながら、農業をやって、教師もしたい。」


当時の自分の言葉を文字にしている今なら、これがいかに馬鹿げた発言かは痛いくらいよくわかる。

全国の農家さんからは、「農業をなめるなよ」
全国の教師からは、「教職をなめるなよ」
とお叱りを受けるだろう。
全国のヨットインストラクターからは。。やっぱり、
「海をなめるなよ」みたいなことを言われそうだ。

でも、当時(2011年)の僕は、もう会社勤めを続けるモチベーションを失っており、それと同時にやりたいことを全部やりたくなってしまっていたのだ。

後付けで理由をつけるとしたら、震災がきっかけで、今、当たり前だと思っている生活が突然失われることがある、ということに気づいたとか、仕事で人間関係がうまくいかず、もう会社勤め自体に嫌気がさしていたとか、大厄の年だったので、人生史上最強の疫病神にとり憑かれてしまっていたとか、なんとでも理由をつけることができるかもしれない。

退職願を提出したのは12月なのだが、その直前の11月に見た映画の中の台詞も、きっと一役買っている。

絶対に失敗しないとしたら、今、何をしたいか 
そう思ったことを、今、しなさい。

2011年 映画『ニューイヤーズ・イブ』


会社に退職届を提出し、農業大学校に出願し、家庭教師紹介サイトに登録するときの気持ちが少しだけ軽くなったのは、この台詞のおかげかもしれない。



いずれにしても、賽
さいは投げられたのだ。


それからの2年間は、ほんとうに手探りの毎日だった。

なにせ誰かをお手本にするにしても、僕がやろうとしていることを実際にやっている人の存在について、寡聞にして知らなかったのだから。
いや、情報が多聞に及んだとしても、そのような人の存在を見つけることはできなかったに違いない。


そんな先の見えない迷路を進むような日々を送っていたとき、電車の中で耳にしていたヘッドホンからこんな歌詞が聞こえてきた。

サイコロ転がして 1の目が出たけれど
双六の文字には 「ふりだしに戻る」
君はきっと言うだろう 「あなたらしいわね 」と
「一つ進めたのなら 良かったじゃないの」

やさしくなりたい/斉藤和義


その当時の僕の奥さんの振る舞いがまさにこの歌詞のようだった。

「焦ることないよ。やりたかったこと全部できてるんやろ。だったら幸せやん。」

一つ進めるどころか、一歩下がって二歩下がる、というような後ろ向けに行進する日々を送っている中、きっと彼女の友人やご両親も心配してくれていたことだろう。それでも、全く動じず、見守り続けてくれたのは有り難かった。

そして、何年か試行錯誤を続けているうちに、週末と夏の大半は海でヨットを教え、ヨットスクールがない日は畑に出て野菜を育てる、という自然の中で暮らす生活のリズムが整い始めた。
秋から春は、海や畑が終わった後、週に数日だけど、志望校合格を目指す受験生たちと並走し、合格の喜びを分かち合う。

一見忙しそうだが、実際にやってみると、海は強風だとスクールが開催できないから休みだし、畑は雨が降ればお休み。家庭教師は週に数時間で春までの期間限定。

結局、1年を通して時間にすると、会社勤めのときの半分くらいしか働いていない。もちろん、仕事の収入も会社勤めのときの半分くらいだけど、毎日やりたいことだけをできる充実感は何物にも代えがたい。


人生最大ともいえる、大きなサイコロを振ってみて気づいたこと。


人生において、絶対に失敗しないなんて保証はどこにもない。

でも、今、したいことがあるならば、

きっと、今、したほうがいい。

今、したいことをできた時点で、それはすでに、大きな成功なのだから。

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