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ユーコン川のほとりでのソロキャンプは僕に人生の水準点を示してくれた

大学3年生のとき、アラスカのユーコン川を3週間かけてカヌーで下った。

ユーコン川は、カナダの北部、ユーコン準州のホワイトホースからアラスカ州を経由し、ベーリング海に注ぐ川だ。

この旅のきっかけは、前年の夏、アメリカ横断のオートバイツーリングの途中で、カナディアンロッキーのバックパッカーズ(格安のドミトリー宿)に泊まった時のことだった。

ロサンゼルスでオートバイを購入し、ニューヨークを目指す予定だったが、せっかくだからついでにロッキー山脈をオートバイで越えてみたいと、北米大陸の西海岸をひたすら北上した。
そして、シアトルから国境を越え、バンクーバーに。そこからカナディアンロッキーのジャスパーまでキャンプをしながら順調に旅の駒を進めていた。

前夜、ジャスパー国立公園のキャンプ場で一夜を明かしたのだが、夏とはいえ、そこはカナディアンロッキー。朝の冷え込みは、夏キャンプの装備しか持たないキャンプライダーにとっては過酷なものだった。

持てる限りの夏服とライディングジャケットを着こんだのだが、耐え切れず、夜明け前にテントを抜け出し、暖を取るため早朝キャンプファイヤーで寒さをしのいだ。

さすがにもう一晩キャンプ場に泊まることに身の危険を感じたため、朝を迎えると早々にキャンプ場を退散し、バックパッカーズを目指した。


すっかり、ユーコン川から話の流れが逸れてしまったが、そのバックパッカーズのリビングルームで目に留まったのが、ユーコン川カヌーツーリングのパンフレットだったのだ。


カナダからアラスカへ。ユーコン川を下って国境を越える。


カヌーで数週間かけての川旅。
白夜、オーロラ、むき出しの自然、グリズリー、激流、湖縦走、サーモンフィッシング、カナダインディアン、ゴールドラッシュ当時のままの酒場、カナディアンウイスキーを啜りながらのツーリング、わくわくキーワードが目白押しだ。


その日。翌夏の目標が決定した。ユーコン川下りの旅だ。


日本に帰ってから早速、ユーコン川下りについての情報収集が始まった。

当時、スマホはおろか、インターネットもなく、あたる情報源は書籍しかなかった。そこで出会ったのが、野田知佑氏が書き記した旅行記だった。

1年間、野田氏の旅行記を頼りに、日本一周、アメリカ横断と2年続けた旅の手段を、オートバイからカナディアンカヌーにかえて情報を集めていく。わくわく。


そして、決行の夏が来た。


バンクーバーから72時間のバス旅の末、ついに出発点、ホワイトホースの地に立ったのだ。(この旅最初の劇的な出会いについては、京都の青年 ユーコン川で人生のベンチマークを見つけるで語っているので、そちらをご覧いただけると幸いです。)


ユーコン川の旅は、孤独との戦いでもあった。


もともと一人旅には慣れていたし、孤独はそれ自体が旅の目的の一つでもあった。一人でもくもくと旅を続け、夜になればキャンプ場で焚火を見つめながら、コッヘルで調理した飯を食べる。この一人の時間を味わうこと。それことがソロキャンプの醍醐味だ。


しかし、ユーコンでのソロキャンプは今までのそれとは違った。


約一週間ごとに川沿いに現れる信号もない小さな村で出会う村人や、同じく川を下ってきたカヌーイストを除けば、旅の間を通して、人間を目にすることはまずない。

ユーコン川は世界中から多くのカヌーイストが集まって来るのだが、みんな同じ方向に川を下っていくので(当たり前だがこの流れの速い川を遡上して旅をするカヌーイストは決していない)、村を一人で出れば、次の村にたどり着くまで、ほぼ100%誰とも出会わない。

来る日も来る日も、川、川岸、空、(ときどき川岸からこちらを見つめる熊)、を眺めながら下っていく。

この旅までの21年間の人生の中での、「人間を見なかった期間」の最長記録大幅更新である。


人恋しい。

ある夜にみた夢の中では、川岸にいきなりバーガーキングの看板が現れ、ワッパーを注文するために、必死にパドルを漕いでいた。

そんな旅の中盤のある日、そろそろ今日のキャンプ地を決めようと手ごろな中州を探していた。

ユーコン川はグリズリー(アラスカヒグマ)のテリトリー内なので、ユーコン川を旅するときは、比較的グリズリーが少ないと思しき中州にテントを張り、食事はテントから百メートル以上離れた場所で食べ、残った食料やにおいがする食器は防水バッグに入れて、川に沈めておかなければならない。

それでも中州に張ったテントの裏で、巨大なグリズリーの生々しい足跡を目にすることは珍しくなかった。
そのため、夕刻になると、あまり川岸に近くない、かつ、大きな林や藪がない手ごろな大きさの中州を探すのが日課になっていた。

そんなとき、目前にキャンプ地として絶好の中州と、その対岸にあるログハウスが目に入った。


ログハウス!? ???


最初はわが目を疑ったが、確かにそれはログハウスだ。
しかもそのログハウスからは、なぜか人の気配がする。
今思えば、それは人恋しさからくる妄想だったのかもしれないが、確かにそこには人の気配が濃厚にあった。


よし、今日のキャンプ地はこのログハウスの前の中州だ。


今夜の夕食は、ログハウスから漂う人の気配と一緒に食べればきっとおいしいに違いない。その時の僕は、少しばかり孤独を病んでいた。


しかし、今思うと、その決断がこれから先の人生を変えたのかもしれない。


中州に上陸し、テントを張る。
そして、中州に流れ着いた枯れ枝を集め、夜食の準備を始めたときだった。


対岸のログハウス前の船着き場から一人の屈強な男性が乗るモーターボートが僕のテントを目指して一直線に向かってきた。


その時の僕の反応。

人恋しい一心で、深く考えもせず、この場所を寝床に選んだけど、これって冷静に見れば、怪しい奴が自分の家の庭先でいきなりキャンプを始めたとみるべきではないか。
ログハウスの住人に怪しい人物とみなされて、銃を突きつけられるかもしれない。なんて浅はかなことをしてしまったのだろうか。


そして、近づいてくる屈強な男。

モーターボートを中州につけて、僕の方へ向かってくる。

その男の口から出た言葉は...


「そこは俺のごみ捨て場だ。残飯のな。つまりグリズリーの餌場だ。」

彼が言うには、生ものを家の近くに捨てるとグリズリーが餌を求めて漁りにくるので、川を渡った中州に捨てているそうだ。

僕はグリズリーの餌場で夕食を食べようとしていたのだ。
自分がグリズリーの夕食になるかもしれないとは知らずに...


そして、彼は言った。

「良かったら俺の家に泊まっていけ。グリズリーと寝るよりはいいだろう。」


北極圏に近い夏のユーコン準州は、ほぼ白夜に近い。夜の10時を過ぎてもまだ空は薄明るい。空が暗くなるのは深夜の2時ころから早朝4時くらいの2時間程度、晴れている夜の空にはオーロラが現れる。

まだ夜の早い時間で空は十分に明るい。
ログハウスの主(ジョン)の運転するモーターボートでログハウスに向かった。

彼はそこに一人で住み、庭先で様々な野菜や鶏を育て、ユーコン川で釣ったグレイリングやサーモンを食べて生活している。彼の部屋には、ライフルとグリズリーの毛皮やエルク(トナカイ)の角もあったので、ジビエも食べているのだろう。

どうしても自給できない生活用品は、近くの村までモーターボートで買い出しに行っているそうだ。ただし、1年の大半はユーコン川が氷で閉ざされるので、犬ぞりかスノーモービルがないと買い出しもできないのだと。

1週間ぶりくらいに話す人間との会話。
庭を案内してもらった時に食べた、もぎたての生のそら豆の深く濃い味。
穫れたての卵と野菜、手作りのパンで作った朝食。

そのユーコン川のほとりでたった一人で暮らす男の生き方は、言葉にすれば陳腐になってしまうほど、なんていうか、いうなれば、『生きる』姿そのものだった。

彼には別れたパートナーとその間にできた娘が一人いるそうで、時々その娘に会っているんだ。と話すときの表情に、大自然の真っただ中で逞しく暮らす男の違った顔を見た気がした。

ちょうど僕が訪れたすぐ後に近所に住むカナダインディアンのタイレスがモーターボートで遊びに来た。
するとそれを待ち受けたようにジョンのそり犬たちが尻尾をぶんぶん振り回しながらタイレスを取り囲む。

次々と目にする、今までの旅では決して出会うことのなかった光景に衝撃を受けるなか、唐突に心に浮かんだのは、


『生きる』ってこういうことなのか。


その時、僕の心には、ジョンのような生活は無理だとしても、彼のように『生きたい』という強い目標、いや、啓示のようなものが見えたのだった。

その旅を終え帰国してからも、ユーコン川の圧倒的な自然の中で暮らす男の生きざまは、今、自分が『生きて』いるかどうかを測る、僕の人生の水準点となったのだ。

その旅から長い時を経て

ジョンのような生活には程遠いけど、今までより彼の生活に少しは近づけたんじゃないかな。って心の中に、ほんのちょっぴりの満足はある。

これからもっと『生きる』を追求しよう。

そう。

僕はあの日。ユーコン川のほとりで、間違いなく人生の水準点を見つけたのだから。

ユーコン7


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