佐渡金山の「募集」に応じた朝鮮人の事情
昭和14年〔1939年、ただし昭和15=1940年の記憶違い〕2月の第一陣の募集に朝鮮(忠清南道)へ出向いた佐渡鉱山労務課、杉本奏二氏……が語ったところによると「前年の13年〔昭和13年は1938年だが、実際には1939年〕は南鮮は大干ばつ、飢饉で農民などは困難その極に達していた」という。一村落20人の募集割当に約40人の応募が殺到したほどであった。が、これは鉱山への就労を希望したものでなく、従前に自由渡航した先輩や知人を頼って内地で暮らしたいという者が多く、下関や大阪に着