史実にアクセス/「徴用工」問題を考えるために

「徴用工」問題の論点整理=片づけ隊が運営するサイト「『徴用工』問題を考えるために」( https://katazuketai.jp )の「資料庫」に当たるブログです。「徴用工」問題=戦時強制動員問題をめぐる論議のための資料を掲載していきます。

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    動員がもたらした家族の困窮

    ●解説  戦後、日本政府がまとめた朝鮮統治の総括文書の一部分である。1946(昭和21)年に設置された大蔵省在外財産調査会が作成し、1949年に事務を継承した大蔵省管理局名で、1950年までに配布された。一般には公表されなかったが、植民地支配の総括を知ることができる貴重な史料である。上記はその一部で、朝鮮での戦時動員に朝鮮総督府がどう対応したかを述べた部分だ。  この文章の前には、「官斡旋(あっせん)」も「徴用」も実態は半ば強制的であることや、国家の義務としての徴用に安心

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      • 動員されれば生死不明、家族の不安

        ●解説  戦後、日本政府がまとめた朝鮮統治の総括文書の一部分である。1946(昭和21)年に設置された大蔵省在外財産調査会が作成し、1949年に事務を継承した大蔵省管理局名で、1950年までに配布された。一般には公表されなかったが、植民地支配の総括を知ることができる貴重な史料である。上記はその一部で、朝鮮での戦時動員に朝鮮総督府がどう対応したかを述べた部分だ。  この文章の前には、「官斡旋(あっせん)」も「徴用」も実態は半ば強制的であることや、国家の義務としての徴用に安心し

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        • 30年前の「NHKスペシャル」が伝えた「強制連行」被害者の証言

          ●解説  NHKのドキュメンタリー番組「NHKスペシャル」が1993年に放送した、強制連行された当事者たちの証言である。この番組では、厚生省(当時)の倉庫に眠っていた、戦時期に動員された朝鮮人の名簿(6万7千人分)から関係者を探り当て、その証言を得ることで、動員の実態を明らかにし、補償もなされていない現状に焦点を当てている。  今や直接聞くことが難しくなった当事者の証言も映像に記録されている。引用は、兵庫県の生野鉱山に動員された3人についてのもので、本人やその妻の生の声だ。

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          • 「募集」の法令とその実態②――国を挙げて違法行為を行っていた

            ●解説  「募集」と「朝鮮職業紹介令施行規則」についての説明は、以下のリンク先で。  労働者保護の規定が定められていても、それが守られていなければ意味はない。労務動員計画における「募集」の手続きを定めた「朝鮮職業紹介令施行規則」の第五十条では、募集従事者が行ってはならないことが列挙されている。  たとえば「事実を隠蔽し、誇大又は虚偽の言辞を弄(ろう)し」てはならない、つまり嘘や誇大な話はダメですよ、ということだ。極めて当たり前のことだ。だが実際には、「募集」に応じて労働

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          • 03) 労務動員・日本側の記録
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          • 01) 動員の法令・通達
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          • 検証)「強制連行」「強制労働」という表現に関する閣議決定
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          • その他
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          • 04) 日韓会談関連
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          • 02) 労務動員・朝鮮側の証言
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            「募集」の法令とその実態①――定められた「働く条件の説明」は行われなかった

            ●解説  1940年1月に定められた、朝鮮人「募集」のための法令「朝鮮職業紹介令施行規則」の条文である。これを読むと、「募集」に当たっては就業時間、賃金、食事や必需品の支給などについて、応募した労働者に説明しなくてはならないと書いてある。労働者が問題行動を行なった際の「制裁」についても、事前に説明しなければならないことになっている。  日中戦争から太平洋戦争へと戦火が拡大するなかで、日本本土では、人が集まらない現場での労働力不足を解消する必要が出てきた。ここで言う「募集」

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            戦時動員以前から劣悪だった朝鮮人労働者の処遇(信濃川朝鮮人虐殺事件)

             一目撃者は恐れおののきながら今の世にあり得ない次の物語りをした。「地獄谷といふのは妻有秋成村大字穴藤といふ作業地でここには千二百名の工夫がゐて内六百名は鮮人です、始め雇ひ入れる時は朝鮮からのは一人四十円前貸し一ヶ月六十九円の決めですが山に入ったが最後、規定の八時間労働どころか夜の八、九時頃まで風呂にも入れず牛や馬のやうに追い使ふ、仕事といへば食時を除けば一分も休まずにトロッコ押し、土掘り、岩石破壊から、土工、材木かつぎまでやるのだから心臓は悪くなる、からだは極端に弱る…  

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            日本人労働者が語る、戦争末期の炭鉱労働の凄惨

             私は昨年九月第一次転換労務者として九州某炭鉱で終戦まで働いてきたものである。現下の石炭事情が容易ならざる危機に直面しているとき、私の体験が今後の石炭対策、主として労務者の待遇改善に資するところあれば幸ひである。  先ず第一の労務時間のベラ棒に長いことである。炭礦は普通に二交代制で一番方が朝の六時、二番方が夕方六時からである。昇坑〔作業の終了〕はその日の予定量の出るまではできないから早くて夜の八時から十時ころ、週に一回乃至三回の大出しの時などは夜半の一時ころになる。…第二に食

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            肺をむしばむ坑内労働を強いられた佐渡金山の朝鮮人労働者

             佐渡鉱山が朝鮮人募集を開始した理由として杉本氏〔元佐渡鉱山の職員〕は「内地人坑内労務者に珪肺(けいはい)を病む者が多く、出鉱成績が意のままにならず、また内地の若者がつぎつぎと軍隊にとられたためである」という。 …  朝鮮の人たちが請け負っていた作業職種は「鑿岩(さくがん)」「支柱」「運搬」の主として坑内労働に多くみられる。当時の鉱山関係者の話によると、…岡作業により多く内地人が働き、労働条件の劣る坑内の採掘はより多く朝鮮人が受け持っていたとされ、出征・徴用などで内地人の不足

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            佐渡金山の「募集」に応じた朝鮮人の事情

             昭和14年〔1939年、ただし昭和15=1940年の記憶違い〕2月の第一陣の募集に朝鮮(忠清南道)へ出向いた佐渡鉱山労務課、杉本奏二氏……が語ったところによると「前年の13年〔昭和13年は1938年だが、実際には1939年〕は南鮮は大干ばつ、飢饉で農民などは困難その極に達していた」という。一村落20人の募集割当に約40人の応募が殺到したほどであった。が、これは鉱山への就労を希望したものでなく、従前に自由渡航した先輩や知人を頼って内地で暮らしたいという者が多く、下関や大阪に着

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            佐渡金山の労働は「死と背中合わせ」だった

             今から57年前の1940年11月、日本の植民地であったため、自分の国でありながらも働けず、米どころである農地もみんな取り上げられた。しかたなく家族の生活を支えるため日本への「募集」に応じ、若い仲間と船に乗り日本の土を踏むことになった。…  「自由募集」と聞いていたのに、日本に着いたとたん「徴用」であることがわかった。三菱佐渡鉱山で働くことになった。(略)  地下での作業は死との背中合わせで毎日が恐怖であった。毎日のように落盤があるので、今日は生きてこの地下からでられるのかと

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            炭坑の絵師・山本作兵衛が語る、朝鮮人・中国人らの強制労働

             大手炭鉱では、朝鮮からの徴用夫はもちろんのこと、中国人の捕虜や、英米の捕虜が数多く強制労働させられておりましたが、なにしろ日本人の鉱夫さえこんな状態ですから、それこそ目もあてられないような虐待であったようです。運よく生きのびて本国に帰ることのできた者はまだしも、こんな筑豊の炭鉱で息をひきとっていったような人たちは、さぞかし死んでも死にきれない気持ちであったことでしょう。 (出典:山本作兵衛『画文集 炭鉱(ヤマ)に生きる 地の底の人生記録』講談社、1967年) ◎解説

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            長崎地裁が認めた「軍艦島」の中国人労働者虐待

             端島坑における原告等への処遇は、基本的に原告らの陳述するような過酷なものであったと認めるのが相当である。原告等の陳述等を総合すると、概要以下のとおりである。  仕事は採炭業務等であり、二交代制で1日12時間程度稼働させられるが、ノルマ達成のためなどに就労時間を延長されることもあった。監督から、暴力をも用いた監督がされ、休息や会話は著しく制限された。暴力は相当多数の者に対し、かなりの頻度でなされた。安全面での配慮は十分ではなく、作業服等は支給されず、李□雲を含め多くの者が負傷

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            朝鮮人労働者はなぜ裸足だったのか

             戦時下の労働力不足を補うため朝鮮から労務者を内地方面に輸送するあっ旋を、ビューローで引き受けたのは、昭和16年6月からであった。〔中略〕 下関に送られてくる労務者は、毎日500人乃至(ないし)1000人ぐらいで、これらを炭坑、一般鉱山、鉄道、土木の業種別に分け、さらに九州、四国、関東、北海道、樺太および南洋群島までの地区別に分けて輸送あっ旋を行なった(ママ)。 そのうえ、下関に上陸する者の大半は裸足のままであったので、大量の草履の買付けからはじまって、農林省に交渉のすえ特配

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            炭鉱から逃亡した朝鮮人をかくまった日本人

             1942年(昭和17)年11月末の夜だった。北海道阿寒村(現・釧路市)の我が家に父が男を担ぎ込んできた。男は朝鮮の人で、名は福山さん。近くの雄別炭鉱で働かされていたという。仕事は厳しく、同じ死ぬなら一歩でも故国に近い所でと覚悟のうえ脱走し、畑で動けなくなっていたところを助けてきたそうだ。 後日、駐在所のお巡りさんが彼の引き渡しを求めてきたが、父は「俺の家族だから、指一本触れさせぬ」と拒んだ。困っている人を放っておけない性分の父。それをよく知るお巡りさんとの間で阿吽(あうん)

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            「強制連行」「強制労働」という表現に関する閣議決定(21年4月27日)を検証する  その3:「いずれにしろ」強制労働と呼ぶべきではない??

            戦前の日本で広く行われていた「強制労働」 当シリーズでは、「日本維新の会」の馬場伸幸議員による質問主意書に対する菅内閣の答弁書(閣議決定)を検証してきた。「その1」では、この答弁書が、朝鮮人労働者が日本に渡って来た「経緯は様々」だから「一括りに」強制連行と「表現する」ことは「適切ではない」という、姑息とも言える論法を展開していることを見た。  では、「強制連行」と並んで主題となっている「強制労働」についてはどうだろうか。馬場議員による質問主意書は、「強制労働」について以下の

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            故郷に戻してもらえない朝鮮人労働者が怒りを爆発させる

             宮城県宮城郡多賀城村所在横須賀海軍施設部多賀城工事場管理菅原組配下新川組多賀城出張所に於ては客年12月北千島より転換せる鮮人労務者360名が、本年7月25日を以て期間満了となるを以て之を更に1ヶ年継続就労せしむべく、7月14日事業主主体となり特高課、協和会関係者協力の下に定着指導奨励会を開催せり。然るに之より先之等労務者は従前の作業場に於ける事業主の酷使に対し相当憤懣〔ふんまん〕を抱蔵し〔心の中にもっていて〕、何れも期間満了せば直ちに帰鮮せんとする気配横溢し居りたるものの如

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