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肺をむしばむ坑内労働を強いられた佐渡金山の朝鮮人労働者

 佐渡鉱山が朝鮮人募集を開始した理由として杉本氏〔元佐渡鉱山の職員〕は「内地人坑内労務者に珪肺(けいはい)を病む者が多く、出鉱成績が意のままにならず、また内地の若者がつぎつぎと軍隊にとられたためである」という。

 朝鮮の人たちが請け負っていた作業職種は「鑿岩(さくがん)」「支柱」「運搬」の主として坑内労働に多くみられる。当時の鉱山関係者の話によると、…岡作業により多く内地人が働き、労働条件の劣る坑内の採掘はより多く朝鮮人が受け持っていたとされ、出征・徴用などで内地人の不足、老齢化を朝鮮人労働者が分担する傾向を強いられていた。

出典:相川町史編纂委員会『佐渡相川の歴史』1995年

●解説
 文中の「珪肺(けいはい)」とは、鉱山労働者の職業病である。ケイ酸の粉塵を吸い込むことで肺がダメージを受け、呼吸困難などの症状で苦しむ病気だ。かつては「よろけ病」と呼ばれていた。江戸時代、佐渡金山の労働にも、この「よろけ病」がつきまとった。数年働くと「よろけ病」になる、金山で働く者は長生き出来ない、30歳以上生きることができれば「長寿」だ――といった話まで伝えられている。

 近代に入って以降は、そこまでひどくはなかっただろうが、それでも、太平洋戦争期に至っても、この「よろけ病」が問題になっていたことは、上記資料からも分かる。
 朝鮮人が動員されたのは、そんな職場だった。
 上の資料で紹介されている職員の言葉にもあるように、朝鮮人を動員したのは、日本人の若者は兵隊にとられており日本国内では充足できなかったから――というのが当時の政府や企業の言い分だ。だが他の選択肢もあったはずである。たとえば、重要産業の必要人員は兵士としての召集から除外するとか、日本人に対しても佐渡金山への労務動員を実施するなど。あるいは労働環境の改善を進めて求職者を増やし、すでにいる労働者の定着率を上げる方法もある。しかしそうした努力は行われなかった。

 しかも朝鮮人の配置にあたって、職業病対策を強化したり、職場の安全衛生を改善した形跡は見られない。つまりは、朝鮮人であれば職業病で苦しむようなひどい職場に配置してもよいという考えのもとで戦時動員が展開されたのである。
 加えて、戦時中は厳しい労働強化が行われており、珪肺、つまり「よろけ病」にかかる可能性はさらに高まった。なにしろ、会社側の資料によれば、朝鮮人の平均稼働日数は月28日なのである。休日は月に2、3日。これは、「病気になっても2日以上休むことも許されない所」だったとの朝鮮人労働者の回想と一致する。

佐渡金山の労働は「死と背中合わせ」だった
https://note.com/katazuketai7/n/nbee1cb07a697

 しかも、上の資料にあるように、「労働条件の劣る坑内の採掘はより多く朝鮮人が受け持っていた」のである。落盤の危険もあるなかでの重労働だ。
 そして、削岩機を使って岩を砕き、鉱物を取り出す坑内での作業では大量の粉塵が出る。ということは、坑内での過重労働、長期間労働を強いられた戦時下の朝鮮人労働者の間で、「珪肺」で苦しむ人びとが多数出た可能性が高いということを意味する。だがこうしたことを企業や日本政府が調査したことはない。戦後、佐渡から朝鮮に帰っていった人びとの中には、肺病の苦しみを抱えながら、どこにも訴えることもできないまま亡くなっていった人も少なくないのではないか。