見出し画像

「ウトロ」の在日朝鮮人が語った強制労働体験

 満足な食事もないです。朝鮮だと田圃の肥料に使う大豆の搾りかすです。栄養もなにもない。仕事は12時間の二交代です。キツイし、日曜日以外には休みはないし、抗議したらリンチです。タコ部屋ごとにヤクザみたいのがいて棒で殴られる。労働者同士で話しても殴られました。安全対策もなかった。何人も事故で亡くなりました。死んでも葬式もしない。ボタ山に遺体を捨てるのを見ましたよ。

ウトロ平和祈念館展示

●解説

 京都府宇治市のウトロにある朝鮮人集住地で暮らしていた崔忠圭さん(1916年~2006年)の証言。朝鮮にいた崔さんは、26歳の時に村役場に呼び出され、福岡県の炭鉱に行くことを命じられ、実際に働いた。上記の文章はそれについて語ったもの。

 崔さんは炭鉱を脱出し、戦後長らく長崎で働いていたが、1967年にウトロにやってきた。ウトロは戦時期の飛行場建設の仕事をするためにやってきた朝鮮人が住み着いた場所だ。戦後も、「ウトロに行けば仕事がある」と伝え聞いた朝鮮人の転入が続いた。

 しかし、1980年代、法律上の土地所有者が、ウトロ住民に対して立ち退きを迫った。長年そこで暮らしていた朝鮮の人びとは、そこで住み続けるために裁判を闘い、国連にも訴えた。次第に社会的注目を集めるようになったこの問題は、結局、日韓両国の市民のカンパや韓国政府の資金拠出によって土地を買い取り、ウトロの住民が入居する市営住宅が近くに作られ、解決に至った。

 その後、ウトロ住民と支援者は、ウトロの歴史と、そこでの人びとの暮らし、居住権を守る活動について知ってもらうために、ウトロ平和祈念館の建設を構想した。ところが、その準備が進んでいた2021年8月、ウトロの住宅への放火事件が起こった。

 容疑者は逮捕され、その後の裁判で、「在日朝鮮人を困らせようとした」と語った。明らかな「ヘイトクライム」だ。人命被害や怪我はなかったが、祈念館で展示予定だった、いくつかの貴重な資料が焼失してしまった。

 そうした困難を乗り越えて2022年4月、ウトロ平和祈念館が開館した。そこには住民が期待していた以上に多くの人が訪れている。展示を見て初めて、日本の朝鮮支配が朝鮮人にどのような被害をもたらしたのか、在日朝鮮人の戦中・戦後の労働と生活がどのようなものだったのかを知る人も少なくないという。

 2023年3月3日、国会でヘイトスピーチ問題についての質疑があった。それを受けて岸田文雄首相は、ウトロ平和祈念館をめぐって「連帯の意思」を示すと発言した。

 岸田首相はぜひ、ウトロ平和祈念館を訪問し、展示をしっかり見てほしい。そして、崔さんが語るような体験をした朝鮮人が少なからずいたことを理解し、そうした歴史を否定するような動きを許さない姿勢を示してほしいものである。