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03) 労務動員・日本側の記録

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記事一覧

動員がもたらした家族の困窮

●解説  戦後、日本政府がまとめた朝鮮統治の総括文書の一部分である。1946(昭和21)年に設置…

動員されれば生死不明、家族の不安

●解説  戦後、日本政府がまとめた朝鮮統治の総括文書の一部分である。1946(昭和21)年に設置…

日本人労働者が語る、戦争末期の炭鉱労働の凄惨

 私は昨年九月第一次転換労務者として九州某炭鉱で終戦まで働いてきたものである。現下の石炭…

肺をむしばむ坑内労働を強いられた佐渡金山の朝鮮人労働者

 佐渡鉱山が朝鮮人募集を開始した理由として杉本氏〔元佐渡鉱山の職員〕は「内地人坑内労務者…

佐渡金山の「募集」に応じた朝鮮人の事情

 昭和14年〔1939年、ただし昭和15=1940年の記憶違い〕2月の第一陣の募集に朝鮮(忠清南道)…

炭坑の絵師・山本作兵衛が語る、朝鮮人・中国人らの強制労働

 大手炭鉱では、朝鮮からの徴用夫はもちろんのこと、中国人の捕虜や、英米の捕虜が数多く強制…

長崎地裁が認めた「軍艦島」の中国人労働者虐待

端島坑における原告等への処遇は、基本的に原告らの陳述するような過酷なものであったと認めるのが相当である。原告等の陳述等を総合すると、概要以下のとおりである。 仕事は採炭業務等であり、二交代制で1日12時間程度稼働させられるが、ノルマ達成のためなどに就労時間を延長されることもあった。監督から、暴力をも用いた監督がされ、休息や会話は著しく制限された。暴力は相当多数の者に対し、かなりの頻度でなされた。安全面での配慮は十分ではなく、作業服等は支給されず、李□雲を含め多くの者が負傷

朝鮮人労働者はなぜ裸足だったのか

 戦時下の労働力不足を補うため朝鮮から労務者を内地方面に輸送するあっ旋を、ビューローで引…

炭鉱から逃亡した朝鮮人をかくまった日本人

 1942年(昭和17)年11月末の夜だった。北海道阿寒村(現・釧路市)の我が家に父が男を担ぎ込…

故郷に戻してもらえない朝鮮人労働者が怒りを爆発させる

 宮城県宮城郡多賀城村所在横須賀海軍施設部多賀城工事場管理菅原組配下新川組多賀城出張所に…

炭鉱の朝鮮人労働者「給料のことを言えばリンチ」(厚生省報告から)

 家族に対する送金は本人又は工場、事業場より其の家族に直接送金するもの、工場事業場より府…

「タコ部屋=監獄部屋」に送り込まれた朝鮮人労働者

 〔監獄部屋=タコ部屋は〕大正から昭和初期にかけてしばしば問題となったものであるが、以来…

朝鮮総督府嘱託が語る「人狩り」

 徴用の場合、納得のうえというのでは、なかなか予定数に達しない。そこで郡とか面(村)とか…

不平を言う朝鮮人は「タコ部屋」送り

 如何とするとも矯正の実なく不平不満の者は如何に〔いま働いている〕鉱山は他に比し優遇し居るかを体得せしむる意味に於て鉱山の附帯事業の請負者の「タコ」部屋に収容するも一方法てある但し之は最悪の場合に於て行ふものにして妄に行ふへからさるものてある。「タコ」部屋収容は坑内就労を嫌悪する者に対しては著効ある様てある。 (出典:株式会社住友本社鴻之舞鉱業所「半島労務員統理綱要」1941年1月) ●解説  「タコ部屋」とは、労働者を厳重に監禁して恐怖支配のもとで働かせる現場で、反抗的