神話について
先日世界遺産を紹介するテレビ番組でアイルランド北部にある「ジャイアンツ・コーズウェイ」という景勝地を見ました。六角形の石柱が数万本も敷きつめられた光景で驚きます。これは文章じゃどう書いても伝わらないと思うのでぜひ見てほしい。ネット検索すればすぐです。ジャイアンツ・コーズウェイ。
どうしてできたのか、「誰がどうやって作ったの?」と不思議になります。ジャイアンツ・コーズウェイ(巨人の道)と呼ばれるくらいだから巨人が作ったという伝説が現地では語り継がれてるそう。
しかし実際はこれ、流出した溶岩がゆっくり時間をかけて冷えたためにできたらしいです。すごいですね自然。
何もアイルランドを例にしなくても、こういった不思議な光景は日本にもあるし世界中にあるでしょう。
そして理解しがたい風景や自然現象には、伝説、物語がつきものです。これも世界中にある。
交流がない民族間でも似たような物語ができるのは、おそらく物語が人類にとってコンポンのものだからじゃないか。
不思議なものを目にすると人は「なぜだろう」と思います。好奇心。
原始時代を想像してみます。太陽がいつも同じ方向から昇り、そして逆方向に沈むこと。夜には月が現われ、時に満ち欠けすること。生きるのに必要不可欠な水、それを降らせる雨という現象。大きな音とまぶしい光を放つ雷。すべてを破壊するような嵐、竜巻。世界を死に追いやるような暴風雪。地震。津波。火山の噴火。
好奇心じゃ済みません。生死に関わるような自然現象は「なぜだろう」「なぜ起こる?」と考えるのは切実です。
今それらは科学的に解明されてますが、その知識がまだなかった時代、人は納得するのに物語を作っていったんだと思います。どうにもわからない点は「大いなるものの仕業」「神がしたこと」
宗教の始まりです。
宗教というのは長年積み重ねた「生活の知恵」や「人生訓」が豊富で、どんなものでも感心する部分があります。しかしこういった不思議なこと、自然現象や世界の成り立ちや死後どうなるかなどに言及すると「ん? ん?」となる。
専門外のことは「わからん」「保留」にすればいいと思うんですが、科学的に解明されるにはさらに長い時間がかかりますから。何世代にも渡る知の蓄積ではじめて「流出した溶岩がゆっくり時間をかけて冷えたため」とわかる。
そこまで気長に「保留」はできず(死後のことなどいまだ解明されてませんしね)わからないままは不安だから、とりあえず答えを用意する。憶測でも物語でもいい、答えがあれば落ちつきます。
しかし「いろんな答えがある、考えがある」では効力が弱まるので、
「これだけ信じればだいじょうぶ、間違いない」
1つにまとめたかったんでしょう。シンプルになるし、従うのは楽だし、「唯一の教え」の方が心強い。
でもそうなると威厳を保つために「いや、そこはちょっとわからない」とは言えなくなる。憶測も物語もますます加速する。
しかしそれも科学を元にした事実が現われると覆ります。憶測や物語ではなく揺るぎない事実を1つ1つ積み上げた結果ですから。
ただ長年信じられてきたことを覆すのは大変で(歴史や先人まで否定することになりますしね)その抵抗、科学が理解されるまでの苦労はなかなかだったでしょう。宗教、神話、伝説などの物語は、人類の進歩を遅くしたとも言えます。
しかし信仰は良くないとか、非科学的なのは劣っている、というのではありません。
現在の私たちは科学的な知識を簡単に得られますが、それは学校やテレビやネットなどの環境に恵まれてるだけ。幸運です。
もし知識を得られない段階で例えば無人島に漂着し、そこで暮らすことになったら同じ道を辿るでしょう。自然現象を不思議に思い、なんとか納得しようと推測し、その仮説を検証し、でもどうにもわからないことは神を作りその仕業にする。
今でもそう変わらないはずです。
そして人にはそこまで考える力がある。考える力を持ったがため物語を作るようになった。
自然なことなんだと思います。
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