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刀工について

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#日本刀ブログ

八文字長義が海外へ行った後の話

八文字長義が海外へ行った後の話

一時期販売されていて話題になった佐竹義重所持と伝わる「号:八文字長義」。南北朝期の長船長義の作。

号の由来は、鬼義重の異名で恐れられた武将、佐竹義重がこの刀で相手方の騎馬武者を斬ったところ、兜もろとも頭部が真っ二つになり馬の左右に分かれて落ちた事に由来します。

その後この刀を台湾の日本刀蒐集家が購入した、というニュースが話題になりました。

今回はその後の話になります。

なんとこの八文字長義

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鍋島藤四郎吉光

鍋島藤四郎吉光

4/27~6/16まで刀剣博物館で開催中の「五ヶ伝と五ヵ国の日本刀」を見てきました。一番の目的は鍋島藤四郎吉光。

享保名物帳所載で鍋島加賀守直茂が所持していたことからこの名が付いており、その後は池田光仲、その子の伯耆守綱清が5代将軍徳川綱吉に献上しています。
その後は綱吉→家宣→吉宗→家重→家治→家斉→家慶→家定へと徳川家で代々受け継がれてきた事が徳川実記に記載。
現在付帯している古鞘には文政1

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日本刀「江戸三作」の遭遇率と価格

日本刀「江戸三作」の遭遇率と価格

江戸三作と言えば、水心子正秀、大慶直胤、源清麿の三工が挙げられています。各工についてざっくり書くと以下のような感じ。

①「江戸三作」の刀工をざっくりと水心子正秀

「日本刀はすべからく古刀の昔に復するべき」つまり、鎌倉時代や南北朝時代などに作られた実用本位の刀を再現するという思想「刀剣復古論」を掲げた人であり、当時100名を超える刀工がこれに賛同。
当時の原材料や作刀方法を研究し再現しようとした

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虎徹の不出来説について思うこと

虎徹の不出来説について思うこと

虎徹といえば刀に興味が無い人でも名前くらいは聞いた事のある有名な刀工。最上大業物でもあり、とにかく「切れる」イメージが強い人もいるかもしれない。

そのネームバリューは海外にも通じ、確か1年ほど前のクリスティーズだったか?に出品された虎徹のミュージアムピースともなると特保でも3500万円ほどの値が付いたのは記憶に新しい。
4年前位の大刀剣市では確か4振しかない特重指定の虎徹が6000万円ほどで売り

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「鎌倉住人行光 元亨二年三月」の短刀を見て

「鎌倉住人行光 元亨二年三月」の短刀を見て

先日まで開催されていた正宗十哲展に展示されていた「鎌(倉住)人行光 元(亨二)年三月」の短刀。
年期が入っている事に加えて、更に行光二字銘ではなく、長銘が切られている事も非常に珍しく、更に行光唯一の皆焼の在銘作として非常に貴重な資料とされている。

重要図譜をぱらぱらと見返していると、皆焼の無銘極の作がいくつか見られたが、この短刀がある故に行光に極まっているのかもしれない。
指定品全ては見切れてい

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正宗十哲展で見た「島津正宗」の真相

正宗十哲展で見た「島津正宗」の真相

先日ようやく正宗十哲展を見に行く事が出来ましたが、京極正宗や稲葉郷などはじめ、よくもこれだけの名刀を集めたものだと感心しきりの展示会でした。
その中でも個人的に特に大ニュースというか驚いた点で言えば「島津正宗」の新事実でしょうか。

島津正宗の伝来について刀剣ワールドさんのHPから抜粋すると以下の通り。

この島津正宗は継平押形に掲載されたものと同様物が2014年に見つかった事で、京都国立博物館に

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清磨は愛刀家の終着点?

清磨は愛刀家の終着点?

先日刀屋さんより興味深いお話を聞いた。
それが「源清磨が愛刀家の行きつく先」という話。

清磨と言えば幕末頃の刀工であるが、2尺3寸ほどの刀を買おうと思えば3000万円位は少なくとも用意しないと買えない。
脇差でも1000万円以上は必要。
これは大名家に伝来した特重や重美といったクラスの古名刀が買える金額であり、幕末の刀工の作でその金額に達しているのは当然ながら清磨以外にはいない。
清磨だけ別格の

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後藤祐乗② 獅子と龍から見る手癖

後藤祐乗② 獅子と龍から見る手癖

本日真玄堂さんのinstagramに後藤祐乗の一匹獅子目貫がアップされた。

図録などを見てもここまで詳細な画像は無いから非常に有難い。
今回は祐乗の一匹獅子目貫と這龍目貫を比較する事で祐乗の手癖的なもの(類似性)を探れないか?という趣旨で書く事にする。

その前に、私個人の祐乗作への向きあい方、というか考え方について書いておこうと思う。
まず祐乗の見極め所は「後藤家家彫亀鑑」にて世に広まったとさ

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古青江は美しい

古青江は美しい

備前国の隣りの備中国に青江派の刀工がおり、青江派は時代により平安~鎌倉中期を「古青江」、鎌倉末期~南北朝初期を「中青江」、南北朝末期以降を「末青江」と呼んでいる。
もう少し分類を大きくすれば、鎌倉中期以前の刀工を古青江派、それ以降を青江派として分類している。
古青江の代表的なところで言うと狐ケ崎と号される為次が挙げられるだろうが、それ以外にも、守次、貞次、康次、俊次、恒次、包次、延次、重次、次忠と

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