高校を何とか卒業をして、家から早く出たくて気づいたら茨城にいました。

高校の甘い青春もおわり、高校の最後の思い出として卒業するために大量の課題頂きまして、それを全部終わらせないと卒業できないと先生に言われたのを覚えています。
全部自分の行いの結果ですが、、、

なぜそんな課題をやることになったかと言いますと、成績が悪かったというのもありましたが、一番は学校の欠席が多く、単位がギリギリだったからです。

自慢ではないですが、高校に行く意味を分かってなく、早く就職につきたいと中学校から考えていましたが、学校の先生に高校だけは言った方がいいの一言から、高校に行くようになりました。

なので、せめて高校は卒業をしないと行った意味がなくなってしまうので、必死に課題をやりました。課題の量を言いますと、夏休みの宿題の3倍はあるんじゃないかなという量を2週間で全部終わらせました。全教科あり、英語、社会、国語、数学、理科、我ながら人生でベスト3に入るぐらい頑張ったと思う。

同時に就職先を探していました。
大学に行く道は全然考えてなく、就職一本!
面接のときにいい感じの会社がありまして、物産系の会社で中国とのやり取りも多く中国語も使えると思い、相手会社にも面接のときは好印象でした。

本社が千葉にあり、そこに就職するのかと思ったが、出社一ヵ月前に茨城ね!と言われまして、えっ!
と思いましたが、一人暮らしできるからいいやと思い茨城に就職をしました!

仕事内容は、コンテナが中国から運ばれて来るのですが、中身は野菜です。ニンニク、ニンニクの芽や玉ねぎなど!長持ちする野菜が多かったですね!

午前中はコンテナの商品を倉庫へ運び、午後はお客様へ注文頂いた数を運送する人に渡す!

今思えば結構な力仕事でした。
1箱5㌔の商品を1日3000回ぐらい運んでいたと思います。
お陰で毎日筋肉痛でしたが筋肉もついたので、ちょうどよかったのかもしれないです。

社長が中国の方だったので、従業員も殆んど中国人!
毎日中国語で会話をしており、逆に日本語を使うことが少なかったため忘れかけていた中国語をそこで思い出しました。

でも、そこで働く将来性を見失い退職することにしました。



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