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形而上エッセイ「分かる人にしか分からない話」

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2019年1月の記事一覧

自分の頭で考えるヒント7 ~自分の感覚を信じる~

生き方に関して、世の中にはいろいろなアドバイスがある。

いわく、「自分が好きなことをしろ」
いわく、「当たり前のことに感謝せよ」
いわく、「明日死ぬと思って今日を過ごせ」

などなど。

これらのアドバイスについては、納得できるものはそれを受け入れればいいだろう。しかし、納得できないものについては、受け入れてはいけない。たとえば、「自分が好きなことをしろ」というアドバイスに従ってみたとする。しか

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自分の頭で考えるヒント6 ~あるものとその比喩の関係~

人生は旅のようなものだ、という言葉を聞いたことがないだろうか。どちらも、一つ所に立ち止まることはできず、次に何が起こるか分からないというような意味である。そう聞くと、なるほど確かになあという気持ちがする。納得、納得。

さて、しかし、この、「○○は△△のようなものだ」という言い方に少し気をつけてみよう。人はあるものについて考えるときに、それと類似する物について考えることで、安心する。人生とは何かと

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自分の頭で考えるヒント5 ~相対主義を取らない~

価値相対主義という言葉をご存知だろうか。何も難しいことはない、みんな違ってみんないい、というヤツである。一人一人価値観は違うのだから、何を正しいと思うかは人それぞれだ、という考え方のことを言う。よく聞くんじゃないかな。あるいは、知らず知らずのうちにそういう考え方をしている人が多いのではないか。

実生活を送る上では便利な考え方なので、それに従っておくに越したことはない。「わたしはわたしが正しいと思

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自分の頭で考えるヒント4 ~分かった振りをしない~

昔、孔子という偉い人が、分からんちんの弟子にこんなことを言った。

「『分かる』ということがどういうことかを教えてやろう。分かることは分かることだと認め、分からないことは分からないことだと認める。これが、『分かる』ということだ」

なにやら、分かるような分からないようなお説教である。これを聞いた弟子は師の意図するところが分かったのだろうか?

人は分かるということが大好きである。特に難しいことを分

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自分の頭で考えるヒント3 ~本は要約するな~

自分の頭で考えるためのヒントとして、今回は、読書の仕方について書きたい。みんな、読書は好きだろうか。わたしは好きで、ちょこちょこと読んでいる。まあ、活字が無いと生きられないというような中毒者ではなく、たしなんでいる程度であるが。

自分の頭で考えるということを徹底すると、本も読まなくていいということになるけれど、一人の頭には限界があるということもまた事実である。その限界を突破するために、本を利用し

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別れた言葉に再会するとき

言葉に再会するときがある。昔に出会って別れたはずの言葉が、もう一度現われるときが。そのとき、その言葉はまるで、昔日の少女の面影を残しながらもすっかりと大人びた女性のように、まったく異なった様子で現われる。

朝《あした》に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。

論語の一節である。わたしは、この言葉とどこでいつ出会ったのだろうか。もう覚えていないが、おそらくは、小中学校の国語の授業だろう。初め習ったと

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嫌いなものを好きにならない努力

嫌いなものを好きにならせようとする言説があふれる世の中である。

いわく、「嫌いな仕事にも楽しいところがある」。
いわく、「嫌いなあいつにもいいところがある」。
いわく、「嫌いな食べ物にも栄養がある」。

このような言説に乗せられると、すぐに嫌いなものも好きになってしまう。まことに意志薄弱と言わねばなるまい。わたしは、意志を固く持って、このような言説に乗せられることなく、嫌いなものは嫌いなままでい

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小賢しさを捨てて

以前、真面目な人か、バカな人が好きだと書いた。いや、実は書いたかどうか覚えていない。書いたような気がする。まあ、どっちでもいい。

真面目な人とは、人生の絶体絶命の真実に向かい合おうとしている人のことであり、バカな人とは、現にそれを生きている人である。それに対して、人生を解釈し利用しようとしている人は、小賢しい。こういう人間は嫌いである。合わない。

ところで、あることを書くということは、書いたこ

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体調が悪いときに見えるもの

ここ最近、手荒れがひどい、背中が痛い。現在、この二苦によって、大方のことがどうでもよくなってしまっている。実に簡単な話である。どうでもよくなって、どうでもいいと思いながら、昨日は仕事をこなしてきた。この文章も、若干そんな気味合いで書いている。しかし、どうでもいいと思いながら、その物ごとをこなす時、もしも真にどうでもいいと思っている状態なら、それをしないだろうから、実はどうでもいいとは思っていないこ

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疑ったすえに現われる覚悟

物事の前提を考えるのが好きである。歴史の内容を知るより、そもそも歴史とは何かと考えること、幸福になる方法を知るより、そもそも幸福とは何かと考えることなど。だから、テレビのニュースなどは、ほとんど見ない。形而下の出来事に関心が無い。浮き世離れしていていいですな、と言われるかもしれないが、これが、全然浮き世から離れてなどいないのである。俗世間にどっぷりと浸かり込んでいる。そもそも浮き世離れしていたらn

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語らずに済ますということ

言わないと分からない人に言うのが苦痛である。まずもって、当然であるとこちらが思っているそのことを言うこと、それ自体が苦痛であることに加えて、言わないと分からない人というのは、言ったってなかなか分からないのが常であり、何かを言うと、その倍は説明しなければいけなくなる。これが面倒である。そうして、説明してもやっぱり分かってもらえない場合の徒労感たるや、筆舌に尽くしがたいものがある。

言うことが尊重さ

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中高年は精神のエイジングに励め

「人生に意味が無い」という言い方をちょこちょこと耳にする。これが失恋した若者あたりが自暴自棄になって叫んでいると言うのなら可愛いものだが、それなりの年に至った中高年が言っているとなると、少し問題である。

何が問題か。

人生に意味が無いと言いながら、そう言っている本人は現に生きているわけである。そんなことは当たり前だろうと言うのであれば、意味が無い人生を生きる意味というものを今すぐ示してもらいた

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考えることと生きること

題してみたものの、何を書くか、はっきりと決まっていないということに気がついた。いや、決まっていると言えば、決まっている。それは、一言で言ってしまえば、考えたとおりに生きることは難しいという、ただそれだけのことである。しかし、それでは、エッセイになりはしない。なりはしないけれど、わたしは別にエッセイを書きたいわけではないので、それはそれでいいのかもしれない。

ところで、初めから話がそれるが、エッセ

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前向きな言葉があふれる社会の危うさ

どうも前向きな言葉が苦手である。「どんな人でも今すぐに幸せになれる!」的な言葉を聞くと、虫を見たときのように背筋がゾッとする。拒絶反応である。

だからと言って、別に、後ろ向きな言葉が好きというわけではない。「生きていることには何の意味も無い」みたいな言葉は、それを聞くこと自体に意味が無いことが多い。というのも、後ろ向きな言葉というのはそれを言っただけで何事かを言った気になりやすく、しっかりと省み

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