前向きな言葉があふれる社会の危うさ

どうも前向きな言葉が苦手である。「どんな人でも今すぐに幸せになれる!」的な言葉を聞くと、虫を見たときのように背筋がゾッとする。拒絶反応である。

だからと言って、別に、後ろ向きな言葉が好きというわけではない。「生きていることには何の意味も無い」みたいな言葉は、それを聞くこと自体に意味が無いことが多い。というのも、後ろ向きな言葉というのはそれを言っただけで何事かを言った気になりやすく、しっかりと省みられることが少ないからである。試みに、もし、「生きていることには何の意味も無い」と言う人がいたら、意味が無いのに生きているということがどういうことか、その意味を尋ねてみるといい。答えられたら立派なものである。

それはそれ、話は、前向きな言葉について。

この世の中、前向きな言葉があふれている。前向きな言葉だけがあふれているようである。どうもこれはちょっとおかしいのではないか。先の大戦時には、戦況が劣勢であるにもかかわらず、優勢であるかのような情報だけが流されていたが、それと同じような不気味さを感じる。しかも、大本営発表よりもたちが悪いのは、前向きな言葉というのは、無条件にいいものだと考えられており、戦況の情報と違って、もしかしたら間違っているのではないかと疑う可能性がほとんど考えられることが無い点である。

前向きな言葉は人を酔わせる。

しかし、酔っ払いながら道を歩けば、いずれ転ぶのがオチである。

たとえば、上で紹介したように、「どんな人でも今すぐ幸せになれる!」という言葉がある。よく聞く言葉ではないだろうか。しかし、これは、端的に言って間違いだろう。たとえば、これから死を覚悟して戦地に向かわなければいけない人がいたとして、その人はどうやって今すぐ幸せになるのだろうか。そんなものは極論だと言うのであれば、不治の病に冒され明日をも知れぬ命の人はどうか。その人をどうやって幸せにするのか? それも大して変わらない例だと言うのであれば、それなら、社会的に許されない行為にのみ満足感を得るような人ならどうか。いじめをするときにしか充実感を得ない人間は、それが許されない現社会では、どうやって幸福を得るのだろうか。

上の例から考えられるだけでも、幸せになれるのは、平和な社会に住み、ある程度健康で、社会道徳を遵守できる人だけであると言える。

このように、「どんな人でも今すぐ幸せになれる!」というのは間違いであり、正しくは、「今すぐ幸せになれる人だけが今すぐ幸せになれる!」だろう。これは、わたしが悲観的な人間だからそういうことを考えるのではなくてちょっと想像力を働かせてみれば、それこそ、どんな人にでも分かる理屈ではないかと思う。

大本営発表はそれを信じ込ませることで利益を得る人たちがそれを発表していた。とすれば、前向きな言葉にしてもそれを信じ込ませることで利益を得る人たちがそれを流布しているのだと考えることができるのではないだろうか。そういう人たちに利益を得させるために生きたいというのであれば格別であるが、そうでないのなら、前向きな言葉というものを、一度じいっと見つめてみることをお勧めする。

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