「何にもないコンプレックス」の呪縛。うつ病を経て猫になりたいわたしの物語
こんにちは。かしんです。
今回はわたし自身がずーっと抱えて苦労してきた「わたしって、何にもない」というコンプレックスについてお話しします。
先にざっくりとしたわたしの人生の流れをご紹介。
本当は人見知り。周囲の期待に合わせてリーダー風の学生時代
幼少期、わたしは一言でいうと内弁慶。
家の中では話すけど、その他の人との関わりは苦手。
唯一遊ぶ相棒のような存在は「お絵かき」。
そんな子供でした。
それにも関わらず、
中高に進むとなぜか「人前に立つ、リーダーポジション」に。
望んでいたわけではなく、自然とそういう扱われ方になってしまった感じ。
本当はみんなが思っているほどしっかりもしていないんだけど、
何となくリーダー気質っぽい感じに見えたのかも。
選ばれてるなら期待に応えた方がまあいいかな、と学級委員を6年間務めるなどしました。
ぱっと見キラキラ、中身はスカスカのギャップ
自分でいうのも何ですが、学生時代は勉強は全般的に得意でした。
情報をノートに図解して分かりやすくまとめるのは好きで、それが役立っていたと思います。
運動も部活でやりつつ、個人でバンド活動もして。
一見「何でもこなすキラキラ系学生」のようでした。
でも、実情は全く逆。高校生になり進路を決める季節に焦りが生まれます。
「え?何でもうみんな進路決めてるの?
『将来○○になりたいから××学部に行く』???そんなのいつの間に決めてたの?」
「そもそもなんで大学行くの?」
どんなに頭を捻っても、周囲のように「○○の職業に就きたい」と胸を張って言える想いは何一つ湧いてこない。
あぁ。ただの器用貧乏なだけで、これだ!というものが一つもない。
これといって何にもない人間なんだ。
わたしは空っぽな自分に絶望します。
ここから長年の「何にもないコンプレックス」の呪縛が始まります。
このままの人生でいいのだろうか
その後、「理系はパズルみたいで面白いし」という理由と、
親の勧めもあって資格が取れる医療系の大学に進学。
ここでも「本気で医療人を目指している人と、何となく入学した自分を比較して苦しい」とモヤモヤ。またしてもコンプレックス。
一応、国家試験を受け、医療系のお仕事につきます。
職場には恵まれ、仕事はまじめには取り組みますが、
「このままで良いのかな、前のめりになるような時間を持たないままの人生で良いのかな」
とずっとモヤモヤ。
周りからは手に職があっていいねと、言われましたが
それでは埋まらない「人生これじゃない感」の心の穴。
変わりたい、何かを変えたい
その後、社会人でも学べる形式の美術大学を見つけます。
当時は美術大学で何のジャンルを学びたいか言語化はできていませんでしたが
■わたしは伝える・分かる、が好き
■絵本のような世界観が好き
■絵を描くことだけはずっと好き
ということは自覚できました。
「ここに飛び込んだらわたしの何か変わるかもしれない」
「今を逃したら、ずっとわたしはモヤモヤして自分の人生を好きになれないままかも」
と思いが湧いてきます。
変わりたい、何とか変わりたい。
そう思って入学を決意。
平日4-5日は仕事、
夜や隙間時間は美大の課題
週末は学生としてスクーリングに通う日々。
数年間休みはゼロの、かなりタイトスケジュール。
でも、何かを掴むため必死に駆け抜けました。
もがきはまだまだ続く「何者かにならないと」
これで一件落着ならよかったのに。
何ということでしょう!
それでもまだまだ「何にもないコンプレックス」の呪縛は続きます。
美大卒業に合わせて、医療のお仕事も卒業。
今度は医療系のスタートアップのITベンチャーに参画します。
これまで医療人として現場にいた自分が、
必死にデザインを学んで、
「医療×デザイン」をテーマにデザイナーとして活動する。
これは絶好の人生のコンプレックスの解消チャンス!
ここで「何か」を掴んで「何にもない自分」を脱却して「何者か」になるんだ!
そう強く思いながら、これまでとは全く違う世界でまた懸命に取り組みます。
コンプレックスがわたしに無理をさせた
でも、そんな日々がふっと途切れるのです。
わたしは、うつ病になってしまいます。
個人の誰かを責めるとか恨むとか、そういうことではないのですが「この人はどうしてわたしを認めてくれないのだろう」といった思いが負荷になっていたところもあります。
自分の気質と合わない環境や空気感でも周りに合わせようと無理が生じ、最終的に倒れてしまいました。
どうして早く辞めなかったのか。
どうして無理してしまったのか。
いろんな理由は思いうかびますが、
今思うと、
「ようやくここまで来たんだ。
この環境で何かを成し遂げることで、何にもないコンプレックスを解消できるんだ!」
という気持ちが
限界ギリギリまで自分に無理をさせてしまった最大の要因なのかもしれません。
これまでの人生の伏線回収をここで遂げるんだ、とでも言わんばかりに環境に固執してしまいました。
ここで手放しては全てが水の泡になる。
それでは、また何者にもなれない。
それはあまりに勿体無い。
耐えろ、粘れ。
そんな感じだったのかもしれない(ごめんね当時の自分、と改めて思います。)
「何者か」はもういいや。自分の中にあるものを発掘だ
うつ病で苦しんで、ジタバタして。いろんな時間や考えを経て、
自分を偽って周りに合わせて、誰かの評価軸で認められるなんて手放そうと思えてきます。
今後の人生は「心地良く生きる」を軸にしたいな、という思いにたどり着きました。
すっかり肩の力が抜けた感じです。
もう「何者か」や「自分ではない何か」を目指すのはやめました。
今は「自分の中に、なんかありそうだ」と自身の内側を探ることが大切になっています。
自分をそのまま、受け入れる。認める。それがやっとできるようになりました。
新しい世界へ。NFTコミュニティで猫のように生きる
そう思っていた時に、NFTコミュニティのLLAC(Live Like A Cat)に出逢います。
猫のように生きる。
生き方のOSをアップデートする。
そんなコンセプトに惹かれ、「NFTは分からないけど…」と戸惑いながらも入ってみることに。
(美術大学と言い、LLACと言い、
人生は、必要な時に、ふとそれが目に入るようにできているのかな笑)
まさに今こうして、LLACの中で活動して、みんなに助けられながら
「自分の言葉で自分自身を発信する」という小さな一歩を踏み出しました。
何者かに扮したり、肩書きや役割に頼るのではなく、
本当のわたし自身の言葉で語り始めたのです。
日々、みんなで学んだり交流したり、アウトプットして
じわじわと自分の変化も実感しています。
不思議と、生きてきた中で今の自分自身を一番面白く感じています。
何にもないコンプレックスからやっと解放されて「結構面白いかもな、自分」と思えてきたのです。
自分を無理に変えるのではなく、自分とうまく付き合おう。
ここまで来るのに、とても長い時間がかかりました。
そして、LLACで触れた「役に立たないものも、役に立つ」という考えにも救われています。猫は居てくれるだけで尊いものね。
そう考えると、過去の自分に「何もないなんて絶望しないでいいんだよ。生きてるだけでちゃんと尊いんだよ」と声をかけてあげられたらなぁなんて。
さて、
時に気ままに、時に自由に、時に気高く。
群れたり、ひとりでのんびりしたり。
そんな猫の生き方に近づいていけるか。
また今後も自分の言葉で語っていきたいと思います。
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