人類学者、診療室を旅する|キム・テウ『二つ以上の世界を生きている身体――韓医院の人類学』【冒頭試し読み】
病院の医師の視線が患者よりモニターに向かう理由とは?
韓医学の病名が西洋医学より曖昧になるのはなぜ?
同じ「打つ」でも鍼と注射では何が違う?
医療が一つでなければ、身体をめぐる真実も一つではない。
当たり前だと思っていた景色が一変する学術ノンフィクション!
本稿では2024年8月22日に配本となるキム・テウ『二つ以上の世界を生きている身体——韓医院の人類学』(酒井瞳=訳)の「はじめに」と「1章」の途中までを特別に公開します。
現在予約受付中です。ぜひご一読ください。
はじめに 身体、医療、世界
旅の途中で本書を書いた。人類学は現地への旅であるが、人類学者自身の人生の旅もまた別に存在する。筆者は大学で化学を専攻し、卒業後は自動車会社で働いた。人類学を学び始めたのは三〇を過ぎてからだ。今は韓医学部[1]で教鞭をとっている。一言では言いあらわせないような旅路へと私を導いたのは、人に対する関心であった。
人類学を学ぶ前は、どこか分離された世界に閉じ込められているような気持ちだった。物質(化学)と事物(自動車)の世界と、人々の世界を分ける、当時は一層強力だった観念から抜け出したかった。その気持ちを具体的にしていく過程で、医療に関する人類学、すなわち医療人類学に出会った。医療人類学は、人の身体と心が経験する痛みを理解するのが人であり、それらの痛みを理解することは、世界を理解するための意味ある道であることを教えてくれた。人は身体を使って世界を生きているためだ。
身体で会社に通い、食事をし、映画を観てカフェに行く。また、自らとは別の身体と共に生きる。身体同士、表情や会話を交わし感情を伝え合う。人はそのような身体を知っている。身体が伝える感覚を知っており、痛みも知っている。この痛みに対する知が束ねられてできた体系が医療だ。実際に私たちが痛いと言うとき、私たちは痛む身体を生きている。その痛む身体が世界を生きている。
アメリカで医療人類学を学びながら、多様な地域の医療に関心を抱いた。東アジア医学に対する人類学の研究にも接することができた。中国、日本、台湾では、それぞれの東アジア医学に関する研究がすでに多く進行していた。しかし中国の〔伝統医学である〕中医学や日本の漢方医学とは違い、韓国の韓医学の研究は非常に不足していた。人口の規模や認知度に関係なく、多様な地域の医療を研究してきた人類学だが、韓国の東アジア医学に関しては本格的な研究がなかったのだ。その空白を埋めようと始めた医療現場の研究が、今この旅へと続いている。
さまざまな医療現場を往復しながら、多くのものを目にした。身体に対する理解が一つではないこと、痛みに対する理解がいくつも存在することをあらわす場面は、印象的だった。その場面は一つに規定されない身体の可能性について述べていた。そして身体に対する理解は、身体の外に対する理解とつながっている。人が生きる身体が、まさに世界を生きる身体であるように、私たちは身体を眺める視線で世界を眺め、生きる。そのつながりの部分に医療がある。医療は身体が経験する痛みを理解する方法とつながり、人が人生の中で世界を理解する方法と再びつながる。これが、医療の現場で接してきた場面、言葉、出会いが私に教えてくれたことだ。
本書は、韓医学を中心に、西洋医学と対照しながら現地での旅の様子を記録している。〔西洋医学の〕病院の看板のすぐ横で、韓医院の看板を目にすることができる韓国は、身体と痛みに対する「複数の」理解を考察することができる興味深い現場だ。病院と韓医院で接してきた場面は、互いを映す鏡の役割を果たし、一つの医療だけを研究していたならば目を向けることができなかった医療の実態を見せてくれた。
博士論文を書くため、二〇〇七年に韓国で始めた現地調査は、現在まで続いている。長期間の現地調査は、医学の理論と専門用語の難解さを薄めるのに大きな助けとなった。本書では、韓医学と西洋医学について充分な期間の調査を経験し、反芻したのちに、読者の方々に読みやすい言葉でその経験を伝えようと試みた。医学の知識が話題にのぼり、医療行為が行われる診療室は、本書の重要な現場だ。そこで韓医師、医師、看護師、患者、患者の家族をはじめとする多様な人々と分かち合った対話が、本書に込められている。
西洋医学もそうだが、韓医学という医療体系は、一つに規定することができる固定的なものではない。医療体系は時代と社会的条件の中で変化する。変化の具体的な内容に関する議論も重要だが、本書はそのような具体的内容をあらわす根底の部分に、より焦点を当てようと思う。韓医学はどのように身体を理解し、その理解にもとづいてどのように痛みにアプローチするのかを調べることが、本書の重要な関心事だ。これは変化の根幹に対する問題であり、変化に関するより深い議論のためにも必要なことだ。
全ての人類学はつながりの産物だ。現地で出会う人、空間、言葉などのつながりがなければ人類学はない。本書が生まれるまでにも数多くのつながりが存在してきた。本書はそうしたつながりの産物であり、それらのつながりがなければ決して編むことはできなかった。医療の現場と人類学を橋渡ししてくれた医療者たちに深く感謝する。また自身の疾病の経験を共有してくれた患者の方々がいなければ、本書は中途半端な出来で終わっていただろう。医療人類学研究会、生政治セミナー、新唯物論セミナー、存在論セミナー、医療歴史研究会、韓国現象学会の月例発表会、慶煕大学の水曜勉強会、人文社会医学研究会にて共に学んできた同僚、そして学生たちとのつながりは、本書の論点を鍛錬するのに決定的な役割を果たしてくれた。またトルベゲ出版社とのつながりがなければ、本書は日の目を見ることがなかっただろう。私という存在自体がつながりの結果であるということを、日々確認させてくれる妻と娘に感謝する。これらの重層的なネットワークが集まり、『韓医院の人類学』〔原題〕という本になった。そして、読者から再び生まれていくネットワークを本書は待ち望んでいる。読者にあらかじめ感謝を申し上げる。
二〇二一年二月
キム・テウ
1章 身体に関する真実は一つではない
01 人類学者、病院と韓医院に行く
病院、指示の国
「最先端の癌の診断設備、PET-CT」。敷地内に入ると、建物の壁一面を覆う広告が目を引いた。別館の建物の二階から四階まで、計三階分を占める診断機器の写真と広告文は、建物のそばに行くとより大きく見えた。私は頭を反らして広告を見上げた。写真の中で横たわる患者は、ちょうど筒の中に入ろうとしているところだ。ガウンを着た医者が患者を眺めている。「たった一度の撮影で全身の癌の初期診断が可能。認知症および心筋梗塞の初期診断も」。写真の下には、大人の身長ほどある文字で、機器の最新機能に関する説明が書かれている。
広告に覆われた別館をあとにし、私は本館へと歩いて向かった。本館二階の外来診療室で、参与観察することになっていた。ロビーに入ってすぐ、今回は一列に並んだ数字が目を引いた。「二三七、二三八、二三九、……八七六、八七七、……」受付の窓口ごとに異なる数字が表示されたモニターは、その下の窓口にいる職員たちよりも大きく見える。窓口の前の待合室席では、人々がモニターを凝視しながら椅子に座って待っている。幾列かから成る待合室の椅子は、人でぎっしりと埋め尽くされている。窓口の横には、大型のモニター付きの機器が左右に一台ずつ設置されている。左側の機器は「無人処方箋発行機」、右は「外来受付番号表」と書かれている。病院のロビーにあるのは受付窓口だけではない。受付窓口の北側の壁面の横、つまり東側の壁面には、「検査予約」の窓口もある。次の来院時に受けることになる検査を予約する場所だ。「CT、MRI、心臓超音波、核医学検査……」最先端の医療検査名が並んでいる。
一階ロビーにて、二階に上がる階段のほうへと向かった。病院はすでに混雑している。患者と患者の付添人、来院する人、帰っていく人、十字路を成す廊下で前をよぎるように横断する人、車椅子を押す人、ベッドを引いて行く人、物を動かしている人。言い争う場面も見られた。「こっちに行かないといけないんだ。写真を撮らないと」。「受付にまず行かなくちゃ」。病院の廊下の十字路で、夫婦がしばしのあいだ言い争っていた。一人は患者で、もう一人は付き添いだ。矢印がいくつも表示された案内板が、夫婦の頭上にぶら下がっていた。
定期的に訪問するようになってすでに六か月経つが、この病院で遭遇する場面に相変わらず視線を奪われる。視線を奪われる場面は一つや二つではなく、毎回新しい場所であるかのように感じる。まず、病院は「指示」で成り立つ場所だ。壁、天井、表示板、モニターは、指示であふれている。患者たちの手にも指示書が握られている。「順序1:一階窓口に行ってください」、「順序2:三階映像医学科窓口に行ってください」。看護師、または受付職員から受け取った案内を地図のように携えて、患者と付添人は病院内を往来する。
病院ほど、行くべき場所やすべきことを熱心に示してくる場所はないだろう。病院が指示の空間であることを示しているのは、院内の矢印の存在だ。病院ではどこにでも矢印がある。「↑」、「→」、「←」は基本だ。「↴」、「⤴」、「↰」、「↱」だけでなく、「↗」、「↘」もある。矢印の列は私を二階まで案内してくれた。ロビーの階段の方向に「↑」が方向を示していた。行ってみると、階段がある通路から外れて二階に上がるための「↗」に出くわした。二階の階段通路を出れば右方向に行き、再び右回転するようにと「↴」が進行方向を指示している。
二階の外来診療室の前に到着すると、待合室はすでに患者でいっぱいだった。外来診療室ごとにモニターが付いており、ここでも人々の視線はモニターに注がれていた。「パク・〇ジュンさん次の診療です」。「キム・〇ヒョンさんその次の診療です」。名前一文字を丸で表示した字幕が、モニターに流れる[1]。モニターのすぐ横の診療室の扉が開き、順番が来た人を看護師が呼ぶ。「〇〇〇さんお入りください」。
私は診療を観察するため、ある外来診療室の前にほかの患者たちと一緒に座っていた。座りながら担当の看護師が私に気づくのを待った。担当看護師はこの時間に私が来ることを知っている。到着を知らせにこちらから声をかけにいくこともできるが、午前の診療がしばらく続く時間帯に診療の邪魔にならないよう慎んだ。
その間ゆっくりと待ちながら病院を見渡した。診療室の壁面のモニターでなくても画面は多い。患者にとってちょうど見やすそうな場所にテレビ画面がある。ミュートにされたニュース番組が、字幕と共に放映されていた。テレビは適当な間隔をあけて配置されており、そのあいだには病院紹介を上映する画面が別に置かれている。病院の歴史、最先端の診断機器、医療者の倫理的な姿勢についての映像が流れている。柱に鉄材の金具で取り付けられた画面も目を引いた。その画面には、新しい診療方法を紹介する映像が流れていた。患者の待合席の真ん中に立つ柱には、次のようなポスターが貼られている。「糖尿病の合併症とは?」「CGMS[2]は今や必須です」。医学知識や最先端の診断機器に関する内容である。見渡してみると、病院には余白がほとんどない。どの空間、方向も、指示と知識で埋め尽くされている。病院の風景は、静物に満ちた写実主義の絵画のようだ。
人類学、ある旅の記録
人類学は一種の旅の記録だ。「旅」の代わりに「現地調査」という言葉を使い、旅の手段も少し特別ではあるが、基本的に「そこ」へ行き、見聞きしたことを記録する。人類学の現地調査はもちろん、一度限りの旅ではない。繰り返しそこへ赴く。長期にわたって滞在したりもする。それでありながら、まるで毎回新しい目的地であるかのように見聞きし、滞在する。人類学はこの「又日新の旅」〔日々新たに事に臨むこと〕を体系化した学問であるということができる。人類学の現地調査にはしばしば、「長期」という修飾語が付く。ぞんざいに憶測することがないよう、研究する文化の中に時間をかけて滞在しながら、その文化に接する。人類学でしばしば言及される厚い記述[3](thick description)という用語はまた、そのような能力を反映している。文化現象は幾層もの条件の上にあらわれているため、長期間の現地調査を通してその層の深くまで行こうと試みる。さまざまな層のうち一部の層だけを眺めれば、対象となる文化と人々に対して中途半端な判断をしてしまう。よって、人類学者は時間をかけて深い旅をしながら、人々の文化に接し、記録をする。
医療に関わる人々と、その人々の社会と文化を研究対象とする私は、病院へと旅立った。私の旅は例えば、アマゾンを目的地とする人類学者の旅と大きな違いはない。動物、植物と共に森の命を生きる人々を描写するように、私は今、モニターと表示板の生い茂る森のような韓国の病院を描写している。またはこの旅は、科学実験室へと旅立つ人類学者のそれとも似ている。科学がどのように実験という方法を通して「事実」をつくりだし流布するのか、その論理を実験室での参与観察を通して理解していくように、私は医療の論理を知るために病院の診療室で参与観察を行う。
三つの目的地〔アマゾン・科学実験室・病院の診療室〕でわれわれ人類学者が興味を抱くのは、それぞれの目的地で目撃される異なった行為の数々だ。そして、その場所と行為が体現している文化と歴史だ。医療に関する人類学を通して旅立つ私にとっては、人々が通う病院の空間自体が読み解きの対象となる。私は人類学者の目で、日常的に接する空間を「読み」解かねばならない。
病院の空間は、西洋医学の知識の様相をあらわしていた。西洋医学の知識は、エントロピー〔情報の不確実性の度合い〕が増加する性質をもっている。超音波、レントゲン機器さえあればよかった場所が、今やCT、MRIを保有するようになった。また「最先端の設備」であるPET-CTが追加された。新しい機器を設置する空間だけでなく、その機器を扱い、解析できる専門家も必要だ。このように知識が増大していく性質は、本館、新館、東館、西館、別館など、病院の建物が増築されていく過程からも見てとれる。連絡通路、渡り廊下と、クモの巣のように続いていく空間のために、矢印は必須だ。このような矢印で覆われた空間をその都度さまよいながら、私たちは医療知識と共に生きていく。
診療室の外もそうだが、診療室の中も、旅人の気持ちで眺めてみると、新しい発見は一つや二つではない。場面一つ一つが読み物になる。待合室の椅子に座って病院の空間を見渡した私は、診療室の中の旅に思いを馳せ、再び胸を高鳴らせた。間もなく担当の看護師が私に気づき、目で合図を送ってきた。医師にすぐ呼ばれるだろう。診療室の中の人類学的現地調査が、今再び始まる。
韓医院への旅が始まるとき
今日は二カ所で現地調査を行う日だ。病院の現地調査が終わったら、午後には韓医院へ向かう。韓医院の入口で、私はしばし躊躇した。受付入口で列に並んでいるとき、緊張感を少し覚えた。あの扉を開き入っていけば、また別の目的地が私を出迎えてくれる。スーツケースを受け取って空港を出るとき、異国の空気を感じるように、韓医院に入ると、病院とは別の場所だという感覚が(今回は視覚ではなく)嗅覚を通じてどっと押し寄せてきた。韓薬〔日本でいうところの漢方薬〕とお灸の香りが、新たな目的地へと足を踏み入れたことを知らせていた。
商業ビルの二階に位置した韓医院の前に、掲示板があった。「診療科目:韓方鍼灸科、韓方内科、韓方婦人科、韓方小児科[4]」、「本韓医院では東医宝鑑の原理にもとづき診断・治療します[5]。このような文句が韓医院の入口の壁面に貼られていた。しかし、午前に訪れた病院のときほど、視線がもっていかれることはない。
韓医院に入ると、受付の看護師がすぐ私に気づいた。目礼をし、病院のときと同じく一人で待合室の椅子に座った。嗅覚と共に味覚も私を出迎えた。異なる文化圏の目的地だということを、味によって印象づけられる。待合室の目につきやすい位置にオミジャ茶が置いてある。一杯注ぐと、鮮やかな紅色のオミジャ茶が白い紙コップを勢いよく満たし、唾液腺を刺激する。甘酸っぱい味が口内を満たす。薬剤の名前もオミジャ(漢字で五味子、五つの味をもつ薬剤という意味)といい、やはり味覚が強調されている。
韓薬とお灸の香り、オミジャの味が印象的な待合室で、私は院長室から呼ばれるのを待ちながら座っていた。患者たちに混じって座り、韓医院の空間を注意深く眺めた。韓医院の内部の様子もそうだが、病院の空間を交互に思い浮かべるとますます興味深い。空間は、単なる空間ではない。人類学の旅では、見慣れない空間の姿は一つの伏線だ。長期間の現地調査中に、ある空間がそのようにつくられた理由に頷けるときがある。その背景に頷けることが、その空間の中の人々に対する理解へとつながるとき、空間の伏線は劇的な効果を発揮する。「なるほど、だからここはこのようにつくられたのだな」。そう独りつぶやくときがある。こうした瞬間が集まって、人類学の現地調査はより深部へと向かう旅になっていく。
この韓医院の内部構造は、受付窓口と待合室、院長室、鍼灸室、湯煎室〔患者の韓方薬を調剤する部屋〕から成る。この空間は壁で分けられているが、それぞれ分断されているというよりは、一つにつながっている印象を与える。院長室の二つの扉が、このつながっている感じを醸し出している。その扉は待合室にも鍼灸室にもつながっている。患者たちは韓医師に相談するため、待合室と院長室のあいだの扉を出入りする。韓医師は鍼治療のため、院長室と鍼灸室の扉を行き来する。この扉の構造は韓医師の動線を考慮した設計だろう。言い換えれば、韓医師の動きと行為にもとづき空間がつなげられている。主査室が別にあり、検査室が別にあり、薬局が別にあり、またそのあいだの区画が明確な病院の空間とは異なる。ここでは鍼治療をするにも診断をするにも、韓医師との面会が必要だ。また、韓医師が処方した薬が湯煎室で煎じられる。韓医院では、診療が韓医師の手から離れることは滅多にない。そのことが韓医院の内部空間にあらわれている。病院と韓医院の内部空間の違いは、一つの伏線といえよう。病院と韓医院で行われる医療行為、ひいてはより深くにある医学の内容までつながっている伏線。私はその基底にまで赴く覚悟で、診療室内を参与観察させてもらえるのを待った。
今、院長室で患者の相談が少し長引いている。韓医師はたいてい、相談が終わり次の患者が入ってくる前に私を呼ぶ。この患者が出てきたら、おそらく私が呼ばれるだろう。あるいは、患者が出ていき鍼灸室で鍼治療を施したあとに呼ばれることもある。相談が遅くなれば、鍼灸室の患者たちも長く待たなければならないためだ。診療室という旅の目的地への出発を目前に控え、私はわくわくした気持ちを抑えながら淡々とした表情で座っていた。すでに別の目的地に来ているわけだが、間もなくあの扉を通って、ここよりもさらに深いところへ入っていくのだ。
(1章02に続く)
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