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「有用性」の呪縛から離れて|『「役に立たない」研究の未来』書評|IDE 現代の高等教育

本記事では、『IDE 現代の高等教育』に掲載された『「役に立たない」科学が役に立つ』(東京大学出版会)『「役に立たない」研究の未来』(柏書房)の書評を公開します。評者は吉岡知哉さん(独立行政法人日本学生支援機構 理事長/立教大学 名誉教授/欧州政治思想史)です。

 1939年10月、プリンストン高等研究所の設立者で初代所長のエイブラハム・フレクスナーが「役に立たない科学の有用性」と題するエッセイを発表した。このエッセイに現所長のロベルト・ダイクラーフが、フレクスナーの人物像、研究所の歴史と理念、その現代的意義を論じた序論的エッセイ「明日の世界」を加えて2017年に刊行したのが1冊目の書物の原著である。本訳書[編注:『「役に立たない」科学が役に立つ』]は、原著の邦訳に用語解説と事項コラム、人名索引、日本語参考文献を付しており、とりわけ若い読者層を基礎研究へと誘う意図を示している。そしてこの邦訳書の出版を機に2020年に行われたオンライン・シンポジウムを収録したのが2冊目である[編注:『「役に立たない」研究の未来』]。タイトルの通り、この2冊はいわゆる「役に立たない」学問研究を擁護する立場から書かれているが、議論は多岐に渉っており論者の視点もさまざまである。

 プリンストン高等研究所が設立されたのは1930年、大恐慌の翌年である。19世紀末から急速な資本主義的発展を遂げたアメリカは第1次世界大戦の軍需で一気に強大な債権国になった。研究所の設立資金を寄附したバンバーガー兄妹は、経営していたデパートを大恐慌直前に売却して巨万の富を得たこの時代を象徴する存在である。そしてエッセイが発表された1939年は第2次世界大戦勃発の年。設立からの10年間、ヨーロッパではナチスドイツが強大化し、ソ連ではスターリン体制が確立、アジアでは既に日中戦争が泥沼化している。フレクスナーが1939年年次報告書に、人類の文化の中心、学識の重力の中心が大西洋を渡ってアメリカに移動しつつあると誇らかに記し得たのはまさにこの状況下である。

 では現代アメリカはどうか。ダイクラーフは、現在の研究環境が「不完全な『評価指標』と『政策』に支配され」ており、世界的な政治経済の不安定、時間サイクルの縮減、深刻な資金不足によって、「研究を選ぶ基準は、保守的な短期目標を重視する方向へ、危険なまでに傾いている」と言う。研究開発予算(その半分は国防関連である)の削減が続き、企業が提供する基礎研究費も減ってもっぱら産業に直結する研究が重視されるようになっている。

 日本の現状がさらに危機的であることはシンポジウムでの発言から明らかである。初田哲男と大隅良典は、「選択と集中」が「ゼロからイチを生む」科学的発見の芽を摘み、成果が予測できない研究への意欲を挫いていると指摘する。基礎研究の「生活費」とも言うべき運営費交付金の削減によって研究も研究者養成も危機に瀕している。このような強い危機意識が大隅基礎科学創成財団の設立や柴藤亮介による学術系クラウドファンディングサイトの立ち上げを支えている。同時に、基礎研究は人間社会の未来を作る公共的なものであるから本来国が担うべきであるとする隠岐さや香の指摘は重要である。また初田が主張するように、科学政策決定過程に科学者や科学の本質の 理解者が関わることも必要であろう。

 興味深いのは基礎的な科学研究の純粋性に対するフレクスナーの強い信念である。現在の文明の基礎は有用性や実利に無関心な科学者たちが重ねて来た発見によって築かれているのであり、実用的な発明の価値はそれに比べればとるにたらないとフレクスナーは強調する。世俗と関わることなく自由に研究に専念できる「学者たちの楽園」の理想はプラトンの「幸福者の島」を 想起させる。科学者は純粋な好奇心に突き動かされているのであり、「戦争をより破壊的でより悲惨のものにする上で科学が果たした役割は、科学活動の無意識の副産物であり、科学者は誰もそれを意図していなかった」。科学研究は無垢であり、それが悪用されるのは人間の愚かさによるのだとフレクスナーは考えている。

 だがダイクラーフが指摘するとおり、1939年8月、アインシュタインはルーズベ ルト大統領宛の手紙で原子爆弾の開発を促し、第3代所長となるオッペンハイマーはマンハッタン計画を推進した。ダイクラーフは現代のゲノム編集にも言及しているが、既に私たちは科学研究の無垢性を素朴に信じることはできない。隠岐がコメントするように、研究者の「倫理」と真剣に向き合わなければなければならない時代に生きているのである。シンポジウムではアウトリーチの必要性が論じられたが、大切なのは単なる啓蒙ではなく、社会の共同的規範としての「倫理」の構築だと思われる。

 さて両書を併読して痛感するのは、「有用性」「役に立つ」という言葉の持つ呪縛力である。フレクスナーは「『有用性』と いう言葉を捨てて、人間の精神を解放せよ」と主張するが、挙げられる例の多くは、現在有用とされるものもかつては役に立たないとされていた研究に基づいているというものである。ダイクラーフもまた、「『役に立つ』知識と『役に立たない』知識との間に、不明瞭で人為的な境界を無理矢理引くのはもうやめよう」と述べるが、それは、今はわからないがいつかは役に立つ可能性があるという論理と接続している。「役に立つ」という言葉を使う限り私たちは有用性の基準に縛られることになる。まずは意識的にこの言葉を使わないことから始めよ うではないか。

★第54回緑陰図書(高等学校部門)選定★
初田哲男+大隅良典+隠岐さや香 著/柴藤亮介 編
『「役にたたない」研究の未来』(柏書房)

▼初出:『IDE 現代の高等教育』No.637(2022年1月号)

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