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易きに流れてしまう人間を救う「誠実さ(Honesty)」について

2019年7月20日(土)。全く異なる世界線で、世の中を突き動かす2つの出来事が起こりました。

1つは、俗に「お笑い芸人による闇営業問題」とされている件に関する、宮迫博之さんと田村亮さんの緊急謝罪会見。ありのままの事実を伝えたかった宮迫さんと田村さんに対し、吉本興業は彼らの意向を十分に汲むことを良しとせず、結果的に2人のポケットマネーで記者会見が開催される運びとなりました。

また、合わせて話題となったもう1つの出来事が、レペゼン地球というエンターテインメント集団のリーダー・DJ社長さんが、自身の事務所に所属するタレント・ジャスミンゆまにパワハラを繰り返していたとされる問題。『今までありがとうございました。』と題した動画を7月20日に公開し、今回の騒動が台本ありきの「やらせ」であり、炎上して認知を獲得するためのプロモーション活動であることが明かされました。

それぞれの経緯と詳細については、埋め込み先のツイートとURLをご参照いただけますと。

僕としては、心から伝えたいことが溢れ出てしまったので、ツイートの文字数では表現できなかった想いをnoteへ綴ることにしました。


2つの出来事の明暗を分けた「誠実さ」

それぞれの「説明の場」における内容は、世の中に物議を醸す結果となりました。

宮迫さんと田村さんの謝罪会見では、自分たちが事実を伝えることに徹し、自身が保身へと走ってしまったことに対するやりきれない思い、詐欺被害者に対する謝罪の意を、それぞれ示す場となりました。

この会見の解釈については多くの人が言及しているので深くは触れませんが、僕自身は「世の中の潮目が変わる瞬間」であり、「希望を感じる場」でもあるように思えました。

こちらの件に関しては、以前ワンキャリアの寺口さんが綴っていたnoteを是非に見て欲しいと思っています。

誰しもが反社会勢力と居合わせてしまう、どんなに警戒をしていても何かしらの経緯で利益を享受してしまう可能性がある世の中である以上、キッチリと謝罪をして、次のステップに進めたことは素晴らしい限りであると感じています。

また、対してDJ社長の動画で行われた説明としては、自らのレーベルで発売する新曲のプロモーションであったことのネタバラシと、騙された人たちを嘲笑する(という風に僕は感じた)内容でした。

今回のDJ社長が行ったプロモーション活動、確かにマーケティングにおける「打ち手」としての導線設計としては素晴らしい限りであり、事前の準備やどんでん返しのクリエイティブにも抜かりがなく、施策としてはこれ以上ないクオリティであったことは否めません。

しかし、「それが本当にマーケティングなのか?」と聞かれてしまうのであれば、僕は明確に「No」を突きつけたいと思います。


「炎上マーケティング」は存在しない手法

マーケティングについての考え方は、以前SNSマーケティングについて触れたnoteで以下のように言及していました。

(日米マーケティング協会が提唱する概念の)どちらにも共通するのは、(マーケティングとは)「顧客との相互理解」を進めるための手段であること。アメリカの場合はその相手がCustomers、Clients、Partners、そしてSocietyまでと広く定義しているものの、共通している点は価値提供の手段におけるコミュニケーションとしての役割を担っている部分と言えるでしょう。
(出典:カオスなSNSマーケティング情報を取捨選別する際の「信頼できる筋」と「収集のスタンス」|柏のひと🍣|note

上記の通り、「マーケティング = 価値提供の手段におけるコミュニケーションとしての役割」である以上、今回のケースでは根本部分の「価値」が適切に提供されているかどうかが焦点になります。

そのため、提供する大元の「価値」がセクハラやパワハラに対して無神経なコンテンツであるゆえに、その「価値」が揺らいでいることは疑いのない事実であることがわかります。どんなに緻密な導線設計やプロモーションを行ったとしても、その「価値」は極めて罪深いものであり、人の心を惹きつけることは大変難しいと考えます。

だからこそ、コアな「価値」が、人を陥れる、ひいては馬鹿にする文脈のものが多々存在している「炎上マーケティング」という呼ばれる手法については、マーケティングの在り方とそぐわないものであると僕は捉えています。

「有名になりたい」「みんなに知ってもらいたい」だけではブランディングを戦略に落とし込むことは出来ません。
自分自身と向き合い、事業やサービスを軸として「僕/私はどういうメッセージを届けたいのか?」を語ることが出来る人になってこそ、初めてマーケター、ブランドマネージャーを名乗れるように思えます。
「マーケター」を名乗りたいのであれば、マーケティングの原典や仕組みを理解し、自分なりの仮説を作り、施策を行う、そして必ず振り返りを行い、日々成長を積み重ねるという姿勢を持ち続ける必要があります。
(出典:上場企業の某経営者に「マーケティングをやりたいと発言する学生は信用してないんだよね」と言われた話|柏のひと🍣|note


令和時代を生き抜くために必要な「誠実さ」

上の引用でも述べましたが、「自分なりの仮説を作り、施策を行う、そして必ず振り返りを行い、日々成長を積み重ねるという姿勢を持ち続ける必要があります。」ということは、マーケティングという文脈のみにとどまらず、人が生き抜く上で、誰しもが意識すべき考え方であると思います。

人間は過ちを犯してしまう生き物であり、誰しもが人を傷つけてしまったり、やるせない思いに駆られたりしたことがあるはずです。

だからこそ、一つ一つの行動が「誠実さ」を元に振る舞ったこと、発言したこと、チャレンジしたことであるかどうかが大切であり、その気持ち以上に自分を助けてくれるものって、僕個人としては他にないと思うんです。

そして、過ちを犯してしまった後も、「ごめんなさい」と言って傷つけてしまった人たちに対して誠心誠意の想いを伝えられるか次第で、そしてその後に迷惑をかけた人のために行動できるかどうか次第で、世の中に存在する幸福の数は変わってくると思うんです

Arisaさんのツイートの通り、僕ら/私たちのチカラで、真面目に生きている人が報われる世の中になって欲しいなと願っています。

また、インサイトフォースの山口さんのツイートの通り、そもそもの発言に誠実さがなく、嘘を交えることがOKという世の中になってしまうと、僕たちの普段の生活において「人を疑わなきゃいけない」という場面が増えてしまう、そんな世界を、僕個人としては見たくないんです。

何も信じられなくなってしまった世界で、本当にみんな生き続けたいのでしょうか。

今の僕たちに必要なことは、誠心誠意を込めて「自分たちが人の力になれること(自身の提供価値)」を見つめ直すことだと思います。

みんなが普段から受け取っている金銭や感謝について、「誰が」「どんな経緯で」「どんな想いで渡してくれたものなのか」を見つめ直すことは、心労が重なってしまう行為でもあります。「めんどくさい」「気にしなくて良い」「無視しても良い」と知らんぷりをしてしまう方が、個人として生きやすいのも確かです。

タイトルの通り「易きに流れてしまう」というのが人の性(さが)であり、一歩踏み出すのが怖かったり、何もなかったかのように振る舞ったりした方が、生きてて楽なのかなと考えてしまう気持ちも理解できます。

でも、「僕/私が提供する価値」に魅力を感じていただき、その想いに心を揺さぶられる人がいて、感謝の形を伝えてもらえる機会があるならば、その一連のストーリーって何事にも代えられない、生きていく上での醍醐味じゃないかなって思うんです。

長文となってしまいましたが、僕の想いは全て綴ることができたと思います。最後までお読みくださり、ありがとうございました。

最後に、僕が人生を見つめ直す際に聴くようにしている、ビリー・ジョエルの『Honesty』を。こちらの曲で、このnoteを締めさせていただきます。



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