火星より

五日前と五年前が一斉に

火星より

五日前と五年前が一斉に

マガジン

  • 常盤台通信

    • 7本

最近の記事

湘南詣で

映画のような15時からの湘南詣で。江の島は一つの映画のよう。 午前は少し早く起きて朝ご飯を食べてシャワーを浴びたけれど、『ゆるい日本史』をソファで読んでいたらやはり寝てしまった。9時半から12時半までの3時間の間、ダイニングで麻雀を模した「ポンジャン」に興じる午前の家族の声が夢にまで聴こえてきていた。夢の中では、ポンジャンをしているのは家族だけではなくて、色んな知り合いが出て来たけれど、白い旅館のプールみたいな場所だったことくらいしか覚えていない。 お昼を食べて、わらび餅

    • 「ひとりの時間は大切。」(2021年5月25日)

       日記を書くのが怖くなっていた。でも、&Premiumの「ひとりの時間」特集で、通勤の車のなかだったり、誰かといるときに出し入れし続けている言葉から離れたり、そして、日記を書く時間だったりに一人の時間を確保している女性たちが、広いページに適度な余白を持って言葉を並べているのを読んで、こうしてここに戻ってくることにした。  夕方に人を求めて彷徨ったり、バイトの時間に急かされたり、うまく行った先週を当てにして、同じ一日を過ごそうとすると必ず失敗することに気づいた。サイクルが一週

      • プチ鎌倉下り(2020/8/29)

        気づいたらバイトまで30分しかないが、炒飯と餃子を頼む。万福招来。速攻で食べることになりそうだ。 大船から北鎌倉まで流れる小さな川は清流で、かなりの数の魚が泳いでいたり、それを狙ってコサギが来ていたりして驚いた。道路の脇によくある。「やまと工房」というからくり屋敷のような細工屋さんが川沿いにあった。 円覚寺は山門の大きな、杉に涼しく守られた山寺で、地形は谷戸に似ている。後ろに構えるは六石見山で、その山の一部である岩に穿たれた洞には、白鹿の群れが説法を聴きに現れたという伝説

        • 浜を拡げる(2021年3月17日)

          今日は小春日和のなか、公園中に泥の「浜」を拡げて一日中裸足で暮らした。これは、別の公園での別の一日に惹かれて始めたのだった。そこではホースから出る水を砂場に埋めて、「見て見て、湧水みたいだね!」と興奮するママの姿があった。覗いて見ると、透明な水が砂の上に浮かんだ浜辺のような水溜りができていて、2歳の女の子とその泥たちを掬ってはぼとぼとと落とす遊びをして過ごす昼下がり。その日が今日の始まりになる。 裸足にあたる水が冷たい。昼を過ぎて子どもたちが集まってくると、一緒に寝転んでみ

        湘南詣で

        マガジン

        • 常盤台通信
          7本

        記事

          全天球5.1Chサラウンド(2020年7月11日)

           夜23時半前後は雷風呂で鼓動を上げ過ぎてふらふらである。夜風でも浴びないとキツい。東京の千葉さんは寿命が来た蛍光灯になぞったが、真下にいた私たちには二度、町への落雷を足元で聴き、慄いた。あの音を真下で聴くと、死ぬかもしれないなってなって、その際で生きてるなってなる。雨も通りすぎて、雷は今は光だけが大きく空を走っている。珠に通行人がいる。  じっと待つ。雷の音に耳を澄ます。守られた風呂場の一室にいても、部屋の内部を食い破り脅かすほどの轟音。この中を業平は姫を抱えて走ったのだ

          全天球5.1Chサラウンド(2020年7月11日)

          黒潮の精霊、家内のオクトポリス、駅伝の最終コーナー(20年4月15日+21年2月9日)

          「魚は緑を求め、海は山を必要とする。漁民もまた山なしでは生きられなかった。」-日髙旺『黒潮のフォークロア 海の叙事詩』  黒潮を臨む鹿児島の富士の話を読む。『黒潮のフォークロア』という本だ。鹿児島にある開聞岳を目当てにして、船は漁場を定め、町まで帰ってくる。  思えば、北風小僧の寒太郎も「町までやって来る」存在だった。安房直子の『めぐる季節の話』にもありありと描き出されていたような「精霊」という存在に興味が惹かれる。黒潮にも聖霊はいるのだろうか?  今日は富士の稜線が丹

          黒潮の精霊、家内のオクトポリス、駅伝の最終コーナー(20年4月15日+21年2月9日)

          夏の嵐の夜のネコ(2020年7月4日)

          「私たちは皆自分ではどうしようもないうねりに翻弄されたもの同士ではありませんか」-ソル・ワイントラウブ(『ハイペリオン』より)  嵐の風が山を揺らす帰り、それはそれは恐ろしく、私の許容を越えた量の唸りが押し寄せる夜、小学校の隣の駐車場で黒猫に遭遇した。この地域一帯を縄張りにしている半-家ネコだ。小学校の窓には凄い速さで流れる雲間に出る、虹色の満月が映っていた。  猫は愛しさをどうしたって引き出させる天才だ。それでいて消えるときはふっと消える。決してこちらの思い通りにしよう

          夏の嵐の夜のネコ(2020年7月4日)

          二つの「コメディ」

          "It's F**king Over Clowns."-Harley Quinn ■二人のホアキン、アーサーの物語 ホアキン・フェニックスが演じる役は二人いる。一人は、重度の喘息のようにして泣きながら笑い、テレビショーで「人生」への怒りを演説するアーサー・フレック。もう一人は、轟音の地下鉄で虐殺を振り撒き、警官をピエロの群れに溺れさせ、嘲笑い踊るジョーカー。二人は顔にメイクをしているか否かで区別される訳ではない。二人は「コメディ」の意味が違うのだ。 映画全体の筋は、アーサー

          二つの「コメディ」

          淀みなく書く

          淀みなく書く。

          淀みなく書く

          お休み処の名脇役

           「葦邊より満ちくる潮のいやましに君に心を思ひますかな」「こもり江に思ふ心をいかでかは舟さす棹のさして知るべき」-「伊勢物語」三十三段  テレビ。昼のリビングを怠惰で覆ってしまうテレビ。気づいたら14時とかになっていて、さて動き出そうにも身体が怠い。ああ、またやってしまった、と憎きテレビを睨んでも仕方なく、こうして貴重な休日は午後いっぱい破滅を過ごす…。  ただ、今日は違った。起きてnever young beachやSTUTSなんかを聞きながら、出かける準備に風呂場でシ

          お休み処の名脇役

          泣きそうになる

           泣きそうになってから、三晩挟んだ。書こうとしていたことは「人のこころがわからない(「行人」より)」という苦しさについて。日記を見返すと、  「好きな人を一人の人間として見ることがどれほど大切か。そして、それは好きな人に限らないのだということに気づいたのが今日だった(なぜか)。書くのは明日かな。書くほどに身近な人に対して時間も関心も取ってこなかったってこと。物格と見下しは同じようだ。」 とあった。身近な人たちに時間と関心を取ってこなかったこと。    例えば、私がアル

          泣きそうになる

          新調したシャツを羽織る

           「その夜の夢は ノヴァの連続 次々と爆発を引き起こす 新星ー超新星たち 恐ろしいスター・レッド」ー萩尾望都「スター・レッド」    こってりした豚と味噌の乗ったカロリー高めの丼ぶりを食べながら、google chromeでブログを読むのが普段の昼。今日もいつも通り読んでたら、「空いた時間には、書くか読むか寝るか(概)」っていう一文にぶつかり、では私も書いてみようと思い立ったのがさっき。  物を作る/文章を書くとはどういうことか。それは、私の領域で感じているカオスをとり

          新調したシャツを羽織る