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お休み処の名脇役

 「葦邊より満ちくる潮のいやましに君に心を思ひますかな」「こもり江に思ふ心をいかでかは舟さす棹のさして知るべき」-「伊勢物語」三十三段


 テレビ。昼のリビングを怠惰で覆ってしまうテレビ。気づいたら14時とかになっていて、さて動き出そうにも身体が怠い。ああ、またやってしまった、と憎きテレビを睨んでも仕方なく、こうして貴重な休日は午後いっぱい破滅を過ごす…。

 ただ、今日は違った。起きてnever young beachやSTUTSなんかを聞きながら、出かける準備に風呂場でシャワーを浴びていると、リビングの気配がした。いつも通りテレビが点いているのだ。でも、遠くから聞こえるテレビの雑音はむしろ心地よくて、この感覚はどこかで知っているなと思い返すと「休憩室」の空気感だと気がついた。

 昼に入る蕎麦屋とか銭湯のお休み処、病院の待合室や教習所のソファルーム。扇風機の風が吹いていて卓球の音なんかが聞こえる、人間たちがくつろぐ昼の空間、小さな液晶の中で小さく話す芸能人たちは真昼のDJなのかもしれない。


 でも、テレビ番組が蔓延らせた感性はきっとよくない。外国人のインタビューに付く”外国人”っぽいアフレコ、ニュースの「(属性)の男が~により逮捕されました」、アナウンサーの抑揚、テロップ、CMの後とんでもないことが…!などと何度も繰り返されるつまらない一瞬の番宣、成功してる陰には苦しい過去が…という密着ドキュメントの人生観etc...。テレビ番組とは、世界の全てに対して用意された様式の群れである。その様式の中では、世界の全てがつまらなくされてしまう。「お茶の間」と「茶化す」が似ているのは偶然じゃあない。

 しかも、その様式がテレビの外にも電波(伝播)している気がして、私たちの物の捉え方って知らないうちにティービープログラムっぽくなっちゃってんじゃないのって思う。そんなにこの世界ってわかりやすくてつまらないんでしたっけ?

 それを踏まえた上で、でも素晴らしい番組もいくつかあって、私はそれらが生活の中にあることが嬉しい。「白昼夢」の落ち着いた空気感を聴いたり、「アナザースカイ」の街並に見惚れたり、「きらきらアフロTM」の掛け合いと話の展開に驚いたり、「怪盗戦隊ルパンレンジャーvs警察戦隊パトレンジャー」のアクションに燃えたり、「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」の何気ない会話がとても大切だったりetc…。いつも素晴らしい時間をありがとう。

 しかし、基本的にはお休み処のDJが本業。脇役に人生の時間の大半を明け渡し過ぎだなあ、と反省するのであった。


*ヘッダ画像は https://www.amazon.co.jp/YASHINOKI-HOUSE-never-young-beach/dp/B00UMVTPQM より。

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