新調したシャツを羽織る

 「その夜の夢は ノヴァの連続 次々と爆発を引き起こす 新星ー超新星たち 恐ろしいスター・レッド」ー萩尾望都「スター・レッド」

 

 こってりした豚と味噌の乗ったカロリー高めの丼ぶりを食べながら、google chromeでブログを読むのが普段の昼。今日もいつも通り読んでたら、「空いた時間には、書くか読むか寝るか(概)」っていう一文にぶつかり、では私も書いてみようと思い立ったのがさっき。

 物を作る/文章を書くとはどういうことか。それは、私の領域で感じているカオスをとりあえず人前に出せる形に、他の人にも認識できる形にアウトプットすることじゃないかと思う。その訓練はまだ卒論でしかやっていない。

 人前に出す、もっとおおげさに言えば、世界に在らしめることを人は「制作」と呼ぶ。演劇は観客からどう見えるかを常に考えるし、読める文章を目指して校閲は仕事をする、というように、制作することと人前に出すことはほぼ同義だ。

 今までは、workflowyというメモアプリに日記を書き溜めて来た。それらは人前に出ることを意識せず、かつ意識の中身をそのまま出そうとするから、文法も脈絡も背後の文脈もむちゃくちゃに散らかってる。でも、私の領域のカオスにいつまでも浸っているのはもう退屈になってしまった。書きはじめる前置きはこんな感じだ。

 私が読んでるブログたちは文章がエロい。twitterで見つけた彼らは、文体がまずエロく、次に内容がエロい。というのも、そこには誰かの話が、誰かとの機微に満ちた関係性が、具体的に過ごした時間に乗せて書かれている。あの人のこんな所が素敵で、ここはちょっとよくわかってないけど、こんなことを言うのにびっくりして…なんて書いてある。書くことと誰かと関係を編んでいくことの間を往復して、文章はエロくなっていく。

 八月の終わりに三日間だけ夜の横須賀に通っていた時、新逗子から乗った京急線の中でこのブログたちを読みはじめた。傍らで一緒に読んでたのが、大船駅の本屋で見つけた寺山修司の「家出のすすめ」。寺山は他人の悪口を勧め、サザエさん一家を糾弾し、両親と一人の人間として出会い直すことを説き、娼婦になった少女から裕福な青年まで幅広い人たちの家出を論じる。「家出をせよ!」というメッセージが単調にならないのは、一篇一篇に具体性が詰まっているからだ。彼は言う、「門の無い門番の前では、焼き肉をせよ」…!

 具体性とエロさ、二つをボタンに留めて、新調したシャツを羽織る。

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