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夢を叶えるのに25年かかった話

■世の中は「矛盾」で満ち溢れている

「夢を叶えるのに年齢は関係ない」という人がいる。しかしその一方では、「この仕事に就くには××歳までの方(人材育成の観点で)」と言われることもある。

世の中は、綺麗ごとだけでは生きていけない。

愛だけで生きていけないのと一緒。じゃあ金があればいいのか、というとそうではない。愛のない生活に未来はない。でも、「愛している」だけでは生きていけない。生きていくには金がかかるから。

矛盾だ。矛盾だらけだ。しかしそんな中でも自分のやりたいことをみつけ、それに邁進している人間は光輝いて見える。いつかそんな人になりたい。そう思うことに年齢は関係ない。それには救われる。

■「将来の夢は近未来作家」と書いた中学生

小学生の頃から本を読むのが好きだった。その内、自分でも物語を書いてみたくなった。でも書き方がわからない。そうだ、まずは二次創作から――それが、スタートだった。その時はまだオリジナル作品は書いていなかったけれど、将来はぼんやりと、「作家になりたいなあ」と考えていた中学時代。今のように、無料で投稿できるWEBサイトなどなかった時代だ。文章は書くけれど、同人誌を作る金も勇気もなかった私は、その頃は自分と自分の友人達に描きあがった作品を見せる程度の世界で生きていた。

■急に沸き上がった創作熱

そういった創作熱も、大学に進み就職する頃にはだいぶ薄れていた。それが、20代後半になった頃だろうか。初めて自分専用のPCを自宅で購入し、なにげなしにネット検索をしていたら――昔自分が好きだったらジャンルの創作物がたくさん!そうだ、ならば自分も書いて公開してみようか。そう思ってHPを作り掲載したところ、そこから世界が広がった。インターネット、おそるべしである。そこから実に数年間で、100本以上の作品(二次創作だったが)を書いた。サイト関連で友人も出来た。その時の友人達は、知り合って15年は経つ今でも、お互いの結婚式に出席したりご飯を食べに行ったりしている。ネットで出来た友達でも、使い方次第で一生の友達を得ることだってできる良い例だと思う。

しかしそんな創作熱も、自分が結婚すると同時に一気に下降する。出産も経験すれば猶更だった。とにかく、時間がない。少しでも時間があったら眠りたい。その頃はそれだけだった。更に、育休から仕事に復帰した頃には創作の「そ」の字も頭に浮かばないほど忙しくなった。

ただ――育児も仕事も少し落ち着いた頃、ふっと思ったのだ。「このまま、生活に追われているだけでは寂しいな」と。気が付けば、あれ? 私の趣味ってなんだっけ。という状態だった。本も最近はろくに読んでいない。写真を撮ることが好きだったのに、スマホのカメラも子供の写真以外はほとんどない。気づけば自分の中では最新曲だと思っていた曲が、実は10年以上前の曲だったとか。そこで、考えた。自分に何が出来るのかと。そう考えた時、やってみようと思ったのが――創作・再びだった。

■子供の為に、物語を書いてみよう

元々、不器用な私。他のお母さま方のように、裁縫(手作りバック)なんて作れない。ゼッケンの紐を縫っても直されるレベルだから。でも、そんな私でも他のお母さまたちには出来ないことが出来る。それが創作。

これまでは二次創作が中心だった私だったが、経験を活かしてオリジナルで何かを作れないかと考えてみた。そこで作ったのが、「世界にたった1冊、自分の子どもだけの絵本」だった。主人公を子供の名前にして、ありったけの想像をして、絵本を書いた。母親になって経験したこと、感じたこと、子ども目線でそれがどう見えたかを踏まえた、身近にありそうでなさそうな物語――ちなみにその時のタイトルは「ご飯つぶの大脱走」だった。

読み聞かせると、子供は、とても喜んでくれた。本当に、嬉しかった――ああ、自分の作品で喜んでくれた人がいる。それが、私の中の創作熱に再び火をつけたのだと思う。二次だろうが一次だろうが、創作の基本。私はそれを、数年ぶりに思い出したのだ。

■猪突猛進

そこから、私はオリジナルの作品を夜な夜な書き始めた。今度は絵本ではなく、中高生~大人が読めるような物語だ。恋愛もの、コメディ、ミステリー――思いついたものは、全て書いた。WEB投稿サイトにも思い切って投稿してみた。ああいうサイトには、投稿しただけで、何百・何万もブックマークをもらえる人気のアマチュアがたくさんいる。もちろんそうなれれば良いけれど、なんせ名もなきただの物書き。それでもブックマークが増える度、PVが増える度に「ああ、誰かが読んでくれているのか」と嬉しくなった。そしてそれと並行して、もっと物書きスキルを学びたいと、ライター登録をすることにもした。すると、始めて3か月くらいだったか、登録した会社の編集さんに声をかけて頂き、書籍の執筆に参加することになった。運が良い。もう、それ以外ない。その年の夏に書籍は発行され、「共著」という形で書籍の著者に名前を並べてもらえることになった。荒削りの文章だったけれど、長い間書き続けてきたことが、チャンスと経験に繋がったのだと感じた。

そして――その1か月後。今度はWEBに投稿してコンテストに応募した作品が入賞し、電子書籍を発行していただけることになった。別のコンテストに応募していた作品も、中間選考を抜け、1000作品超える作品の内の15作品の中に食い込んだというのが分かった。連載中だった作品も、縁があり電子書籍として出版していただけることになり、そこから一気に「ライター活動」「作家活動」が増えることになった。現在では、小説の著書だけでも15冊以上。いくつかの出版社様とお仕事をさせていただいている。

ただただ、書き続けていた。思い切って発表してみた。ごく普通の人間でも、道が開けた。人生は何があるか分からない。自分でもそう思っている状況だった。

■そして現在、フリーランスのライター/作家に

そして現在は、作家の仕事と、ライターの仕事ををメインに活動している。インタビューライティングから新聞記事のライティング、シナリオライターとしても活動をしている。去年から個人事業主にもなった。扶養枠からも抜けた。開業届の提出~月々の収益登録には、freeeさんには大変世話にもなっている。


この世界は、様々な仕事に携われる分、自分の「腕」で仕事が決まる厳しい世界でもある。仕事の増減で収入も左右するが、それでも「書くこと」を仕事にする以上は、後には引かないそれなりの「覚悟」も持っているつもりだ。

人間、夢だけでは食ってはいけない。でも夢がなければ生きていてもつまらない。ならば、「夢で食っていけるように、頭を使え」。私はそう考えている。

「好き」を仕事にするのは難しい。それで金が稼げるか分からないし、もしかしたら、仕事になったとたんに「好き」が「嫌い」になるかもしれない。

でも、人間には「頭」がある。望んだこと、望んだものを手に入れる為には何をしたらいいか、どうしたらいいか。考える、ということが出来る。

中学生の時に「作家になりたい」と書いてから、25年経った。生粋の作家、というわけではないかもしれないが、それでも「作家」として活動している。夢を叶えるのに、25年。幸いこの夢に年齢は関係ない。もしかしたら、たった1年、半年でたどり着く人もいるかもしれないが、それは人それぞれだ。

結婚していても、子どもがいても、年をとっても。やりたいことがあるなら、そう言うのを全部受け止めながらも、前に進んでみればいい。

出来ないこと、やらないことを言い訳にしてはいけない。これは私が普段、子どもにも話していること。自分もそうでありたい。そう思っている。


「夢を叶えるのに年齢は関係ない」という人がいる。しかしその一方では、「この仕事に就くには××歳までの方(人材育成の観点で)」と言われることもある。それに加え、大人になると「働く」ということが一日の大部分を占めることが多い。その「働く」を豊かで、楽しく過ごすためにも――時には立ち止まり、昔描いていた夢を思い出してみても良いのではないか。幸い私の夢には、年齢制限がない。だからこそ、描いた夢を叶え、更にその先に進む為にはどうしたらよいか。これからもずっと、考えては実行して反省し、そしてまた考える日々を送ることになるのだと思う。



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