希死念慮リポート : 実存主義と形而上学は実用に耐える
本稿は彼方からのレポートであり、困っていたり助けを求める意図は有りません。誤解が生じないと助かります。
本題に入る前に、大切なこと。
⓪医療機関にアクセスするタイミング
すでに主治医がいる
メインのご病気の症状の他に、主治医から、例えば眠りのリズムが崩れたら受診することを指示されているなら、指示された通りに。
希死念慮は、自覚なさったら、病院に電話を入れて、予約外の枠で受診することを薦めます。主治医以外でも、相談内容が希死念慮なら力になってくれるし、そうでないなら、私は転院を検討します。
ご家族・ご友人
基本的には上記の通りです。当事者ご本人が受診したがらない場合は、難しい判断が必要です。「精神科救急情報センター」と「精神科救急」の存在をお伝えしますね。
健康な方
希死念慮は、「もううんざりだの延長」「この世から消えてしまいたい」といった気分としても現れます。美味しいものを食べて、熟睡しても、気分が続くようなら受診を勧めます。
また、眠りにくい・夜中に起きてしまう・起きてしまうと寝付きにくいなど、睡眠リズムの乱れは、心身のサインです。睡眠は脳を休ませる、ほぼ唯一の方法だから、精神科医は眠りの問題を注意深く観察します。早期発見・早期治療はメンタルヘルスでも大切なことだから、「眠り」の課題を自覚なさっているなら、勧めます。
医療機関選び
・心療内科やクリニック
駅の近くなどアクセスが良く、通院の心理的ハードルも低いです。
・精神専門病院
入院設備があり、精神保健福祉士なども勤務しており、病院としての機能が充実しています。
・大学病院精神科
紹介状を持っていっても、系列の病院を紹介されることが有ります。(患者さん多いので、主治医になってもらえるとは限らない)
教育機関でもあります。
上記と比較すると、多くの医師が勤務する組織なので、代診など手厚いです。
・Google Mapのレビューの見方
内科や耳鼻科と比較して、精神科は感情のこじれや行き場のないクレームが集まる傾向が有ります。ただ、複数アカウントの自作自演の可能性も有りますが、例えば「障害年金の話をすると、扱いが酷い」「そんなわずかなお金で何をするのと言われた」など、医学的な根拠が不明で精神科医個人の価値観が出た可能性が有るエピソードを確認したら、私はその病院以外を探します。
しかし、探すと言っても私の暮らす神奈川の都市部でさえ、都内と比較すると、安心して家族や友達に勧められる精神科は少ないです。そのため、地域によっては選択肢が限られる可能性は有ります。(悪評は、複数の病院の口コミを、いくつかのチャンネルから耳にしています)
・転院の目安
① 本稿は希死念慮を扱います
個人的な体験です。くわえて、私の認知特性は、言語と聴覚が優位で、抽象思考の傾向が有るから、他の認知特性の方に分かりにくい可能性が有ります。でも、言語化しにくい当事者や、noteなどで表現することは負荷が高い方もいるし、死者は語れないから、出来る範囲で書きます。
今回は、2021年から2年ほど深い鬱に潜った経験の共有が目的です。希死念慮は、知識や経験の無い方は驚くことも無理は無いけれど、活性化させず、心の底でスリープ状態にすることは可能です。
この記事は、人命が失われないことを願い執筆しています。亡くなられた方のご遺族や友人知人の方々には、直接お役に立てないかもしれません。もしも「こんな思いは自分達だけで十分だ」と願われるのなら、そのお気持ちに連帯することは目指します。
念のため明記します。希死念慮の管理や自死の予防を語ることと、亡くなられた方が「予防できなかった」という視点は、私は別の問題だと理解しています。私自身自死遺族なので、家族の死を「防げたはずだ」と、起きた出来事に対して言われても、不愉快です。だから、現在と未来のみに限定して、書きます。
ご遺族や友人知人の方は、グリーフケア・文学(小説・詩歌・エッセイ)・哲学(実存主義を勧めます)・芸術(美術や音楽)・信仰(カルトには気をつけて)などを勧めます。深い悲しみや痛みを抱えると、美しいものがより美しく感じられますね。
希死念慮で困っている方
ご家族やご友人が希死念慮を抱えている方
対人援助職の方
健康な方
この記事は、これらの方を想定しています。また、以下のトピックと、希死念慮を区別して論じます。デリケートな話題だから、限定して話すためです。
脳死で延命措置を取らないこと
尊厳死の意思表示をすること
安楽死は現状認められないこと。安楽死の是非
私自身、自殺ツーリズムと呼ばれるスイスの事例を、羨ましく思い過ごした時期が有ります。でも、今、生きていて楽しいので、日本に安楽死が無かったから、今があると考えています。
共通言語や前提として
深津 貴之 (fladdict)さんが昨日(2023/07/03)公開された「追求主義(Pursuitism)」を応用なさると、私の理念やテクニックを活用しやすいと思います。
茂幸雄氏の例
福井県、東尋坊のNPOで長年自殺企図者に対して「人命救助」に取り組まれている、“命の番人” こと茂幸雄氏の例は、とても貴重です。なかなか出来ることではないし、残念だけど日本や世界の各地に、どこにでもこうしたNPOが存在するわけではありません。
希死念慮の課題は、きちんと管理を覚えると、他人に止めて貰わなくても、自己管理出来ます。外から見ると希死念慮を抱えているか、分からない状態に出来ます。
② 自死をどう考えるか
私見です。自死は、自身の身体を守り・管理する権利と責任からの「飛躍」だと思います。個人の真意と、病や障害による判断への影響を、区別しにくい性質があります。
③ 「みなす」というブラックボックスの扱い方
「②」を対処する際に、私は希死念慮は脳の誤作動と見なしています。希死念慮というブラックボックスを含むものを、扱いやすくする取り組みです。存在や意識なども扱う形而上学がルーツです。
また、経験上、希死念慮の源泉は、限界を越えた致命傷のような心の傷と、関係があるように観察しています。
④ 1人で3つの立場
小学6年で父親の自死を経験し、希死念慮の問題と取り組まざるを得ない半生でした。私にとっては親の仇みたいな課題です。
次に、精神障害者保健福祉手帳1級の家族のケア、とくに悲しみの言語化、傾聴、外在化、リフレーミングで支援した経験が有ります。家族は希死念慮で苦しみましたが、よく耐え、事故で亡くなりました。
そして、私自身が、おそらく遺伝で障害を負っています。穏やかなものから激しいものまで多様な希死念慮を経験し、管理しています。
父の自死遺族
家族の療養支援と追想
自身の障害の管理
私は3つの立場でメンタルヘルスや希死念慮と関わりが有ります。例えば、同じ家族の死でも、自死と事故では、ダメージが異なりました。
かつ、希死念慮は心の根底にあっても、楽しく生きること、充実感を持つことと両立出来ている点も珍しい人間だと自覚しています。
⑤倫理的な問題を論じない理由
私は希死念慮の倫理的な問題を問いません。当事者は倫理的に望ましく無いことを理解しても、亡くなっていると予想出来るからです。ですから、「真意と区別がつきにくい脳のバグ」の観点で、自身に問うことを重視しています。病や障害が自分の希死念慮に対し、どの程度影響を与え、どこからが真意なのか明確にすることは困難です。答えが出ない問いだから、ブレーキとして役に立ちます。
⑥ 願い
この記事は、希死念慮を管理する個人的な方法を共有することで、人命を失うことの悲しみを減らすことを願い、書いています。
⑦ 配慮はしてもタブーにしない
個々の体験を持ち寄り、多角的に知見を集約することは大切です。メンタルヘルスと希死念慮に関しては、高度にデリケートな話題だから配慮は行います。しかし、アンタッチャブルなタブーにすることは、反対です。それぞれが、自分にとっての希死念慮を、無理のない範囲で話すことが、より良い社会に繋がります。話したくない方に無理に話させることも、情報共有したい方を抑圧することも、どちらもナンセンスだと思います。
なお、希死念慮は単に個人の問題ではなく、社会的・文化的背景も影響を与える点を付記します。言い換えると、個人だけの問題ではありません。
⑧ 視点の目的と盲点
私の視点は希死念慮を抱える当事者、ご家族など周囲の方、健康な方の利益に集中しており「希死念慮は脳の誤作動」とみなしています。医学的に誤ってはいないけど、極めて複雑な要因の問題を単純化しており、背後にある問題を把握するのには向かない視点です。
⑨対策A
茂幸雄さんの活動を例に、社会構造を確認します。
⑨ - 1. 地域社会での援助
政府や他の機関の手の回らない部分を、地域社会がNPOとしてカバーしている点は、先進的です。
⑨ - 2. 孤立と絶望への取り組み
希死念慮を抱く方が陥りやすい、孤立と絶望を他者がどう支援するか、示唆に富んでいます。
⑩ - 3. 死以外の選択肢を共に見つける
希死念慮を抱えた方が、困難を乗り越える際は、「困難を乗り越えられる状態では無い」可能性があるため、共に問題解決に当たる姿勢は、現実的です。(プラグマティズムの観点で、効果的です)
⑨ - 4. 支援と共感
他人事である自死の問題を、人命救助と位置付けて関わり続けることは、大変な労力であり、人命尊重と痛みへの深い共感が無ければ継続は困難です。
⑨ - 5.社会全体での多層的な取り組み
希死念慮と具体的な行動に関しては、個人・地域社会・NPO・医療機関・教育機関・政府など、多層な社会全体の取り組みが必要です。例えば、頑張ってくれるNPOがいるから任せてしまって解決、とはいきません。
⑨ - 5 - 1. 個人
自助努力とは、自己管理と、いつ誰に力を借りていいのかを、理解することです。
過労だと理解しているのに、エナジードリンクを何本も飲んで、心身を無理やり稼働させることは、望ましくありません。
あるいは、心身の不調や漠然とした不安、とくに不眠が出ているのに、精神科へアクセスすることを躊躇することは、その方の利益を損ないます。
受診のタイミングは冒頭で述べました。
⑨ - 5 - 2. 家族・友人
傾聴や寄り添いや見守りで済むか、専門医の支援が必要か、迷ったら相談する選択肢が有ります。(人間関係が壊れる場合もあるから、人命を守るための選択が、絶縁・絶交に繋がる矛盾と直面するかもしれません)
⑨ - 5 - 3. 教育機関
学生相談室が有ります。例えば、統合失調症を大学・大学院時代に発症したケースもあるし、UNICEFが記事にしているように若い世代とメンタルヘルスの課題が有ります。希死念慮はもちろん、不眠や漠然とした不安があるなら迷わず行きましょう。
小中高でスクールカウンセラーに相談出来るなら、保護者と相談して、力を借りることを勧めます。
⑨ - 5 - 4. 医療機関
メンタルヘルス及び、人権の最後の砦です。精神科医の診断書は、役所の手続きなどの根拠になります。また、「自傷他害のおそれ」という概念があり、精神科医2名の判断で、当事者の意思とは関係なく「措置入院」が行えます。例えば、警察が保護した当事者を、入院させるか否か、判断するのは精神科医です。
精神科医も人なので、馬が合う合わないがあるし、残念ですが客観的に見て、当事者を傷つける精神科医も存在します。本稿で引用した、精神科医がインタビューに答えて、転院の目安を話しているので、リンクしておきます。
⑨ - 5 - 4. 医療機関 補足
「人生は私の持ち物。病に関して判断するのは、精神科医」というのが、私のスタンスです。
落語のようですが、内科へ「先生、風邪だと思うんです」と受診したならば、医師は指摘するか分からないけど、「それを診断するのは私だ」と内心複雑かと。精神科で、これをやるとややこしいので、勧めません。
「前回の通院から、このようなパターンで、睡眠が乱れました」「新しく処方された薬が体に合わない気がします。理由はこうです」「希死念慮の衝動が強く昨夜は一睡も出来ず、予約外で受診しました」などと、具体的に報告・相談することを勧めます。あくまでも判断材料を手渡すスタイル。
目に見えない病だから、適切な判断材料を報告相談し、信頼関係を育て(医師との約束や服薬を守るなど行動で示す)、精神科医が正確に判断出来るようにすることは、当事者の出来ることだと思います。
⑨ - 5 - 5. 政府
例えば、ソーシャルワーカーが動けるのは、医師の判断があるからです。訪問看護なら医師の指示書が根拠です。精神科医は、メンタルヘルスの問題の司令塔です。彼らの根拠になるのが、法律。法と規制の制定・実施、予算配分も含めたリーダーシップが政府の役割です。
⑨ 対策B
私の希死念慮を含めた、自己管理。
⑨ - 0.信仰
プロテスタントのクリスチャンです。にも関わらず、心の底から希死念慮がわきいでる矛盾に取り組みました。
⑨ - 1. 思想・哲学(背景)
アルベール・カミュ
困難や不条理を認め、それでもなお取り組むことを学びました。
V.E.フランクル
人生が自分に何を期待しているのかという、問いの逆転は、極めて強力なリフレーミングです。
荘子(老荘思想)
自然と自分を分離させず、あるがままを受け入れる視点は、西洋思想の「分析」の限界のバランスをとってくれます。例えば、希死念慮を自分から切り離そうとするより、寝た子を起こさないアプローチは、荘子の影響が見られます。
⑨ - 2. メンタルヘルスの管理方法
・希死念慮と永遠の関係
「この苦しみがずっと続くなら」
「幸福の絶頂だから、人生を終わりにしたい」
苦しくても幸せでも、希死念慮は刺激されます。共通点は「ずっと・永遠」。
・活性度と静けさ
希死念慮の活性度が高いと、精神的な嘔吐のようなもので、対処がとても大変です。精神科医や訪問看護と相談しつつ、回復を待つことで、徐々に落ち着いていきます。ここで、希死念慮の扱いに慣れていると、具体的には「静けさ」で包んでやると、スリープ状態を保てます。結果、希死念慮か心の根底にあっても、「生きていて楽しい」日常を取り戻せます。
・内観と静けさ
内観の範囲を徐々に大きくすると、心の静けさを確保出来ます。あくまでもイメージですが、硬貨を落とした音を拾えるかが目安(認知特性が聴覚優位の視点です)
・脳と刺激の視点
後述する方法で、心を苦しめないことはもちろん、物理的に脳を休ませるために、刺激に敏感になる
⑨ - 3. 具体的な自己管理のテクニック
・高度な安静状態をつくるスキル
一人暮らしで、精神科の閉鎖病棟よりも高度な安静を確保することを目指す(入院せずに療養出来るし、安全に絶望出来る)
・デジタルデトックス
ネットやSNSから離れる。Twitterは「つぶやくって、どうやるんだっけ」と思うほど、休みました。
・アナログデトックス
光や音自体も脳には刺激だから、脳を休ませることを優先する時は、本や音楽にも触れず、退屈でも考え事も避けるようにします。
・回復を信じて待つ
医師の指導を厳しく守り、脳を休ませる期間を持つことで、回復することを信じる。ここを信じられないと、退屈で脳を休めることを行いにくいので。
・答えのない問いを活用(形而上学の応用)
「どこまで真意なのか?(病や障害による影響はあるはずだから)」
「絶対に、確実で、苦しくなく、誰にも迷惑をかけない方法はあるか?」
希死念慮に関しては、振り回されないことがコツなので、苦しみを理解し認めつつも、希死念慮の言い分を受け入れないことが得策です。そのために、「自分の真意と病や障害の影響を区別することが不可能に近い」とみなし、一種のブラックボックスとして扱いました。精神疾患に関してはブラックボックスな事柄は多いので、形而上学的な思考は役に立ちます。
「絶対に、確実で……」の問いは、「絶対」と使っている時点で、そんなものは見つからないはずです。希死念慮は無意識も含めて、わきあがるものだから、自分自身に答えのない問いを投げかけると、無意識も含めて答えを探し出します。コントロール出来ないはずの、無意識も含めて、希死念慮から気を逸らすテクニックです。
答えのない問いは、存在や意識も扱う、形而上学を希死念慮対策に用いており、組み合わせは良いと感じています。
・希死念慮をどうやってスリープ状態にしたか
アンガーマネジメントは客観視と外在化も強めることが出来ます。ナラティブアプローチが向いていると自覚したので、自分の生育歴に加えて、両親の生育歴も自分に向けて語り直しました。あとは、後述する内観の静けさを使って、脳を休ませることも効果的でした。
⑨ - 4. 精神疾患と内観の関係
・本質と対処
精神疾患の本質は脳が刺激に過敏になること。分かりやすいのは、感覚過敏。光が駄目で蛍光灯のチラつきが耐えられない方もいれば、においが苦痛の方もいれば、私は聴覚過敏が出るので、体調によっては猫が喜ぶガサガサ音がとても不快です。けど、対処方法を習い、イヤーマフ無しで満員電車も大丈夫です。
なお、過敏さは障害の重さと体調で、出方が異なります。
・内観とイメージ
内観は、潜水艦で深海に潜ることと似ています。ソナーや音で周囲を把握する点が似てます。あるいは、最初は手が届く範囲だから半径1mくらいから始めて、六畳間くらいになり、現在は、集中するとバスケットコートが2面ある体育館くらいの広さを認識します。自分の内面を空間として認識していますね。
・認知特性
私は非視覚認知なので、聴覚かつ抽象思考で内面を見ています。だから、映像イメージの扱いと具体的な思考が得意な方には、イメージの翻訳が必要なはずです。
・脳をいかに休ませるか
脳を刺激から休ませる際に、内面の心の静けさと広さ(奥行き)は、外部の刺激と希死念慮の緩衝地帯になるため、内面を内省し(内観し)整えることを勧めます。35歳頃までは六畳間程度でしたが、40代になって確保できる静けさが深まったので、継続の他に年齢も要因かもしれません。
⑨ - 5. 倫理学の観点と自死予防
・もし、正論で倫理学が当事者を追い詰めるなら、それは倫理的なのか
倫理学の観点や命の尊さは全面的に賛成します。ただ、希死念慮で苦しむ方は、倫理を理解しているからこそ、苦しみは根深くコントラストは強いです。仮に、当事者を正論で追い詰めるとしたら、その倫理学は何のための倫理なのか、と指摘します。
・居てはいけない気がしても、それは錯覚かもしれません
1人だと破滅的な選択を選びがちだから、信頼できる専門家の力を借りて、生命を尊重して欲しいです。いなくなればいいと憎まれる人も含めて、消えた方がいい人はいません。
なお、一般論で希死念慮の問題を扱っており、死刑囚や死刑制度の賛成反対の議論は、ここでは扱いません。
・社会こそ自死の問題の倫理的な責任を抱いて欲しい
ゼロには出来ないはずだけど、年間数万人亡くなることと、希死念慮を抱えて生きる存在に対して、社会こそ自らの倫理的な責任を考えて欲しいです。死者が出ているのは、その方の人生の問題だけでなく、時代や社会へのNOでもあるはずだから。命の問題に、敏感な社会は、誰でも安心して暮らせる社会のはずです。
おわりに
現時点で、私が言語化出来ることはここまでです。人生経験を積み、思考を重ね、新たに見える課題があるかもしれません。
今回は言及していませんが、認知行動療法の7つのコラム法をドリルみたいに繰り返したことも、糧になっています。アンガーマネジメントは、扱いの難しい怒りの感情と関わる方法を学べます。認知行動療法もアンガーマネジメントも客観視と外在化を学べるから、この客観視と外在化を希死念慮に対して用いています。外在化出来ると、保険が一つ増えます。実存主義や形而上学の視点も、活用しています。
こう振り返ると、手持ちのスキルを、いかに組み合わせたかに、試行錯誤の跡を感じます。
今の私の最適解であり、病や障害や環境も違うし、認知特性も異なるから、その方の最適解にするには「翻訳」ではなくアレンジが必要です。そんなアレンジの材料として、どなたかの役に立ちますように。
追伸
本稿で触れる余地が有りませんでしたが、中島らもさん、「さん」とつけたい親しみをもつほどには、彼の影響を受けています。痛みに対して共感的な優しさのある方だと認識しています。
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