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うつ病と向き合う

初めて心療内科に通うきっかけとなったのが内科の通院に行く矢先だった。家の外へ出たら変な匂いがした。咳き込んだ事から過呼吸となり、到着した内科の先生から心療内科の通院を勧められたことがきっかけだった。


当時過呼吸になった原因はいくつかあった。
それ以前に住んでいたアパートの上階の騒音問題、友達との絶交、父の他界、購入したマンションで母と祖母との同居暮らしの始まり。とまぁ、ストレスはそれなりにかかっていた。


やっと見つかった心療内科での診断はうつ病だった。何故か「うつ病」と診断されてほっとした気持ちになった。
通院は真面目に通った。徐々に薬の量も減り寛解を迎え、夫の転勤もあり仕事を始められるまでに回復した。

仕事をしていた間、うつ病が全く無かったかと考えると、うつ病の症状があっても頑張らなきゃ生活が成り立たない現実を前にしてアルコールで流し込む日々もあった。タバコもやめられなかったし、自暴自棄になっていたこともあった。

考えてみれば、幼少期から幼稚園に通えない事や、小中学生での登校拒否、中学の時の引きこもり等を考えるとなんらかの精神疾患があったかもしれない。

子供の頃の当時は精神科の扉がとてつもなく高く、私のような登校拒否児が簡単に相談や通院が出来ない世間体があった。

それは両親の世間体や、まさかうちの子がという思い、現在の様に情報化が進んでいなかったこともあって専門医に診せるという概念に乏しかったから仕方ない事として受け止めている。運も悪かったのかもしれない。


寛解を迎えて仕事に復帰して約10年。何かが切れた。心も体も疲弊し、ただただ仕事に行きたくない、仕事を辞めたい!が爆発して仕事を休んだのをきっかけとなり、二度と当時務めていた会社に行けなくなった。

仕事を辞めればコンディションが良くなると思い込み、以前通っていたメンタルクリニックには通院する考えはなかった。そんな状態でやらない方が良いとされている引っ越しをしたせいで、今度は歯医者に通っていた最中に副交感神経と交感神経の優位が上手く行かず、帰り道でパニック発作を起こしてしまった。車を駐車場に停めた直後だったのと、近所だったから良かったものの、巻き込み事故でも起こしていたらと思うとゾッとする出来事だった。

母との同居のストレスもマックスになっていた。夫に頼みメンタルクリニックを探してもらい再び通院が始まったのが約1年前のことだった。診断は持続性抗うつ障害。そして現在に至り前向きに通院している。

今回の通院で違う事といえば、SNSを利用して同じような病や症状を抱えた方の生の声が見える場所を見つけた事だ。そしてネットを通して症状に関する情報を調べ、医師とのやり取りや薬の治療の他に自らの意思で病と向き合っている。

ここからじゃ遠すぎるかもしれないけれど、Twitterで繋がってくれている方々にはとても感謝しています。いつもありがとう。

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