辛名 類

からしな るいと読みます。夫と暮らす仕事をリタイヤした主婦です。主にTwitterで呟…

辛名 類

からしな るいと読みます。夫と暮らす仕事をリタイヤした主婦です。主にTwitterで呟いていますが、Twitterでは収まらない事柄をnoteに書いていきます。自己紹介の詳細はTwitterをご覧下さい。

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最近の記事

憧れのラジオ

小学校高学年くらいだろうか、あるいは中学生だっただろうか、当時オールナイトニッポンという深夜のラジオ番組の面白さに出会い聞いていた記憶がある。まだ確か手元にはカセットテープにさくらももこのオールナイトニッポンの録音があるかもしれない。 小学校高学年くらいの時に、ラジオに憧れた私は台本を作り、近所の幼なじみを誘ってカセットテープに台本の内容を読んで録音するという遊びをした。ラジオごっこだ。 中学生になるとナレーターという文字に興味を持ち、その声の響に憧れたが、どうやってナレ

    • 病退散

      2021年、私のうつ病は影を潜め寛解(かんかい)への1歩を踏み出すことをここに宣言致します。 うりゃ!病退散っ!! 辛い時は休みます。 一度は寛解し、騙し騙しやっていた長い期間もあって、苦しみも哀しみも辛さも知っているからこそ病は気からをモットーに邁進。 そんなことを言っても、根深さもしつこさも知っているからこそ、寛解を招いてやろうじゃないかと思ったんです。 きっと私、ちょっと頭のネジを1本の無くしたみたいです。 そんな気さえします。 いいんです。 頭のネジ1本位こ

      • 2020年12月31日にて

        今年は再起の年でした。 私に相応しい、私が私らしく生きる為のプラスマイナス0年。 何となくそう思ったので、再起の年とすることにします。 ここ3ヶ月位メンタルクリニックの薬が効いているみたいでフラットでいられる事が日常になりました。 勿論、調子の悪い日もありましたが、病が最高潮の時のどうしようもないイライラ感は無くなりました。 鬱の原因が無くなったせいかもしれませんが、お風呂に入ると起こる*フラッシュバックもかなり影を潜めてくれています。 *フラッシュバック 過去の忌々しい

        • クリスマスク

          2020年のクリスマスが病院の梯子となった今日。 今朝起きたら喉が激痛。 疑った疑った誰よりも疑ったのはまず『コロナじゃないよね?』という暗く重い思考。 直ぐに熱を計って確認。コロナの初期症状がイマイチ判らないだけあって熱しか判断基準がない。 とりあえず平熱。 一応夫に相談して、今日予約のメンタルクリニックをどうするか聞いてみた。 熱がないなら行って大丈夫だろう、という互いの判断の一致を確認してメンタルクリニックへ。 おや? 痛くてどうしようも無かった痛みが、鎮痛剤(解熱剤

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          5本
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          1本

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          目指せ明日!

          17歳になるメス犬(以下、17歳の長女と呼ぶ)と、13歳のオス犬(以下、弟犬と呼ぶ)と暮らしている。 その17歳の長女がてんかんのような発作を起こしたのが3年前。それから3年後の今年の6月、17歳の誕生日前に突然てんかんの様な発作を起こした。この時は動画も撮れず、けいれんの時間もあやふやだった為と色んな事を話し合った結果ひとまず様子見となった。 それから約半年経った11月25日に5分間のけいれんを起こした。そして今回の2分間のけいれんが12月14日に起こった。 前回のけ

          目指せ明日!

          一生禁煙

          4年半前に何度目かとなる禁煙を始めた。禁煙ガムも、飴禁煙法も、禁煙の本も試した。禁煙パッチもやってみたが挫折した。 結局禁煙は意思ひとつ、癖を治す行為なので、代用品では効かない事がわかった。4年半前にやったのは単に吸わない禁煙方法だった。相当の硬い意思で臨んだわけじゃなく、ある日ふと禁煙しようと思い立って灰皿を捨てた。南部鉄器の思い出のある灰皿も捨てた。思い出のライターも残っていたタバコも捨てた。無心で全部行った。48時間か72時間さえ超えれば最初のニコチン中毒は消えると信

          一生禁煙

          決められない事が多いけれど

          自然に何でもパパッと決められる性格だった気がするが、鬱になると途端に優柔不断になる。というか、決められない。 鬱初期の段階で現れるのが、外出する為の服が決められない事だ。目の前にある服を着ていけばいい、それが出来ない。泣きながら服を決めて出掛けたこともあった。もうこれは病気だ。 だから私は断捨離をモットーにしている。季節ごとで着なかった服は捨てている。どうしても捨てられない服は着なかった服として衣装ケース1つにまとめている。まとめた服も衣装ケース1つ以上にしない為増えるこ

          決められない事が多いけれど

          私の父は私が30歳の時に61歳で食道がんと上咽頭がんで亡くなった。最期は長年住んでいた町の山の上のホスピタルで穏やかに迎えた。7月末の暑い夏の日の事だった。 父を語る上で必要なアイテムが幾つかある。それは背広と万年筆と包丁とウイスキー。今で言うスーツじゃなく背広。ハイボールじゃなくニッカの角瓶をロックに近い水割りで呑んでいた。晩年にはアル中だったのか、癌の痛みを和らげる薬だったのか、水のように呑んでいた。父との記憶は悪い事もあるが、葬儀の後に極身近な者だけで父の話しをし出し

          我家にも刃が振りかざされた

          ある日夫が帰宅すると 「今日、鬼滅の刃は観ないんですか?って聞かれて、話しについていけなかった。」 という報告があり、とうとう我家にも鬼滅の刃ブームが振りかざされたかと腹をくくった。 何故か私は1~3話だけを2~3回観ていた。それ以上に進めない何かを感じて放置していた。 夫は元々アニメをあまり見ない人なので、我家には鬼滅の刃ブームは来ないだろうなと悠長にしていた。ニュースを観ても、外出先で鬼滅グッズにたむろう子供や大人が居ても、はいはいはいといった感じだ。映画は観たい

          我家にも刃が振りかざされた

          三歳の七五三

          着物は知り合いの方からのお下がりだったが、白地に赤い模様の鮮やかな晴れ着だった。髪の毛はおかっぱに大きな白い飾りを付けられた。 初めての着物は窮屈だった。足袋も草履もいつもと違う履物に嫌々感がMAXだった。その格好で1キロ以上も商店街の続く道をお寺まで歩かねばならなかった。三歳の七五三は辛かった思い出として今でも覚えている。 長い長い商店街のちょうど中央辺りに銀行があって、その辺りから頭に付けていた大きな飾りが何度も落ちた。歩くと落ちる歩くと落ちるを繰り返し、嫌々MAXに

          三歳の七五三

          初めてのネットスーパー

          これまでも今も近くにスーパーがあるせいか特に必要と思わなかったネットスーパー。 以前、忙しい時に登録したまま放置していたネットスーパーがテレビで取り上げられたのを観て、物は試しと使ってみた。 注文した時間帯のせいか、鮮魚に関しては塩サバや加工魚ばかりだったが、野菜から肉類とスーパーに揃っているものはほぼ注文出来る。重たい飲料類やお米などが玄関まで届けてくれるシステムが、掌のスマホから指一本で操作し支払いまで済ませることが出来るのだ。 もう既に当り前に利用されてる方から見

          初めてのネットスーパー

          黄金の葉っぱ

          横浜の桜木町駅方面へと両親と歩いていたイチョウの並木道。 キラキラキラキラ幼い頃の私の目にはイチョウの葉が輝いて見えた。キラキラキラキラ。 手が届きそうで届かないイチョウの葉っぱにもどかしい気持ちを抱きながら一生懸命歩いていた。 それはもう夢心地の並木道で、西に傾き始めたイチョウは陽に照らされて輝きを増していた。 あそこのイチョウは届くかなと試してみるけど届かない。 お父さんでも届かない事を知ると次のイチョウはどうだろう、また次のイチョウの木はどうだろうと試してみる

          黄金の葉っぱ

          子供は居ません。

          子供は居ません。何度口にしたことだろう。時として残酷にもその一言で自分で自分の胸の内を切り刻む行為にも似ていた。 あの人にもあの人にも、あんな人にも子供が居るのに何故私は母親になるという道へと導かれなかったのだろう。神様が居るとして、なんと無惨で残酷な運命を背負わせるのだろうかと思った事もあった。 一時期は妊婦を見て殺意を抱いた。現代に本当に妊婦へのいじめがある事にゾッとしつつも、あの時の私だったら何をしてもおかしくなかったかもしれないとさえ追い詰められていた。 幼児虐待のニ

          子供は居ません。

          ミヒャエル・エンデの本

          私は全く読み書きが出来ない子供だった。 母はそんな私を『このまま漢字が読めない、書けない子に育ったらどうしよう』とかなり心配したらしい。 頻繁にあった漢字テストはいつも赤点。多分クラスで一番漢字の宿題をこなしていた位、漢字が苦手だった。読めない、書けない、覚えられない。何度も何度も練習しても出来なかった。 だから本は大嫌いだった。なのに読書感想文の宿題が多かった。朝読み、夕読みという読書タイムがあり、朝読みは学校で、夕読みは宿題のひとつとして家族の印が必要だった。本は何

          ミヒャエル・エンデの本

          私はロングスリーパー

          日常生活もままならないほど寝てしまうので、先日メンタルクリニックの先生に相談。薬を調整してもらった。よく寝てしまうのは今始まった事じゃない。昔からよく眠る傾向ではあった。 幼稚園の頃の話を聞いて驚いた。夜9時前の天気予報をうっすら耳にしながら寝ていたのかと思っていたが、なんと7時前の天気予報ヤンボーマーボーの歌声で寝ていたらしい。起きるのは朝の6時頃。子供だから睡眠時間が長いのは納得できる。 ずっと8時間睡眠が欲しいなぁと思って生きていたが、そのうち夜型を生きる時代がやっ

          私はロングスリーパー

          うつ病と向き合う

          初めて心療内科に通うきっかけとなったのが内科の通院に行く矢先だった。家の外へ出たら変な匂いがした。咳き込んだ事から過呼吸となり、到着した内科の先生から心療内科の通院を勧められたことがきっかけだった。 当時過呼吸になった原因はいくつかあった。 それ以前に住んでいたアパートの上階の騒音問題、友達との絶交、父の他界、購入したマンションで母と祖母との同居暮らしの始まり。とまぁ、ストレスはそれなりにかかっていた。 やっと見つかった心療内科での診断はうつ病だった。何故か「うつ病」と診

          うつ病と向き合う