我慢ってかっこいいのか
我慢って一言でいっても色んな我慢があると思う。
ゲームしたいのを我慢して勉強するとか、雰囲気崩さないように本音を我慢して友達と語らうとか、貯金のために欲しかったものを買わずに我慢するとか。
我慢できたらなんとなく偉いという空気が私はこの社会にはあると思っていて、小さい頃からなにか常に私たちはルールを知りながら大人になったわけで、ルールを守るということは、毎日何かを少しずつ我慢していることになるんだろう。
では、体調不良はどうだろう。
実は数ヶ月前から体調の優れない日が続き、病院を転々として検査をしてもらってる。原因のわからない症状が続いてるのだ。
症状をここで詳しく語ってもと思うので省くが、とにかく仕事終わり家に帰ってもぐでっと泥のようにリビングに寝転がってしまいそのままピクリとも動けない時間が30分から1時間あるくらいには体調が悪い。
だけど朝起きることもできるし仕事に向かうこともできる。
でも帰宅時には屍のようになっていて、徒歩10分の駅近の家すらあまりにも遠く感じる始末だ。
なんとか眠りにつき、なんとか起き上がり、なんとか電車に乗ればあとは自分が頑張ってくれる。だけどどうしても起き上がれなかったり朝から強い吐き気で家から出れなかったり、何度か仕事を休んでいるのも事実だった。
病院でも検査ばかりで異常なしが続き、診断名も出ず、でもまあ今後仕事の休みが増えてしまったらいけないと思いとりあえず上司に相談すると、
「そういうことあるよね、俺もよくあるよ。我慢できるようになれるといいね」
と言われ、どきゅーんと頭を貫かれたような感覚に襲われた。
ああ、美徳、素敵な我慢、誇るべきものそれは我慢、解決しない悩み、日々の暮らし、仕事、努力、それはつまり我慢すれば、なんとかなるのですね?!
とかなんとか訳のわからんことを思い浮かべた。
ちょっと辛いかもしれないから病院へ行く私のような甘えゆとりZ世代。きらきら。
倒れるまで頑張るのが超絶かっこいい上の世代の方々。
休んだら職場に迷惑かけるからとか、「社会人としてどうなのライン」というものも人それぞれあって、難しい話にはなるんだけど、とにかく私はなんだか、病院の存在意義を問いたくなった。
病院は、私のような社会に甘えたモラトリアムガール、見た目は成人心は子供!な奴らを世話する場所だったりするんだろうか。
いいや考えすぎ、だって私の症状は仕事に行けないレベルではないんだし、ゲロ吐きましたと言っても誰か会社の人がゲロ確認してくれるわけではないんだから嘘だと思われてたって仕方ない訳だ。
病院に行くなんて大ゲサ、そんなものは我慢で突き通すのよ、それが社会人ってもんよ、とガツンとやられたような気がして、私はもうズームの画面の向こう側にいる上司に対してなんだか申し訳なさと罪悪感とでいっぱいになって、
軽い体調不良で相談なんて、情けないわね、
とついでに言われたような気がしてしまって、ズームでの面談が終わってスマホの画面が真っ暗になった瞬間、リビングに寝転がって、ああ〜、自分の体を大切にするって、こんなに他人のことも気遣わなくちゃいけないんですか、周りのこと考えて自分の体調不良を放置するのが美徳なんですか、
あ、それが我慢というものか、
素敵、素敵、とっても素敵、我慢、我慢、みんな、我慢はかっこいいです。
嗚呼せちがら。。
とかなんとかまた考えて、私って馬鹿だなあと思いながら外へ出て散歩した。
会社で雇われてるくせに何度か欠勤してるのはどう考えたって私が悪い。
理解してもらえないことがたくさんあるのは当たり前。
それとどう向き合うのかも自分自身の問題。
自分の気持ちを貫き通せない中途半端な私には、とっても難しい問題なのです。
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