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10 「アイデア」と「コンセプト」VOL.03

文頭でお断りしておきます。10,000文字ぐらいの読み物です。売れる企画の技術習得は武道の黒帯取得のような話。本気で「売れる企画を立てたい」「売れる商品を作りたい」と思っていない人が、軽い気持ちで読んで、冗談半分でやって、事故をしたり、怪我をしたりしないように有料マガジンにしてあります。内容も本気でやらないと身につかない「売れる企画の技術習得内容」なので、軽くありません。

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前回 09話 「アイデア」と「コンセプト」VOL.02 
○ Section-22〜Section-24 より

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● Chapter-02「アイデア」と「コンセプト」

Section-25「コンセプト」という言葉の使い方


企業の活動が大規模化したのが昭和と平成の時代。それがグローバル化し社会変化のスピードは加速的に早まるばかりです。こういう時代は少しだも古びた意味や思想にこだわっているとアッという間に時代に取り残されてしまいます。ひとつ失敗すると連鎖反応が起こってしまいます

また、たくさんの社員やアライアンス(複数の異業種企業が、互いの利益を上げる、業務を拡大させる、新規事業を立ち上げる、といった目的で、業務提携を交わす経営スタイル)のメンバーに共通の行動をさせていくためには、全員が納得できる説明も必要になってきます。

そのためには「アイデア」という漠然としたものに意味づけをして「筋の通った説明」をしていく必要も出てきます。コンセプトという【概念】が必要になっているのは、こういう背景が存在しています。とはいえ、この言葉は、かなり煩雑に使われているという特徴もあります。

コンセプトという言葉には、なんとも不思議な「プロフェッショナルのニオイ」が漂っています。なにより、この言葉を使うだけで「ビジネスをしっかり学んでいる人」のように感じられてしまい、マーケティングや、企画を勉強した人という雰囲気が漂ってしまうからです。

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日本という国は不思議な国で、なんだか意味のわからない言葉を「以心伝心」で理解し合わなければビジネスが成立しにくくなります。たとえば「コンセプト」ってなんですか? などと聞いてしまったりすると「自分が軽蔑される」というような話にもなってしまうのです。

1980年代の後半。バブル経済で日本が不思議な盛り上がりをみせていること、勤めていた百貨店で一時期「日本の大学を卒業した、通訳をするネイティブなイギリス人の方」が雇われていたことがあります。その人とも、よく仕事終わりに居酒屋に言ったりしていました。

その「通訳として会社に雇われていたイギリス人の友人」に、業界で流行している「コンセプト」という言葉について質問をしたことがあります。「コンセプトって何ですか?」と聞いたら「コンセプトって、意味なんてないよ」と答えてきて、ビックリしたことを鮮明に覚えています。

「質問が間違っていたんだろうか?」と感じ、専門雑誌などを通して一生懸命にコンセプトという言葉が、どう使われているのか?について研究することにしました。「商品コンセプト」「ショップ・コンセプト」「マーケット・シェア・コンセプト」「投資コンセプト」・・・

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色々な場面で「コンセプト」という言葉が登場してくる。コンセプトという言葉が使ってある言葉を「集める」ということをやっていくうちに「コンセプトというものは考え方という意味だ」ということが、少しずつわかってきて、ドンドン鮮明になっていったのでした。

「コンセプト」という言葉が、広告デザイン業界から、商品開発をしている企業へと広がり、あっちでも、こっちでも使われだしたのが1985年頃。その頃、勤めていた百貨店と仲の良いの広告代理店から、私たちのいる百貨店のマーケティング部にお呼びがかかりました。

少し前にも説明したと思いますが、私の勤めていた会社のマーケティング部は独特の動きをしていて、たとえばテレビのCMなども、マーケティング部に「映像制作会社のスタッフ」を呼んで、一緒にワイワイとミーティングをやりながら、自分たちで作ってしまっていました。

多くの競合他社は「そういうものは広告代理店にお願いして、プロのプランナーに企画を立ててもらって作ってもらうものだ」と考えていた時代。とても異質な異端児的な動きをしていたのです。そして、できあがったテレビCMを広告代理店の営業マンに渡すというパターン。

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そうやって「テレビ広告の窓口」「新聞広告の窓口」になってくれていたのが「第一広告社」という広告代理店でした。とても頭がやわらかい人たちのいる会社で、私達のような異質で異端児的なノリを、逆に「面白いなぁ」と面白がって相手してくださるような人たち。
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この「第一広告社」という会社と仲良くなった「きっかけ」は、この話の10年ほど前に「九州福岡の西鉄ライオンズ」という球団が倒産しかかった時、その買収支援を行った「西武鉄道グループ」が、球団のロゴやユニフォームを依頼していたことが強く影響しています。

当時の百貨店の経営者でありオーナーだった社長は、西武鉄道グループを経営しているお兄さんから「ここの会社は面白い」と紹介を受けていたといった「流れ」もあり、鉄道グループも、百貨店グループも、その「第一広告社」という広告代理店と仲良くしていたのです。

その「第一広告社」という会社の方から「自動車のデザインのコンペがあるのですが、ちょっと力を貸してもらえないだろうか?」という話が舞い込んできたのです。うちの会社の上司たちも、どちらかというと「ノリ」が良かった人たちだったので、この話が成立しました。

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