改革は失敗し、人類の目覚めが起こるどころか、益々、人心の荒廃が進んだ。
なぜ今、「人心改革」の時代にあるのか。なぜならば、人間の精神性が弱まり、世が乱れ、崩壊の段階に入ったからだ。即ち末法の世。19世紀までの改革は失敗し、人類の目覚めが起こるどころか、益々、人心の荒廃が進んだ。従って、もはや最後の改革が進行中なのである。地球における人類の隆盛は、科学技術の発達により目覚ましい発展を遂げた(ように人間には見えているだけ)。しかし、万物に必要な地球の自然資源が、無計画のうちに無造作に搾取され、物やその廃棄物で溢れ、人間の数も指数関数的に増加し、その乱雑さは、ピークに達した。このまま何もせず放置されれば、自然淘汰が起こり、地球環境とそこで生きる全生命が死に絶える。地球における人間の本来の役割は何なのか?それは、万物の霊長としての分別を失念し、我が物顔で地球を支配し、好き勝手放題に収奪、廃棄を繰り返し、全生命のための自然資源を人間のためだけに使い倒すことなのか?そう感じていなくても、事実、そうなっている世を見て、己、何を思うか?同じ景色を見て、感じる感性の鈍さが、今の現状を齎していることを推して知るべし。「私には関係のないことですよ。だって、全て、国や政府や企業や科学者がしてきたことだから。私にその問題を押し付けられても何も出来ないし。もう勘弁して下さいよ。」このような性根では、21世紀中に人間社会は崩壊し、地球の寿命が予定よりも大幅に短くなるであろう。そうなっては困るのだから人心改革を行っている。この最後の改革を失敗すれば、もはや後悔してもあとの祭り。輪廻の機会は閉ざされる。人心改革が成功したならば、地球のまほろばを、人間はもう少しだけ長く体験することが出来る。まだこの場に及んで、誰かの所為にするのか、自分事として真剣にこの改革に取り組み未来へ可能性を繋ぐのか、この時代に生まれ出た使命を全うするか否かで、今世での己の生き様が量られる。そのことを肝に銘じ、今日、自分が何をすべきか熟考し、感性を高め、微力でも人心改革に貢献していきます。有難う御座います。