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独りでいることが出来ない、耐えられない。

人間には、それぞれにそれぞれの道がある。


それは、誰かが通った道ではない。


己が単独で進む道。


従って、誰かの後をぞろぞろと追いていっている状態であれば、それは己の進む道ではない。


「道」とは孤独。


己一人で進むしかない。



「やだ!独りで行くのはいや!怖い!誰かと一緒でないと、私は進めない!」


「いつも周りには誰かがいるよ。家族だったり、友だちだったり。いつも一緒!もし、誰もいない世界にぽつんと自分だけいたら、たぶん発狂すると思う。誰もいない世界は想像できない。淋しくて不安で死んじゃうと思う。」


「確かに、生と死を考えた時に、生まれる時も死ぬ時も誰かがそばにいてくれたら嬉しい。でも、僕の替わりはいないし、僕自身も誰かの替わりは出来ない。それぞれが自分の人生を生きているっていう感覚あるよ。だから自分がしっかりしなくちゃって思う。」


「人間ってよくよく考えてみると不思議。なんで私は、この世にいるんだろう。何の目的があって生きているのかな。いつも友だちとワイワイやって楽しい毎日過ごせていて満足だけど、それだけが生きる目的なのかなあ…。そう一人で考えることたまにある。その答えって、たぶん、みんな人それぞれなんだろうな。そういう意味では、人間が進む道があって、それは私の道であって、誰かの道ではないことも何となく分かるような気がする。」


「自立とか言うけれど、この話に通じるのかも。私たちは、誰かに何かに支えられて生きてもいるけれど、結局は自分の人生は自分で進むしかないのだと思います。何か大失敗したとしても、最後は自分で何とかするしかないし…。」…。



そう。


人生とは、そばに誰がいようとも、皆一人ひとりの問題である。


これ真実。


万人共通の定め。


これを拒もうが受け入れようがそれが実相。


従って、事を誰かの何かの所為にしても自分自身の問題である時、それは自分で何とかするしかないということだ。


これ即ち人間の“孤独の克服”という宿命。


今の人間、ここが弱い。


独りでいることが出来ない、耐えられない。


こんなことでは、己の道を見つけたとしても、その険しさに恐れおののき、誰かの後を追いて別の道をいく始末となっていく。


これは自分の道ではない。


追いていったところで己の道ではないのだからそのうち放り出される。


深入りしすぎて、もう自分の道を見つけられぬことになるやもしれぬ。


そうなれば、孤独の畏れが恐れに変わる。


これに堪えること死ぬほど厳しい。


そうならぬために、思うところあれば、性根を入れ替え、自分の本当の道を探すことだ。


真実を言えば、己は一人ではない。


誰も見ていなくても、いつ何時も天だけは己を見守っている。


だから安心して進め。


厳しくもそれが己の道。


自分の選んだ道。





そのことを肝に銘じ、孤独を克服し、自分自身の真の道を進みます。





有難う御座います。

幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者