どんぐりハイビスカス

人生と遊びについて研究してます。物理系の大学院を卒業してすぐ南米に飛び立ち、アマゾン川…

どんぐりハイビスカス

人生と遊びについて研究してます。物理系の大学院を卒業してすぐ南米に飛び立ち、アマゾン川を中心に3か月過ごして帰ってきました。好きな球技はドッチボールです。

最近の記事

情報発信はグルーミングなんだとわかっておもろい

哺乳類は外界の脅威から身を守るために毛づくろいをして共同体を作る。 でもこれは一対一のコミュニケーション。 言葉をつかえる人間は一体複数のグルーミングとして歌い、踊り、語り、宴を開く。 情報発信はこれがインターネットという情報空間で行われているだけ。 自ら踊り狂うことでそこを起点に爆裂なエネルギー循環が生まれ、その流れに乗って人が集まる。 そしてコミュニティが生まれる。

    • エネルギーは右から左に受け流すもの。

      エネルギーは右から左に受け流すもの。 天津木村のように。 ここで言うエネルギーは、 お金や経験、知識、人、情報、感情などをひっくるめたもの。 そして、この宇宙にあるものは常に循環している。 水も空気も血液も。 素粒子は常に生成消滅を繰り返す。 平家物語にすら盛者必衰とある。 であれば受け取ったエネルギーをため込むのは不自然。 地球というシステムの流れをせき止める存在になってしまう。 そう思えばどんどん放出していかざるを得ない。 嬉しい楽しいという感情を得た

      • 世田谷ベースを読んで遊び心を取り戻すやつ

        こんにちは。 今日はなんかやりたいけどやること分からないときは、いったん世田谷ベースを読もうって話です。 そして遊び心ってこういうことかって感覚を呼び覚まそうって話です。 世田谷ベースは所ジョージの番組ですね。 僕もそんなに詳しくないんですけど、所ジョージの家に行って今やってることとか面白がってることを紹介してもらう、みたいな番組。 で、それの雑誌がkindleで無料で読めるんですけど、これが非常によくて。 最近はあんまりないですけど、昔は「とりあえずなんかやりた

        • ありあわせの道具・材料と創意工夫で乗り切るブリコラージュという発想がおもしろい

          ありあわせの道具・材料と創意工夫で乗り切るブリコラージュという発想がおもしろい。 自分の工夫でそこに目的とか使い道を見出すというのがおもしろい。 これと対になる概念はエンジニアリング。 こっちはゴールを定めて、そこに向かって必要なものを集めていくという発想。 これは直線的で余白がない。遊びがない。 西洋の建築が完成像を思い描いて作るのに対して、伝統的な日本人がその素材の良さを引き出そうとすることに対応してると思う。 というか料理で考えてみても、その素材の味を活かす

        情報発信はグルーミングなんだとわかっておもろい

          なぜ自分軸が見つからないか知っていますか?

          やりたいことリスト、自分史、自己分析。 何を試してもしっくりこなかった あなたのための自分軸の見つけ方。自分探しの旅真っ最中のあなた。 もう結構疲れてきてませんか。 ここで終わらせましょう。 どうやるかって? 今から説明していきます。 何が足りないのか そもそもなぜ巷の方法では納得できないのか。 実はほとんどの場合書かれていない、 極めて重要なステップがあるんですね。 そこが抜けているせいで、 どのやり方でも違和感が出てくる。 心からしっくりくる自分軸が分からない

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          負けなければいい

          負けないことを意識するのが大事。 勝とうとする、うまくやろうとすると失敗することが多い。 “勝ち”は結果、“負けない”は過程。まだ続いている。 “勝ち”は一点を指す、視野が狭い。 “負けない”は複数ある、選択できる、幅が広い。 “勝ち”はすぐに手に入らない。遠くの一点を狙うことになる。確率が低い。 “負けない”は負けにつながる排除すればいい。選択肢が多い。間違いが少ない。 知識、テクニックに頼る時点で負け。 負けない努力は知識、テクニックに頼る自分を捨てること

          負けなければいい

          期待値を上げると言う感覚

          僕は物理専攻の大学院生です。 毎日勉強やら研究やらしています。もともと興味があったからそれに取り組んでいるわけですが、とはいえ感情やモチベーションには波があります。 常に一定な人はなかなかいないと思います。となると、いかにそう言うものに左右されずに研究に打ち込めるようにするか、というのが大事になってきます。 期待値を上げると言う感覚です。自分のその日出せるパフォーマンスの期待値を日々高めていくと言う感覚です。 自分がどんな時にどんな気持ちになって、その時にどれぐらい集

          期待値を上げると言う感覚

          電子マネーのYouTube広告に見る日本人の習性

          さっきYouTubeを見ていたら電子マネーのCMが流れていた。 僕はYouTubeアプリを使わない。サブスクも払わない。長時間見過ぎてしまうから。それはもう引くぐらいに。だからブラウザから見るという不便な暮らしをあえてしている。 今日も動画を見ていたらあるCMが流れてきた。渡辺直美の電子マネーのやつ。その宣伝文句にすごく違和感があった。 というかそれでいいのか、と思ってしまった。特に僕たちの側に。受け手の側に。こんな内容だった。 「タッチするだけだから後ろを待たせない

          電子マネーのYouTube広告に見る日本人の習性

          循環するのは自然の摂理。変化しないのは不健康。

          「変化し続けろ!」 「同じことするな!」 「現状維持は衰退!」 みたいなことってよく聞きますよね。 で、確かに大事な気もするけど、完全には腑に落ちてなかったりしてました。 最近、自分の中である程度納得のいく根拠が見つかりかけなので、共有してみようと思います。 簡単に言うと、 “変化しないのは自然の摂理に反している“ ということです。 人間は地球の上で暮らしています。地球では常に循環が起きています。だから変化しないとき、循環を止めているとき、その人には不具合が生じるの

          循環するのは自然の摂理。変化しないのは不健康。

          努力は、自分の内側には存在しないらしい

          また衝撃的な言葉を聞いてしまった。 「努力は自分の外にある概念。面白いからやるのであって、自分で”今頑張ってる”とか思うのは健全じゃない」 これはさすがになるほどと思わされた。耐えようとしたけども。 もともと楽しくてやってたことでも、義務感とか頑張ってる感が出てくる瞬間は結構あると思う。 最初から最後までずっと楽しいおもしろいだけで走り抜けられることってそんなにない。 たぶん自分がポジティブな気持ちで続けられるような働きかけを、ずっと自分でしていくのが大事。 そう

          努力は、自分の内側には存在しないらしい

          noteの書き方を調べるとnoteを書けない

          危なかった。 「note 書き方」 で検索するところでした。 ギリギリで踏みとどまった。セーフ。 またもや “正解があるという思い込み” に引っかかりかけてました。 やっぱり子供の頃からの癖なのか どこかに正解があるんだろうと 思っている時がたまによくあります。 文章書くのもそうですが 正解を見つけに行こうとすると どんどん身動きが取れなくなります。 書きたいから書くのであって おもしろいから書くのであって 型通りに書いても別に楽しくないので いよいよやる意味がなく

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          受動的にハマってるときはヤバイ

          今日はね 受動的に何かにハマってる時はやばい という話を聞きましたよ。 言い換えると ハマらされている時 って感じですかね。 スマホゲームとかYouTubeとか。 こっちの時間を奪う仕掛けを 向こう側がいっぱい用意してる系のやつ。 いくらこっちが「おもしろいから」「好きだから」と言っても、相手に動かされてるだけですね。二人羽織ですね。違いますね。 主体的にハマった・ハマっていることをいっぱい持っているのが健全な感じですか。 自分でハマりにいくのは 意識的にやらないと

          受動的にハマってるときはヤバイ

          意味あることは意味ないこと、あることないこと

          ちょうど今YouTubeつけて作業してたら、 「みんな意味あることばっかやりすぎやねん」 って聞こえてきてハッとさせられそうになりました。耐えた。 どうもこんにちは。 確かにそんな感じなりがち。 意味ないことしてる時間は意味ないって思ってしまいがち。 でも意味があるっていうのは自分のジャッジ。その判断で動くだけだと今の自分の外にあること取りこぼす。ぼろぼろぼろ あえて意味ない方に進む。 あえてランダムに意思決定する。 こういうのを増やせば 想像外のおもしろいこと

          意味あることは意味ないこと、あることないこと

          「遊び」を最優先にして一年半過ごしてみた

          大学2年生の頃、なんか退屈だなと思う日がよくありました。別に大きく落ち込むようなことは何もないけど、人生の最後の最後までこの感じだと褒められたものではない気がする。 ちょうどそのときは実験が忙しくてずっと何かしらレポートを書いていました。子供のときは不意に退屈に思ったりしませんでした。当時どう過ごしていたか思い出してみました。 あのときは毎日誰かしらと遊んでいました。じゃあもう一度そうしてみようと思いました。どうせやるなら振り切って、友達と遊ぶことを優先順位の一位に置いて

          「遊び」を最優先にして一年半過ごしてみた

          流れに乗るほど摩擦は小さい

          人を誘うのが苦手です。でもできたほうがいいと思う。たまには自分で声をかけるようにしている。歯を食いしばって。 そんなときのコツは流れ。流れで誘う。いきなり「今度〇〇いこう!」と言うのはハードルが高い。 相手の関心が“遊び”に向かっていそうなとき。これはチャンス。お互いの心の摩擦が小さい。消費エネルギーが小さい。滑らかに進む。 そんなことより、“流れ”のイメージはいつでも持っておきたい。 流れは目に見えない。感じる必要がある。感覚が大事。目に見えないものを重要だと思える

          流れに乗るほど摩擦は小さい

          汗のにおいがしない人は胡散臭い

          先輩2人と大学から帰っていたとき。なんかの流れで哲学の話題になった。僕とA先輩は哲学にちょっと興味がある。B先輩は嫌いらしい。 「ソクラテスは〜〜と言ってて〜」みたいに語る人が嫌いらしい。ひろゆきでもホリエモンでも似たようなことを言ってる。哲学だけ高尚に扱われているのが嫌いらしい。 「別に漫画でも映画でも全てから学べると思っている」と言っていた。それはそう。“全てから学べる”という意識は持っておきたい。これはまた別の話。 「そういう人はエセ科学と同じような胡散臭さがある

          汗のにおいがしない人は胡散臭い