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汗のにおいがしない人は胡散臭い
先輩2人と大学から帰っていたとき。なんかの流れで哲学の話題になった。僕とA先輩は哲学にちょっと興味がある。B先輩は嫌いらしい。
「ソクラテスは〜〜と言ってて〜」みたいに語る人が嫌いらしい。ひろゆきでもホリエモンでも似たようなことを言ってる。哲学だけ高尚に扱われているのが嫌いらしい。
「別に漫画でも映画でも全てから学べると思っている」と言っていた。それはそう。“全てから学べる”という意識は持っておきたい。これはまた別の話。
「そういう人はエセ科学と同じような胡散臭さがある」とも言っていた。スピリチュアル量子力学みたいなやつ。
エセ科学と薄っぺらい哲学を語る人。その後もうしばらく話をして、2つの共通点がなんとなくわかった。根拠に実体がない。
エセ科学には実験データがない。科学は実験を根拠に積み上げていくもの。その土台がない。だから胡散臭い。
薄い哲学を語る人には自分の体験がない。見聞きしたことをそのまま話す。実生活が欠けている。B先輩はそこに違和感があるみたい。
ここまで話をして、この言葉を思い出した。
“汗のにおいのする思考”
外山滋比古の『思考の整理学』で見たフレーズ。思考には2種類ある。物理的な活動から生まれるもの。文字や読書によって組み立てられるもの。後者から生まれた言葉は汗のにおいがしない。活力がない。
ざっくりこんな文脈で出てきたが、まさにこの通りだと思った。実生活、実体験の影を感じない言葉には人間味がない。だから気持ち悪い。
僕もよく本を読むのでこうなってしまう可能性は大いにある。今までにもあったかもしれない。いやまあ、多分あった。だからこそ今一度気をつけたい。
実生活から芽が出た言葉を使う。
胡散臭い言葉じゃなくて汗臭い言葉。
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