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人に貢献したいという思いの危うさ


自己分析やカウンセリングを行う中で
「人に貢献した生き方をする」という
価値観と出会う事がよくあります。

貢献して笑顔を見る事が私にとって幸せとの事です。

人に貢献した生き方でかつ笑顔を見たいというのは、大変立派です。

同時に、本当に自分の願いかという事を改めて考える必要性があるかと思われます。

というのも動機の違いで、貢献により生じる思考や感情は
まったく別のものになるからです。

加藤諦三先生は、「無意識の必要性」という言葉で説明されています。



つまり、貢献は行動である。そして貢献という行動が生じる理由は、心の「無意識」が「貢献」によって得られる「何か」を必要としているからなのです。



例を挙げると、過去にひどい虐待やいじめなどを
受けてきたきた人が、心の底から人に貢献した生き方を
望んでいるという動機は何かという事である。


笑顔が本質であろうか?
であれば「基本的に人は嫌いなんですが、私と同じ境遇の人に貢献したいです!」と述べている方が、まだ分かりやすいのです。


「全ての人に貢献したい」とは親や社会の願いからなのか・劣等感からなのか・見捨てられ不安なのか様々であるがそれらを一言でまとめると「失愛恐怖」なのでしょう。


誤解を招くため、一度言うが決して貢献することがいけないと言っているわけではありません。
貢献によってもたらされるメリットも多分にあります。

しかしながら、自身の「動機」を定めておかないと
結局「人のため」という誤った価値観で燃え尽き症候群に
陥ってしまうでしょう。


このように人に貢献するという
「夢(なりたい自分」と現実的に直面する
問題(愛情飢餓・劣等感・不安)により自身を見失う事を
来談者中心療法の言葉で「自己不一致」と呼びます。


「人のため」というのは「自分のため」という事が
大前提で自己分析しないと心の葛藤が生じやすいでしょう。


そして、何よりまずは自身の安心安全を最優先に生きて欲しいのです。
そうでないとあまりにも悲しすぎるし、わたしがカウンセリングやコーチングをする以上はその人が幸せになって欲しいのである。


最後に私が最も尊敬する心理カウンセラーである
國分康孝先生の言葉で締め括りたいと思います。

~他愛の前に自愛こそ幸福の条件~

人は私を認めるために生きているのではない。
人に認めてほしければ、自分で人に認めてもらうように
何かをする事である。

自力で自分を幸福にする。

その事にひけめや恥ずかしさや自責の念をもつ必要性はない。
自分がまず幸福にならないと、人を幸福にするのは難しいからである。

中略

人に認められたいと思うのは当然である。
しかしそれよりももっと大切なことがある。
それはこの人生で自分の有りたいようなあり方をすることだ。

その結果、人が認めてくれればそれに越したことはない。

人に認められなくても自分が自分に
「アイ・アム・オッケー」と言える人生、つまり自分が自分を
受け入れられる人生、自己嫌悪の少ない人生を送れば
まずは良い人生であったといえであろう。
(自己発見の心理学,國分康孝より引用)

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