見出し画像

『くちびるリビドー』第14話/3.まだ見ぬ景色の匂いを運ぶ風(2)


「やっぱりここでごまソフト食べなきゃ、こっちに来た気がしないよ」
「お昼も過ぎたことだし、いか焼きも食べましょうか」

 八森、鹿の浦展望所。ここに立ち寄って、コンクリートみたいな色をした濃厚な黒ごまソフトクリームを食べるのが、あの頃からの定番コース。
 高台に位置するこの場所からは日本海が一望でき、いつだって私は両腕を大きくひろげて、水平線の端から端まですべてのエネルギーを全身に浴びようと深く息を吸い込む。
 すぐ後ろには「八」の字が描かれた、人懐っこい感じの山。
 左を眺めると、秋田県の男鹿半島へ向かってぐぐっと海岸線が伸びていき、花のように点々と白い風車が並んでいる(いつの間にこんなに増えたのだろう)。
 そして右には、おばさんの家がある青森県の深浦へと続く入り組んだ海岸線。その奥に連なる山々は、日本で最初に世界遺産に登録されたという白神山地だ。

 車から降り、柵の手前までダッシュする。
 この景色を前にすると、あの頃と同じように体が勝手に走り出す。
 はしゃぐ私の後ろから、ゆっくりと寧旺が歩いてくる。

「ごきげんね」
「連れて来てくれて、ありがとう。やっぱり日本海、サイコーーー!!」

 ピリリと肌を刺す十一月の海風も、全然平気だった。
 細胞が喜びでふるえて、なんでもいいから海に向かって叫びたくなる。

「この柵から向こうへ、いつも飛び込みたくなる。イルカみたいにさ」
 そう話す私の声は風に乗って、どんなふうに届くだろう?

「ちゃんと岩場の向こうまで飛ばなきゃダメよ」
 やさしく響くその声に、伝わっている安心感を得る。

 きっと過去にも同じような会話を重ねてきたはずなのに、こうして何度だって上書きしていくのだろう。今、ここにいるから。目の前に、触れることのできる距離に。
 そして会えなくなったら、できなくなることを。
 私たちはもう、こんなにも知っているから……。







くちびるリビドー


湖臣かなた







〜 目 次 〜

1 もしも求めることなく与えられたなら
(1)→(6)

2 トンネルの先が白く光って見えるのは
(1)→(6)

3 まだ見ぬ景色の匂いを運ぶ風
(1)→(8)


3

まだ見ぬ
景色の
匂いを運ぶ風


(2)


 そのまま無言で海を眺め続け、ようやく「ひとまず満たされた」と落ち着いて、すっかり頬の冷たくなった私たちは、それでも二つの定番メニューを求め店へと向かった。
 久々に対面する、この海の色にぴったりな濃厚ソフトクリーム。
 いか焼きのパックは寧旺に任せ、私は手にしたワッフルコーンをさっそく口へと運んだ。

「美味すぎる~」

 どうしてこんなにも幸せな味がするのだろう。
 車へと歩きながら、寒さも忘れ歓喜の言葉を繰り返す。
 そうそう、この味。東京にもいろんな店があるけれど、この味はどこにもない。
 黒胡麻の風味がいっぱいに広がって、和菓子みたいに上品なのに独特な甘さがあって、この道を通ったら必ず食べたくなる。今日みたいな薄曇りの空の下でも、一口食べたらこんなふうに、ハッピーな気分に包まれてしまう。

 スピーカーからは、小沢健二の『天使たちのシーン』が繰り返し流れ続けていた(空港を出発する際に寧旺が「最近こればっかり聴いてるのよ。覚えてる? 懐かしの名曲」とiPodを取り出して曲をかけようとしたのだが、USBケーブルでつなげないとかBluetoothに対応してないとかひと騒ぎした結果、カーショップに立ち寄ってラジオに出力させるための「FMトランスミッター」というやつを購入することになったのだった)。
 十三分以上もあるこの曲を、一曲だけのリピート再生で。
 海を目指す私たちに、それはあまりにもぴったりの選曲だった。
 まるで今の私たちのためだけに用意されたような……そう思えるほど。

「永遠に聴いていられる気がする」と、オネエ口調を忘れたように寧旺が呟いた。
「私も」と頷く。口調なんて、どちらでも構わなかった。
 ふたりとも「何があったの?」とは口にしないまま、ただ目の前の景色にそれぞれの心を泳がせ続けていた。

ここから先は

2,756字 / 1画像
この記事のみ ¥ 100

“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆