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膨らむ思い出と膨らまないガム

とても久しぶりにガムを噛んでいます。最後に噛んだのがいつだったのか思い出せないほどです。
最後に噛んだのはいつだっけ、誰に貰ったんだっけ、と思い出そうとしていたら、懐かしいような記憶が蘇ってきました。


小さい頃、フーセンガムで風船が上手く作れませんでした。妹はとても上手でそれが悔しくて、ガムを噛むたびに何度も挑戦して失敗していました。
上手く風船を作れなければ子どものままのような気がして、ムキになって練習していました。それでも全然出来なくて、どうして私は出来ないんだろうって少し落ち込んだりなんかして。
プラスチックの入れ物に入った、小さな丸いガムの粒。風船にしたくても出来なかった小さな希望たち。


私は不器用な子どもで、実技と名のつくものは全て出来ませんでした。逆上がりも跳び箱も持久走も、ミシンも料理も25メートルクロールも。
あの頃の私は怯えていました。
ガムで風船を作れない大人はいないんじゃないか、逆上がりは出来て当然のことなんだ、跳べなければ走れなければ大人になって困るんだ、ミシンが扱えないと一人前と認められないんじゃないか、包丁が完璧でないと馬鹿にされるんじゃないか。
出来ないといけない、と言われるのが辛かったです。出来なければ大人になって困る、そんな圧力が辛かったです。


未だに私は逆上がりも出来ないし、跳び箱も持久走も苦手です。ミシンはセットの仕方すら忘れてしまったし、料理は自分が食べられればいいかなというレベル。25メートルクロールは、4年生の時に特訓があって何とか出来るようになりました。
今小さな頃を思い出して、「出来なくてもいいよ」と言ってくれる大人がいてくれれば、どんなに私は未来に夢を持てただろうと考えます。
「出来ないことに向かう努力は大切だけれど、出来なかったからといって大人になれないというわけじゃないんだ」って、今となっては当たり前のことを言い聞かせてくれる大人が欲しかったです。


出来ないことはあってもよくて、それが埋められなくとも得意なことを伸ばしてプラマイゼロに出来るように。
今の私はそう私自身を励ましています。
それを言ってくれる大人にもしあの時出会っていれば、もっと怯えずに大人になることを受け入れられたかもな、ってちょっと思います。
そう、私は、大人になることすら怖くなってしまいました。


その恐怖を潰すために、今の私は、膨らませられないガムを噛みしめるのかもしれません。



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