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「もしテストの点数が悪かったら、教師のせい」など、デンマークの人たちの日本人とは違う視点の数々

こちらの本を読んでいて、デンマークの人たちの日本人とは違う視点がおもしろいなと思い、それらを集めてみました。


1.「もしテストの点数が悪かったら、教師のせい」

デンマークでは、試験は国民学校を卒業する9年生になるまで行いませんが、テストは頻繁に行います。テストは、知識が身についているかどうかを確認するためのものであって、子どもに優劣をつけるためのものではありません。
生徒がどれだけ理解しているか、このテストによって教師が試されているのです。そのため、子どもたちはテストされても神経質になることも、暗記するために徹夜することもありません。もしテストの点数が悪かったら、子どもたちのせいというよりも、教師のせいと理解されています。

学生の時、テストの点数が悪かったのは勉強しなかった自分のせいと思いこんでいましたが、テストの点数が悪いのは教師のせい、と思うと、学生時代の自分が報われるなと思いました。


2.「どんどん自分の意見を言いなさい」

日本の小学校の教師の口癖は「先生の話を聞きなさい」ですが、デンマークの教師の口癖は「どんどん自分の意見を言いなさい」です。
日本人はえてして、「話す」よりも「聞く」ことのほうが大切だと考えがちです。「聞きなさい」という小言はよく聞かされるが、「話しなさい」という小言は滅多に聞きません
「話す」ことこそ大切だと思います。「話す」ことが上手になれば、自然に「聞く」ことも上手になります。なぜならば、相手が聞いているかどうかを忖度しないで一方的に話すだけでは、「話す」ことの目的である意思の伝達は難しくなるからです。

そういえば、学校で「話し方」なんて教わりませんでした。黙って聞いていれば、時間が過ぎていきました。もったいない時間の使い方だと改めて思います。

日本では「親の言うことを聞きなさい」「先生の言うことを聞きなさい」と意思表示ができないように押さえつけられている感じがします。

息子の先生も「話を聞かない子が多い」という話をされていました。授業参観で様子を見てみると、聞く姿勢以上に、話を聞いてもらおうという、意思の伝達の意味の「話し方」をしている子どもはいませんでした。

わたし自身も「話し方」が下手なので、人のことをエラそうに言える立場ではないのですが、未来の日本を担う子どもたちに「話し方」を教えていただきたいなと思いました。

「話しなさい」は、対話を大切にした教育をしているデンマークならではの言葉だと思いますので、見習いたいです。


3.「意見に“間違い”はない」

子どもたちは、間違っていようが間違っていまいが、積極的かつ自主的に手をあげて意見を言います。これに対し教師は、生徒と同じ目線に立ち、一緒になって考えます。子どもも大人も同じく意見を言う権利を持っています。こうしてデンマーク人は子どものころから、“間違い”に臆することなく、自分の表現する術を学びます。

意見を言うこと、間違ってもいいこと、を学校で教わらずに育ってきたわたしは、外国に行って、意見を言えない自分に困りました。

言語の問題ではありません。

そういう経験を積んでこなかったのです。

“自分を表現する”ことは重要だと外国で実感します。


4.「音楽や美術、体育に対しては個々の評価をしない」

美術の時間は、みんなで足並み揃えて絵の技術を習得することはなく、それぞれが表現をすることに時間を割いているのです。
体育の授業では、何をやりたいかを子どもたちで話し合い、好きなスポーツをします。あるグループは屋内でバスケットボールを、あるグループは屋外でサッカーを楽しんでいたりするのです。個人競技で優劣を競い合うようなことはしていません。だから、運動が苦手な子どもも、体育の時間が大好きです。
日本と大きく異なる点は、音楽や美術、体育といった本人の持って生まれた資質によって結果が影響されるものに対しては個々の評価をしない、ということです。

音楽、美術、体育は、常に競争させられ、順位をつけられ、優劣をつけられ、考え方を押しつけられ、成績をつけられ、全然楽しくなかったし、大好きにはならなかったですね。

好きに表現させてもらえる授業はどんなに楽しいだろう。

将来にわたって「好き」が続くように教育されるデンマーク。

素晴らしいなと思います。


5.「学校は、生徒が来たくなるような楽しい場所でなければならない」

子どもは、いまそこに、そのままの状態でいていいのです。子どもの存在自体が認められている学校であればこそ、学校は楽しくなります。
「学校は楽しいもの」というのはデンマークでは当たり前のことで、日本のように、勉強を無理強いされ、他者と比較され、過大なストレスの結果、不登校になるという負のスパイラルはありません。
教育の目標はふたつ。2本足のようなもの。1本は子どもが知識を得ること。もう1本は、コミュニケーション能力など社会的に生きていけるスキルを身につけること。これら2本の足が同時に動かなければ人間は前に進めません。両方のバランスをどのように育ててあげるかが教師の仕事です。
日本は、知識を過剰に求める受験社会が学校のあり方を狂わせてしまっているようにも感じます。

デンマークの教育が知識だけに偏っていないところが良いなと思います。

受験のための授業は楽しくないですものね。

自分の子どもを日本の受験戦争に巻き込ませたくないなあ、というのが本音です。


6.「子どもは退屈しなければならない」

子どもは退屈すれば、なにかをしようと、自分で遊びを考えます。そこからクリエイティブかつ積極的になります。つまり、常に遊びたいという衝動を抱える子どもに、なにかを与えるのではなく、自由な“持て余す”時間を持つことによって、自発的に遊びを見つけさせるのです。
「子どもに自由時間を与えなければならない」という意味でもあります。子どもに手を出すことがいいことだと思われていないでしょうか。遊びも大人が決めていないでしょうか。子どもの成長を考えれば、親も保育者も、“歯を食いしばって”手を出さずにみていることも大切ではないでしょうか。
ケガを心配し、自由に遊ばせずに過保護に育てられた子どもは、社会に出てもっと困難なことにぶつかったときに生き抜けません。それよりも、自ら「これ以上は危険だ」とわかるほうが大切なのです。

どきっとしますね。

わたしは、息子を幼稚園に入れなかったので、自由時間はたっぷりあり、たっぷり遊ばせることができました。

でも、お勉強させたり、わたし自身が楽な遊びを一緒にしたり、心配し過ぎで手も口も随分出してきました。

息子にホントの自由はなかったのではないかと、今になって反省しています。


7.「幼稚園に時間割はない」

デンマークでは、職員が考えていることを子どもたちに押しつけることはしません。幼稚園に行って、職員から「さあ、お歌を歌いましょう」と言われて歌を歌うのは楽しいかもしれません。でも、職員は自己決定を奪ってしまっていることに気がついてほしいのです。子どもたちが何をしたいか、まず、その希望を聞いてみます。何をするかは「自由」であると、民主主義の基本である「自由」を教えるのです。
自己決定力というのは、持って生まれたものではありません。何度も繰り返し自己決定をすることで学んでいくのです。ですから大人は、そのような場、機会を子どもに与えていかなくてはなりません。自己決定ができる人間になるには、就学前教育が大切です。デンマークでは幼稚園から意思表示をすることを教わります。

「自己決定」は大切だと、大人になってから気づきました。それを幼児期から教えるというのは大事なことですね。

「自己決定」は、息子には割と小さい頃から実践してきました。

息子自身のことも、家族のイベントのことも、常に話し合って決めます。

将来のことも、誘導してしまわないように気をつけながら、自分で決められるように、常に対話をしていきたいです。


8.「少数派の考えにも正しい意見がある」

民主主義のキーワードは、自由、平等、共生、連帯です。日本では言葉では学習したかもしれませんが、考え方や、実践の仕方は学んでいません。多数決で決めることは学んでいても、少数派の考えにも正しい意見があることを学んでいないのです。あなたがどんな人生、生活を送りたいのか、それを決めるのはあなた自身です。
デンマークの子どもたちは、教育の義務期間中に自由、平等、共生、連帯を言葉で教わるのではなく、態度で教わります。子どもたちはそれを体感することによって真の民主主義を身につけるのです。本当の民主主義は少数派(マイノリティ)の意見も尊重する柔軟性がなければなりません。自分とは異なる個性を尊重しながら、個人と個人のつながり、社会性を身につけていくのです。
自由とは、自分の好き勝手なことができるわけではありません。自由には必ず責任があるのです。この世で受けた人間は、性別、年齢、学歴、障害のあるなし、にかかわらず、人間としての価値は平等です。動物も植物も人間も、一つの社会で共生して生きています。人間社会においては、子どもや高齢者、貧困者やお金持ち、障害がある人やない人、全ての人が一つの社会で生きています。さまざまな人が同じ社会で生きていくには、連帯感がなければなりません。これらのことを、言葉の意味だけではなく実践として教わり、10年間で民主主義を身につけるのです。

本当の意味での民主主義を知りませんでしたし、考えたことがありませんでした。

受験のために猛勉強するのに、国際社会において必要な知識が身につかない日本の教育。

どうにかならないのでしょうか。

少数派の意見も尊重するデンマークでは、日本にある「同調圧力」なんてものもないのでしょうか。


9.「ライバルは自分自身」

国民学校(小中一貫)では、知的水準よりも生徒個々の「能力」を最大限に伸ばすことを大切にしています。教育の義務期間中は他人と競り合うことを教えません。子ども同士を競争させて知的水準を向上させるのではなく、自分の能力を発展させるように教育するのです。つまり、ライバルは自分自身です。だから、他人と比べて劣等感を感じることはありません。
国民学校では、人との差を意識させるような教育は行われません。たとえば、通信簿、というものは存在しません。通信簿の代わりに、その子の習熟度を情報として親に知らせます。もし、苦手な科目を克服したいのであれば、担任は今後の勉強方法も一緒になって考えます。

「ライバルは自分」と子どもの頃から言われていれば、自分を他人と比べることも、親に他人と比べられることもなく、周りを気にせず前を向いて進められるだろうになと思います。

ついつい、わたし自身も他人と比べて落ち込んだり、息子を誰かと比べたりしてしまいます。そんな時間をもっと楽しいことに使いたいなと思います。

他人と比べない世界に日本の子どもたちを連れて行ってあげたい。

どんなに幸せだろう。


10.「クラス全員が同じ教科書を使わなくてもいい」

できない子どもとできる子どもが、同じ教科書を使っても意味がないのです。デンマークの優秀な教師とは、落ちこぼれをつくらないことです。それぞれの子どもの能力を最大限に伸ばすことができる教師のことです。クラス全員の知的レベルを同一の水準にまで上げることではないのです。
本当に優秀な教師とは、弱い生徒を教室内で落ちこぼれないように支えられるような教師をいいます。なぜなら、社会的に弱い立場にある人をみんなで保障していく、支援する、それが社会福祉国家の根本だからです。だから、クラスの中で算数ができない子どもがいたとしたら、その子を支援する方法を一番に考えるのです。できる子はよりレベルの高い教材を与えます。だからこそ一人でも伸びていくのです。

「弱い立場の人をみんなで支援する」という考え方は、「デンマークに生まれてきてよかった」と思える人を増やしているように思います。

それが、デンマークの「幸福な国の人づくり」につながってるのだろうなと思います。


デンマークの人づくりを参考にしながら、日本の幸福度が上がることを願います。


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